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1 恋に落ちたシンデレラ
信じてほしい、私は決して“メンクイ”ではない。
好きになった相手がイケメンだっただけなんだ。偶然、たまたま、最悪なことに。
「なんだよ鈴子、じーっとこっち見るなよ気持ち悪りぃ」
向かい合った蒼太が眉をしかめた。冬の冴えた西日が教室に射しこみ、彼の顔を照らしている。
さすがイケメン、ちょっと表情を動かすだけで、まるで映画のワンシーンだ。
「悪いけど蒼太のことは見てない。その向こうの黒板見てただけ」
「はぁ? 嘘つけ、目が合っただろーが」
「自意識カジョー自意識カジョー! 黒板に書いてある試験日程確認してただけですー」
なーんちゃって。もちろん嘘。私は蒼太の見事に整った顔に見惚れていたのだ。うまくごまかせてよかった。
テスト前になると我が一年七組の放課後はにぎやかだ。教室の後ろではワイワイ勉強したいタイプの男女グループが問題を出し合ってるし、やる気出ない系の男子たちもスマホをいじりながら騒いでる。
何より、蒼太と並んで下校したいと目論む派手な女子たちが、いまかいまかと彼の勉強が終わるのを待っているから。
ほら、特に鋭くこっちを見張っているのが加賀美詩歌様。誰よりも積極的に蒼太を狙う、我がクラスの女王様だ。
そんな女子たちの敵意にさらされながら、私は一つの机を挟んで蒼太と向かい合っていた。
「しかし寒いなぁ。俺、今日はけっこう厚着なのに。本当にエアコン入ってんのかぁ?」
「二月だもんね。センセーたち、生徒を追い出したくて設定温度下げてるんじゃない?」
うっわありえるー、と蒼太はおでこをぴしゃりと叩いた。高校野球部員らしい短髪も、彼にかかれば泥臭さとは無縁になる。額から鼻先にかけての直線的な起伏がくっきりと陰影を刻んで、西洋彫刻と向き合っているようだった。
「ねぇねぇ蒼太、それでこの数学の問題なんだけどさ」
「は? 鈴子こんなのもわかんないの?」
「もちろん」
「ドヤるなよ。でもその問題はできなくていい。多分テストに出るのはこっちだから」
そう言いながら蒼太は長い指で問題集のページをめくる。短かく切り揃えられた大きくて細長い爪。なんでこの人は指先まで整っているのでしょう?
「こっちの正四角錐の問題な」
「りょーかい。蒼太のヤマは当たるからなぁ」
「だろ? 感謝しろよ鈴子」
くしゃっと目を細めて蒼太は笑う。
――やばい。
それは良くないです、蒼太さん。名前呼びでその笑顔はいけません。
認めたくはないけれど、自分の胸が変な音をたてたのを聞いてしまった。「きゅん」って、漫画みたいな音を。
あーぁ、馬鹿みたい。
イケメンに片想いするなんて。
蒼太はかっこいい。くっきりとした目もとと高い鼻は王子様みたいに華やかだ。やや童顔なのに眉は男らしくすっと伸びて、その落差についくらっとしてしまう。
頭もいい。特に理数系は学年の中でもトップクラスだ。
ついでに愛想がよくて友だちも多い。派手な女子はもちろん、いわゆる“隠キャ”の男子とも仲がいいし、優等生タイプからも信頼されている。
完璧。牧蒼太はパーフェクトなイケメンだ。しいて言うなら背は少し低いけど、そのくらいの可愛げがまた魅力的なのだ。
で、私である。
山田鈴子。昭和の香りただよう名前にぴったりの十人並みの顔――いや、この細いつり目と骨張った頬のせいで、どちらかというとブスの部類に入りますね。
背は高い方だけど、これは女子としては良い方のポイントにはならないだろうな。
別に卑屈になってるわけじゃない。これが厳然とした事実だということ。
そもそも人間の本質は見た目じゃないのだ。ブサイクでも問題なし。ブサイクなりに楽しく生きていけばいい。
でも、恋をするなら話は違う。
自分とは不釣り合いなイケメンには二度と恋をしないと、中学生の私は誓ったのだ。
そう、誓ったはずだったのに。
あーぁ……なんでこんなことになっちゃったんだか。
✳︎
出会った時、牧蒼太はイケメンじゃなかった。
というか、顔立ちがわからなかった。
高校の入学式の日、体育館での式典を終えて初めて入った教室。出席番号順の席で隣に座った彼の姿に私はギョッとした。
「ど、どうしたの、君?」
彼の右腕は三角巾で吊られ、左足首は包帯ぐるぐる。右目には眼帯をして、おまけにでっかいマスクまで装着している。かろうじてあらわになっている左目も腫れぼったい感じがして、顔つきがほとんど分からない。
「なんか大変そうだね?」
「そうなんだよ……ごほっ……ちょっとアクシデントが重なっちゃって」
咳こみながらも一生懸命話す声音がやわらかくてホッとした。どうやら怖い男子じゃなさそうだ。
「ちょっと俺の不幸自慢聞いてくれる?」
「う、うん」
「まずこの右腕ね、これは中学の野球部の紅白試合で後輩にふっ飛ばされて骨折したの。いやぁ、受験勉強であんなに体がなまってるとは思わなかった」
「あーそれ分かる。私も久々にバレーやったらすぐ息が上がったし」
運動部という共通点を見つけて、話が自然と弾んだ。
「だよな! なんか思ったように体が動かなかったんだよ。それにしても後輩に吹っ飛ばされるとかダサすぎ。でさ、右腕の治療で病院に行った帰りに自転車と事故って」
「マジ?」
どんだけ不幸なの、この人。
「マジ。自転車を避けようとして左足首を捻挫。全治二週間」
ちょっと笑ってしまった。人の不幸を笑っちゃいけないんだけどさ。
「笑うのはまだはやいよ、この話ここで終わらないから。怪我した翌朝起きたら右目が腫れてたんだ。ものもらいだって」
「ひぇぇ」
「あげくに昨日から風邪ひいて……咳が止まんないし、なんか左目まで腫れてきたし」
ゴホゴホと大きなマスクの中で咳がこもる。その音にまじって、もう嫌になっちゃうよなぁと小さな弱音が聞こえてきた。
「あはは、でもそれだけ悪いことやり尽くしちゃえば、このあと三年間はいいことばっかりだよ」
私がのんきに笑うと、彼は不意をつかれたように一瞬静止して、そのまましばらく考えこんだ。
「……そうかぁ。俺は“しかしこれは彼の苦難の序章に過ぎなかったのだ”みたいなテロップが流れてるの想像してた。これからドンドン悪くなるフラグかと」
なにそれウケる、妄想力が豊かすぎる。入学早々面白い男子に出会ったもんだ。
お腹を抱えて笑っていると、彼の唯一見えてる左目がにっこり微笑んだ。腫れたまぶたで、不器用に、優しく。
「たしかにウケるな。ありがと、笑ってくれて」
あれ?
私は、はたと笑いを止めた。
むむむ。
おかしいぞ。
なんだか今、すごく胸があったかい。
ありがと、って彼の言葉が、私の内側をぽかぽかとあっためてる。そのせいかな? 顔が熱い。耳まで熱い。
「俺、牧蒼太って言うんだ、よろしく」
さっきまでメソメソしてたのに、名乗り方は堂々としてた。ギャップが面白かったし――かっこよかった。
「……私は山田鈴子。こちらこそ、よろしく」
自分の古くさい名前が無性に恥ずかしかった。
――ああ、そうだ。
気づいてしまった。
顔もよく分からない、今日初めて会った満身創痍の男の子に――
私は、恋をしてしまったんだ。
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