4 無敵のヒーロー

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4 無敵のヒーロー

 それから私と蒼太は全くの他人になった。まるで知り合った事実自体がなかったかのように。  ちょうど席替えがあって席が離れてしまったこともあり、冗談を交わすことも、挨拶すらもしなくなった。  視線が合いそうになると、自分から目を逸らした。中途半端に彼を意識したくなかったから。  相変わらず加賀美詩歌は蒼太にしょっちゅうまとわりついている。女王様の猛攻に、ほかの女子たちは一歩下がらざるを得ないようだったけど、その一方で男子たちも蒼太の周りに集まり始めていた。  異性にモテると同性に嫌われるかと思いきや、実際はそうでもないらしい。  ――蒼太といると“自分の価値が上がる”って期待してるのかもしれないな。  ぼんやりとそう結論づけた。  “山田鈴子なんかに告白されると価値が下がる”と中学生の時に笑われた。それを思い出していた。  当の蒼太は誰にでも愛想よく接していた。甘えた声で近寄ってくる加賀美詩歌とも仲良くやっているようだ。かといって彼女を特別扱いすることもない。  蒼太は立派だなぁ。  誰にでも公平に接することができるイケメンは希少なのではなかろうか。イケメンに詳しいわけではないけど、そんな気がする。あんな性格だから入学当初彼は私とも仲良くしてくれたのだ。  ――蒼太はやっぱりいい奴だ。  教室の隅っこで密かに彼を見つめながら、別れを告げたはずの恋が、まだ私の内側で呼吸をしているのをはっきりと感じていた。  ✳︎  片想いを自覚したまま、季節が一つめぐる。  牧蒼太との会話が耐えて一月(ひとつき)、じめじめとしつこい梅雨がの晴れ間に体育祭が行われた。  晴天に覆われたグラウンドはほとんど真夏だ。生徒たちの興奮が気温の上昇に拍車をかけるから、灼熱の荒野で競技をしているようなものだった。  そんな中、グラウンドを出て校舎へと向かう私の背に、今日の太陽光線よりも熱い視線が集中している。  好意的なやつじゃなくて、敵意というやつだ。焼き殺されてしまいそう。 「ごめんな、付き合わせて」  隣を歩く蒼太が、首にかけたタオルで汗を拭いながらうつむき加減に言う。  そう、このお方が私の背にぐさぐさと突き刺さる敵意の原因です。  ――鈴子、養護係だよね?  最初の競技である徒競走を終えた後、応援席で彼に声をかけられた。一月ぶりの会話に驚く間もなく、蒼太が「なんかすげぇきもちわりぃんだけど」と訴えるから、焦って彼を保健室に連れて行くことにしたのだ。  そう、私は蒼太と並んで歩いているけど、あくまでこれは係の仕事。熱中症かもしれない彼を、養護係の責任で案内しているだけ。  たとえ加賀美詩歌が呪うような視線で私を刺し殺そうとしていても、そんなことは気にしなくていいはずだ。 「気にしなくていいよ、それより歩くのつらくない?」  顔色を確かめようとのぞきこむと、「大丈夫、ありがと」と控えめな笑顔が返ってきて、すぐに私は視線を逸らした。  不謹慎だ。体調不良で弱ってる蒼太の顔に見惚れてしまうなんて。直視していられないなんて。  でもそれよりも。  蒼太がこだわりもなく私と話してくれる、それが嬉しかった。  ――とくんとくん。  彼の隣で、私の心臓が、密やかな想いの存在を強く主張している。  体育祭の喧騒の中でも、その音ははっきりと私の胸を震わせていた。  ✳︎ 「どれどれ、うん、熱はないね。脈にも大きな乱れなし。まぁ汗はかいてるから、ほれ、経口補水液を飲みなさい」  保健室の先生がテキパキと――というよりぞんざいに対応して、ペットボトルを放り投げた。あざす、と野球部らしくお礼を言って受け取ると、蒼太は軽々と蓋を回して口をつける。その所作がまるでスポーツ飲料のCMのようだなと感心して見守っていたんだけど、 「まずっ……」  と、すぐ飲むのをやめてしまった。あらら、そんなことではスポンサーの怒りを買いますよ……って、なんの話だ。  ベテランの保健の先生はその蒼太の様子を確認し、机でなにやらメモをとりながら言う。 「まぁ大したことないと思うわよ。少し休めたでしょ? 戻れるなら戻りなさい」  おぉ、なんて塩対応。“熱中症に気をつけろ”って普段はめちゃくちゃうるさいのに。  蒼太と一緒に頭を下げて退室した。保健室の外の廊下はひんやりとして人気(ひとけ)がない。  蒼太と二人、黙りこくって歩いていると、どうにも現実感がなかった。グラウンドの声援が遠くに聴こえて、私たちのあいだに存在する静寂にアクセントをつける。 「ええとさ……ごめんな、保健室まで付き合わせて」  話し出したのは蒼太だった。 「それはさっき聞いたよ」「そうだっけ」と会話が続くと、四月の仲良くしていた頃を思い出して、心の中の固い部分がほぐれていく。 「もっと保健室で休まなくてよかったの? 先生、対応が冷たかったけど」 「あー……さすがベテラン教諭だよな」  蒼太はわけのわからない感心をした。もらったペットボトルが彼の右手で揺れている。中身はまだたくさん残っていた。 「まぁグラウンドに戻るよ。俺がいないとうちのチーム負けちゃうかもしれないし」 「うわっすごい自信」  事実だからしようがないけど。蒼太は足が速いし、スポーツならなんでも器用にこなす。イケメンで、人柄もよくて、運動神経までいいっていうのは、いくらなんでもズルくないですか?  「だって運動部だから。頭が悪い分、体育祭で活躍しておかないと」 「はぁ? なに言ってんの。中間テストの数学、クラス一位じゃなかったけ?」 「数学だけね」  嘘だ。化学もできてたし、ほかも悪くなかったはずだ。「顔だけじゃなくて頭もいいのかよ」って呆れたからよく覚えてる。 「私は理数系苦手なんだよな……」  どうしてこうも私と蒼太は違うのだろう。それなのに好きになってしまって、それをやめられないのはなぜなんだろう。  校舎の入り口にたどりついてしまった。  やっぱり蒼太は遠い存在だ。痛いほどそれを感じていた。  今だけ偶然会話のチャンスが与えられたけど、あの明るい陽射しの下に出たらまた元通り。牧蒼太は女の子の声援に囲まれて、私はそれを世界の隅っこでながめるだけ。彼に集まる“その他大勢”の中にすら入れない。  グラウンドへと続くガラス戸を押しあけた。異世界に飛び込んだみたいにぱっと視界が光に満ちた。強烈な陽射しに目をすがめると、蒼太はまだ校舎の中だった。 「どうしたの?」  暗い廊下に残る彼の表情は、こちらからはうかがえない。 「あのさ」  口もとが動くのだけが分かった。 「鈴子に数学教えてやるよ、これから」  そう言いながら、彼が光に飛び出して隣に並んだ。身長差がほとんどないせいで、強い眼差しを至近に受け止めてしまった。 「え?」 「数学苦手なんだろ、教えてやるよ。ほら、あのさ……俺、ずっと鈴子にお礼したいと思ってて」  なんのこと? と首を傾げると、苦笑が返ってきた。 「もう忘れたのかよ。入学してすぐの頃あんなに世話になったじゃん」  忘れてない。忘れるわけないし、忘れられない。私にとっては宝物みたいな時間だったんだから。  蒼太もそのことを覚えていてくれたんだ。 「……私、大したことしてないけど」 「そんなことない。すげー助かったんだよ」  だから、と蒼太が間をおかずに続ける。 「数学なら教えられるから、鈴子の勉強手伝わせてよ」  ニカっと笑い、私の返事を待たずに彼は駆け出した。唖然として動けない私に、陽光の中の彼が振り返る。 「期末テストの前に声かけるからな! 忘れんなよ!」  ✳︎  体育祭のその日、蒼太は無敵のヒーローだった。  最後の目玉競技「選抜リレー」では、先輩たちを追い抜かして勝利に貢献した。  午前中は保健室に駆け込むくらい具合が悪かったのに、あれからすぐ回復してこの活躍。スター性、というのはこういうことを言うのかなぁ。  そんなスターが、わざわざ私の勉強を手伝うなんて。しかも怪我で不自由な時に手伝ってあげた程度のことへのお礼で。  律儀というか、生真面目というか。  全競技終了後、転んで膝を派手にすりむいたクラスメイトに付き添って保健室に行くと、傷口を丁寧に処置しながら先生が私に尋ねた。 「午前中に熱中症疑いで来室した牧君、あのあと大丈夫だった?」  なんだ、先生ったらあんなに塩対応だったのに、本当は気にかけてたんだ。 「問題なさそうでしたよ? すぐ回復して、騎馬戦でもリレーでも大活躍でした」 「ふぅん……まぁそんなことだろうと思った」  え?  手当てを終えた生徒を先に帰して、先生は私に後片付けを手伝うよう命じた。養護係なのだから、保健室の先生には逆らえない。 「牧君、ペットボトルの蓋も軽々開けてたし、中身も大して飲んでなかった。本当に熱中症なら手に力が入らないし、いくらでも水分が欲しいはずなのに」  あれね、きっと仮病よ? とベテランの先生は呆れていた。 「えぇ、蒼太がそんなことするかなぁ?」  体育祭をサボりたいわけない、生粋の運動部なんだから。それに保健室に来るまで本当に顔色もよくなかったけどなぁ。 「体調不良以外に、ここに来たい理由があったんでしょ?」  肩をすくめた先生の言葉は、私にとって意味不明だった。 「そういう目的で保健室を利用しないでほしいんだけどね。青春って本当にはた迷惑だわ」
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