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第12話 そして、時は止まらなくなる
「こんの、大馬鹿もんが!」
雷を思わせるような敏久の怒鳴り声がホークギャザード中に響き渡る。
事務室で怒鳴る敏久の前では、清美と空護がしょんぼりと肩を落としうなだれていた。
「まず、戦犯中田!デンジャーゾーンに入ってまでビーストを追うなと、あれほど言っただろう!どうして、デンジャーゾーンがあるのか言ってみろ」
「ビーストを殺しすぎないようにするためです」
「そうだ。ビースト、野生動物を殺し過ぎた結果、彼らは自分の身を守るために一気に進化した。生態系のバランスをとるため、とも言われている。人間はその反省を生かし、野生動物、ひいてはその生態系を守るために、線引きをした。ヴァルフェを使うのも、自然への被害を最低限にするためだな。デンジャーゾーンへの立ち入りが禁止されているのは、危険だからというのもあるが、人間の都合を押し付けるというかつての過ちを繰り返さないためでもある。次はないぞ」
「すみません」
「大神、止めなかったお前も同罪だ。先輩だろうが間違いは間違いだ。ましてや、1人で助けに行こうなんて、危険行為はやめろ。自分を過信するな」
「はい、すみません」
しばしの間、息苦しい沈黙が流れる。敏久は、反省している2人をみて、大きくため息をついた。
「まあ、2人とも無事でよかった。デンジャーゾーンに突っ込んでったっていうのに、なんとか帰ってきたとは、危なっかしいのに頼もしいな」
がっはっは、と敏久はいつも通り豪快に笑った。敏久の笑いにつられて、清美も空護もこわばっていた体を緩め、顔を合わせた。
それからは、平穏な日々が続いた。勇也と空護は時間の許す限り対人訓練を重ね、時折清美が参加する。敏久と昌義はそんな三人を見守りながら。方や射撃の練習を、方や書類とにらめっこしている。
ビーストの被害は減りはしないが、そんなものは日常茶飯事。ホークギャザードの面々は特筆すべきこともないような日々を過ごしていた。まるで、嵐の前の静けさのような。
「どりゃあああ!」
対人訓練の最中、空護が体勢を崩したところを見逃さず、勇也は訓練用のヴァルフェを振りかぶる。しかし、その大振りが仇になり、空護に体勢を直す隙を与えてしまった。
空護はぐいっと体勢を直し、その勢いのままヴァルフェを横に薙いだ。その真っ白な刃は、空振りした勇也の腹に入る。
「ぐっ!」
勇也は体をくの字に曲げるが、歯を食いしばり空護を睨んだ。地面を力強く蹴り、バネのように飛んでいく。空護はすかさず反応し、ヴァルフェを構えた。勇也の口元が楽しそうににやりと上がる。ヴァルフェを振り上げようとしたとき、トレーニングルームに敏久の声が響く。
『大神、清水!坂館地区にビーストがでた!一度事務室に来い』
敏久のものいいに、勇也は首を傾げた。
―――いつもなら、現場に直行するのに。
なんだかいやな予感がする。ちらりと空護の方を見るが、ローブのせいで表情は見えない。それでも、どこかぴりぴりしているような気がする。
「…っち、行くぞ」
空護は、勇也の返事も待たず歩き出す。その歩調はやはり、いつもより速かった。
事務室にいる敏久はタブレットを睨み、訝し気な顔をしている。
「おぉ、来たな。今回は現場に行く前に、この映像を見て欲しい」
敏久は勇也達が見やすいように、タブレットを差し出した。空護達はそれをじっと見つめる。
そこには、どこかの空き地なのか、だだっ広い野原の上に1体のビーストらしきものが寝そべっているのが見える。勇也が目を凝らすと、それは3mほどありそうな大きさで、黒く爬虫類のようなぶつぶつとした皮膚をしている。
「わ、ワニ…?」
勇也は自分で口に出したにも関わらず、これが間違っている確信があった。ビーストは日本在住の動物しか有り得ない。かつて、外来種が持ち込まれ在来種が住処を追われたこともあったが、外来種を排除し、被害はゼロとはいえないもののなんとか収束した。ましてや、ワニが日本に持ち込まれ、なおかつ野生に返った、なんて話は聞いたことがない。
「ちげえよ。こいつはトカゲだ。ほら、顔とかトカゲっぽいだろ」
勇也は再びビーストの様子をじっと見つめる。確かに、ビーストの口はワニのように長くない。サイズさえ気にしなければトカゲのように思える。そう、サイズさえ気にしなければ。
「やっぱりトカゲっぽいよなあ。このビーストに関してだが、不審な点がいくつかあるんだ。まず、見てもらったとおりトカゲのビーストのように思われるが、そもそもそんなビーストは見たことがない。また、大抵のビーストっていうのはエサを求めているもんだが、こいつはだらだらしたまま。あと、こういっちゃなんだが、研究所の近くに現れている」
勇也はごくりと唾をのんだ。敏久はきっと、鷲巣研究所を疑っているのだろう。それを裏付けるかのように、その視線は空護の方を向いている。
空護が敏久からの疑いに、気が付かないはずはなかった。
「切ってしまえば、問題ありません」
空護の声は硬く、ぎこちない。平静を繕おうとしているものの、隠し事があると自白しているようだった。
「それはそうだな。とにかく、お前らにこのビーストの討伐を任せる。正直、どれだけ強いのかも分からんからな。勝てないと思ったら即撤退し応援を呼ぶように」
「はい!」
「はい」
空護は返事をするとすぐさまローブを翻し、エアカーの待つ車庫に向かう。勇也も後を追おうとしたが、敏久に呼び止められた。
「大神を頼んだぞ」
敏久も、空護の様子がおかしいことに気が付いているのだろう。敏久の心配を勇也はしっかりと受け止める。
「はい!」
勇也は揺るぎない自信で満ち溢れた顔で笑った。ハンターになってから1年も満たないというのに、その笑顔は敏久を安心させた。
勇也は背中も見えなくなった空護を追う。その足音は力強かった。
逆館地区の野原、そこにトカゲのビーストはいた。勇也達がそばにいるというのに、何も気づかず寝ている。そばで見ればそのビーストが勇也達より2倍もありそうな大きさであること、そし容姿はトカゲそのままであることが分かる。
不可解な点が多いビーストに空護はひるまず、一歩前に出る。
「オレがやる、てめえは手を出すな」
空護は懐に忍ばせていた新しいヴァルフェ、竜巻を手にとりマナを込める。表れた白い刃の長さは1mを越え、幅は50cmほどもあるような大剣だった。鷲狩よりも切れ味がいいことは、火をみるより明らかだった。
空護はそれを両手で握りしめ、一歩一歩にじり寄るようにビーストに向かって行く。
空護が今まで見たことのないほど、真剣で余裕がなかった。
余裕と油断は別物だ。油断は単なる気の緩み、自身の隙となるもの。余裕はいざという時の余力、非常時にでも冷静でいるためのもの。常の空護は、周りを見渡せるだけの余裕があった。
しかし、今の空護の目にはビーストしか見えていなかった。きっと今勇也が切りかかっても、空護はみじんも気が付かないのだろう。
隙だらけのビースト、勇也にとっては不穏なものであるが、脅威ではない。だが、空護にはかつてないほどの脅威なのだと、勇也には手にとるように分かった。
ビーストの前に来た空護は大きく息を吐いた。そして竜巻を振りかぶる。
空護は、真っ白に輝く竜巻をまっすぐにビーストの首に振り落とす。お手本のようなそれは、まさに渾身の一撃、というにふさわしい。
ドカッと、鈍い音があたりに響いた。
しかし、その刃はその首を落とすに至らなかった。ビーストは目を開き、その真っ黒な瞳を覗かせた。しかし、さほど気にした様子もなく、また目を閉じ眠りについた。それは、空護の攻撃が効いていないことを意味している。
「ちっ」
空護は一度下がり、助走をつけ、その途中にぶわりと飛び上がる。竜巻を振りかぶり、とんだ勢いを生かして再び切りつけた。
竜巻の刃は先ほどよりも深く食い込んだが、首から血が出ることはなかった。ビーストは、不機嫌そうに尻尾をバタリとふった。しかし、致命傷には至らない。
「くそっ」
空護は己の機動力を生かし、四方八方から切りつける。そのたびに布を叩きつけるような、鈍い音が聞こえる。
だが、何度やっても結果は変わらない。
「どうして…、どうしてっ!」
空護の悲痛な叫び声が聞こえる。
「どうして、俺じゃ…。俺じゃ、切れねえんだよ!」
勇也には、空護が何を思っているのかは、分からない。でも、その声はひどく痛ましくて聞いていられなかった。そして、その叫び声の止め方は分かっていた。
勇也は静かにビーストに近づく。その手には、ブレイブアックスが握られている。
「先輩」
耳のいい空護は、いつだって勇也の声に気が付いた。でも、ビーストと戦っている空護は、少しも勇也を見なかった。
「先輩!」
勇也が声を張って、ようやく空護は気が付いた。
「っち。おい、ヴァルフェかせ」
空護は勇也のところへ行くと、片手を差し出す。勇也は思わぬ展開にあっけにとられながらも、素直にヴァルフェを手渡す。
空護のヴァルフェ、ブレイクアックスを受け取った空護は、すぐさまマナを込める。しかし、その刃の形はぐにゃぐにゃと歪み、安定しない。
「んっ、んんっ…。くっそぉ…!」
空護は必死にマナを込めるが、その努力もむなしく刃は歪んでいる。空護には、ブレイクアックスを使えるだけのマナがなかった。
「先輩、オレが行きますね」
勇也には珍しい、反論を許さない強い声だった。彼の心は、固く決まっていたから。
勇也の覇気に、空護はマナを込めるのを止める。
「ま、たまには先輩にかっこいいとこみせておきたいですからね」
場の空気を和ませるように、勇也は笑った。そして、すかさず空護の手からブレイクアックスを奪い取る。
「てめえ!」
空護の怒鳴る声が聞こえたが、勇也は振り返らずに走る。少しでも足をとめたら、空護に捕まってしまう。
「だめだ!…戻れなくなるぞ」
空護の声が、心に突き刺さる。それは、間違いなく警告だった。ほんの少し心配をまとわせた。
空護は何かを知っていて、そして自分のことを案じてくれていることを、勇也は分かっていた。だから自分で全部、背負い込もうとしている。悪いのは口だけの、優しい人だから。
それに惚れた弱み故か、出来るなら空護の希望を通してあげたいという気持ちもなくはなかった。でも勇也は自分にそれを許さなかった。
「戻るも何も、人生は進むしかないんですよ。どんな道であれ」
強くなりたいと思う。
多くの人の笑顔を護るために。愛した人を護るために。
勇也は足をとめ、空護に振り返る。
「それに、オレはハンターとして戦うって決めました。多くの人を護れるように。だから、逃げるわけには行かないんです」
勇也の迷いのない目が、空護は苦手だった。言いたいことがあったはずなのに、何も言えなくなってしまう。だって、何を言ったって、勇也の心は変わりはしないのだから。
黙ったままの空護に、勇也は背を向ける。
「ちっ」
空護にできたのは、悔し紛れの舌打ちだった。
再び走り出した勇也はバトルアックスにマナを込める。勇也の覚悟に応えるように、子どもほどの大きさの刃は、まぶしいほどに輝いた。
勇也はビーストに向かってかけ出す。そして、その首に刃をまっすぐに振り落とす。ビーストは抵抗のないまま、その首を落とした。
切られた首から血がどくどくと流れ出るのを、勇也はぼんやりと眺める。
「何なんだったんですかね、こいつ」
ビーストらしくないビーストだと勇也は思った。しかし、切った感触から今まで一番硬いビーストだったとも思う。
「…とりあえず、お前はこのビーストをどうするか班長に聞いとけ。オレは研究所に連絡する」
「え、研究所っすか?」
「…よく分からんねえのは研究所に突っ込んどけば、研究大好きやろうが隅々まで解剖すんだろ」
そういうと、空護は研究所に連絡を入れる。勇也も少し離れて敏久に連絡を入れた。
「お疲れ様です。清水です」
『おう。おつかれさん。全部見てたぜ』
「え、そうなんですか?わあ、恥ずかしいですねぇ」
勇也は敏久の言葉に照れて頭を掻く。
『いうことに欠いて、お前…。いやいい、メンタル的にはお前が一番安心かもしれん。で、どうした?』
「えっと、トカゲのビーストの死体、どうすればいいかと思いまして。研究所に持っていけばいいですか?」
『…研究所が必要とするなら、だな。オレは、うちで火葬してやりたいとも思う』
「分かりました。研究所には今、大神先輩が連絡してます」
『そうか。で、大神の様子はどうだ』
「えっと、まだ少しぴりぴり」
「ふざけんなよ!」
しています、とつづけるつもりだったが、空護から発せられた怒号により、思わず口を動かすのを止めてしまった。
勇也はちらりと空護の様子を伺う。空護は電話口に向かって怒鳴りたてているようだった。
「それは約束が違うだろ!」
正直にいって空護は口が悪かったが、ここまで怒っているのはみたことがない。また、怒りで興奮しているのか、ふー、ふー、と呼吸も荒くなっている。
「めちゃくちゃ怒ってます」
『分かった。引き続き大神を頼む』
「分かりました」
『じゃ、気を付けて帰ってこい』
そういうと敏久は、ぶつりと電話を切る。勇也が携をしまい、空護の方をみるとあちらも自分を見ていた。
「清水…」
叫び過ぎたせいか、空護の声は少しかすれている。
「やっぱりお前は、ハンターになんかなるべきじゃなかった」
空護はつかつかと勇也の方へ向かう。
「え、え、なんすか急に」
勇也の戸惑いもよそに、空護は勇也の胸倉をつかむ。
「てめえはいつもそうだ。オレにとって最悪な道を選びやがる。今日はとうとう、オレを追い抜いた」
胸倉をつかまれたせいか、ローブに隠されている空護の顔を垣間見ることが出来た。少しだけ見えるその顔は、今にも泣きそうだった。
「そんな日なんて、いらねえって言ったろ!」
かつて、勇也が空護に宣戦布告をした日、空護がそのようなことを言っていたのをやっと思い出す。
―――いつか先輩にだって勝ってみせますからね
空護が倒せなかったビーストを、勇也が倒した。これは、間接的に空護に勝ったとも言えるのかもしれない。
勇也は、自分が空護の地雷を踏んだことは分かった。でも、どうして地雷なのか分からないから、返す言葉が見つからない。
2人の間に沈黙が流れる。
先に動いたのは、空護だった。空護はぱっと勇也を離し、エアカーの方へ歩を進めた。勇也も無言で後を追う。
学校だろうか。遠くの方で鐘の音がした。その鐘は、嵐の始まりを告げていた。
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