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2 身分違い
入学式のその日から、私は大怪我でなにかと不自由を強いられている蒼太のお世話係になった。
「蒼太、次の地学は実験室だよ。教科書とか運んでおくね」
「わりぃ鈴子、ありがと」
松葉杖をついて歩く彼のために、移動教室のサポートをする。さすがに隣をついて歩くことまではしなかった。それは同性の友だちに任せるのが自然というものだ。二人分の教科書やペンケースを抱えて、入学早々仲良くなった友人と隣の校舎の理科室に向かう。
「包帯ぐるぐるの男子さー、牧君だっけぇ? あれ、マジでキモくなーい?」
下品な笑い声とともに、聞き捨てならない会話が耳に飛び込んできた。あぁ、嫌だ。この気怠い話し方で、すぐに誰の声か分かってしまう。
「なんかぁー顔とかブッ潰れてるじゃーん。しかもゴホゴホやっててぇー病弱〜? マジないよねぇ」
加賀美詩歌だ。
目の前をダラダラと歩く三人組の派手な女子たちの真ん中で、華奢な肩で跳ねる伸ばした茶髪をいじっている。
入学してまだ一週間しかたっていないのに、彼女はすでにこのクラスで女王のように振る舞っている。
これ見よがしに大きな声を出すのは、自分が女王だというアピールなのだ。
そう、私は彼女のことをよく知っている。
中学校が同じだから。そして何より、私はかつて彼女の嫌がらせの標的だったから。
「あれー山田ちゃんじゃーん?」
加賀美詩歌がくるりと振り返って八重歯を見せた。まつ毛たっぷりの大きな瞳がわざとらしく見開かれている。
「山田ちゃん、今の話聞いちゃったー? ごめんねー山田ちゃん、牧君と仲いいのにぃー」
「いや、別に何も聞いてないけど? 蒼太がどうかした?」
あんなに大きな声で騒いでおいて、いちいち聞こえたかどうか確認してくるのが白々しい。
そんな薄っぺらい嫌がらせに屈してたまるかと、私もしれっと嘘を返す。その応酬に、気の弱い友人がオロオロしていた。
「ううん、聞こえてないなら別にいいんだけどぉ、ね?」
彼女は左右の取り巻きと目配せをして、忍び笑いに興じていた。
――あぁ、この女、高校生になってもこの調子なのか。
思わずため息をこぼすと、それが女王様の気に障ったらしい。くすり、と毒のある笑みで私を見下した。
「山田ちゃん、やっと自分のこと知るようになったんだねー。ほら、中学の時は身の程知らずだったじゃん?」
えーなになに、と取り巻きがチラチラと悪意に満ちた興味を向けてくる。加賀美詩歌はにっこりと笑った。
「中学生の山田ちゃんってば――この顔で学校一のイケメンに告白したの、ね?」
事実だよねと女王は私に問いかける。私は「そうだったっけ?」と肩をすくめて、彼女たちを追い越そうとした。
「えー忘れちゃったのぉ?」
通り過ぎざま、加賀美詩歌が可愛く口を尖らせた。相手をせずに理科室に向かったけど、こっそり拳を握りしめていた。
そうしないと、全身が震えてしまいそうで。
内心の動揺をひた隠し、痛いほどの恥ずかしさと、あまりに苦い失恋の痛みをなんとかこらえていた。
「鈴子、いつもありがとな」
理科室で頬杖をついていると、遅れてきた蒼太が律儀にお礼を言いに来た。わざわざそれだけを言いに、松葉杖をついて私のところまで来てくれたんだ。
顔のほとんどがマスクと眼帯に覆われて――もともと腫れていた右目はほとんど治ったものの、今度は左目にものもらいがうつったらしい――相変わらず顔立ちが分からない。
「全然いいよー、この借りはいつか返してもらうからさ」
「くそぉ、借金が貯まっていく」
蒼太は大げさにリアクションして、そのあとプッと噴き出した。
「鈴子ってノリがいいからオモシレー」
「蒼太の惨状の方が笑えるけどね」
それは言うなよーと彼はまた目もとを緩める。腫れたまぶたで目を細めるその顔は、いわゆる「変顔」という感じがした。
でも、だからなんだって言うんだろう。人は容姿じゃないんだ。中身なのだ。
蒼太は人に感謝することを知ってるし、それを言葉に出して伝えなきゃいけないこともわかってる。不運を笑い飛ばして明るいところは、どんなイケメンよりも格好いい。
イケメンじゃなくていいんだ。むしろイケメンじゃない方がいい。
だって中学の時にした無様な失恋が教えてくれたから。
――私ごときがイケメンに恋をしちゃいけないんだ、って。
✳︎
中学二年生の冬だった。
「……平野くん、好きです」
気づいたら告白していた。
ゆっくり一年以上かけて育てた恋心が、私の心をあふれ出すほど大きくなって、不意に口を飛び出していたんだ。
相手は男子バレー部の部長だった。長身の私を子ども扱いできてしまうほど背が高くて、華やかな顔立ち。リーダーシップも認められていて、とにかく人目をひく人だった。
バレー部の朝練が終わって、人のいない体育館の入り口。冬の朝の冷たい陽が、フローリングの床に密やかにうずくまっている。
「え……?」
返ってきたのは掠れた声だった。
彼の視線はあっちにいき、こっちをさまよい、決して私の視線に結びつかない。
明らかに狼狽していた。いや、違う、これは――。
「え、あ、うん……」
たっぷり数秒間言葉を探して、彼は気を取り直したように上手に笑顔を作った。
「いや……ありがとう。でも俺、山田のこと友だちとしか思えねーや、ははは」
取り繕った笑顔と、抑揚のない笑い声。そう、彼は私の告白に戸惑っていたんじゃない――
「俺、なんか勘違いさせちゃってたかな? ……ごめん」
“ドン引き”していたのだ。
「……ううん、こっちこそごめん!」
それだけ言うのが精一杯で、私はその場から駆け出した。
猛烈な恥ずかしさと居たたまれなさに、胸が粉々に砕かれてしまいそうだった。
それなのに、人生最悪の一日はまだ終わっていぬかった。
私が告白したことが、すぐに学年中に知れ渡っていたのだ。
朝、体育館にいたのは私たち二人だけだった。
それなのに、昼休みにはみんながそのことを知っていて、私を見てクスクス笑っている。
「ねぇねぇあの子でしょ? 平野君に告った子」
「すごいねー、よくあの顔でイケメンの平野君に」
「勇気あるじゃん、俺はそんけーするね。俺が女だったらそんなことできねーもん! ギャハハ」
イヤホンを耳に突っ込んで目を閉じても、言葉の刃物はどこまでも追いかけてくる。容赦ない言葉に傷をえぐられて、私の内側はもうぐちゃぐちゃだった。
「ちょーウケるんですけどぉ!」
その声に肩が跳ねた。気怠い話し声は廊下から聴こえてきて、ダラダラと誰かと言葉を交わしながら教室に入ってくる。
机に突っ伏してやり過ごそうとした。大丈夫、聞こえないフリをしていれば大丈夫……。
「ねー山田ちゃん、平野君に告白したんでしょぉ? ふふ」
思わぬほどにそいつは私に近づいてきた。隣のクラスの加賀美詩歌。学年一の美人で、自分の容姿が優れていることを誰よりもよく知っていて、それを利用することに長けている女。
同じクラスだった去年の春から、私は彼女に目をつけられていた。私の何が気に食わないのか、聞こえよがしに嫌味を言っては取り巻きとケラケラ笑っている。
今日も彼女の脇を固めた女子たちが大きな声で同調する。
「山田ちゃん、はじめましてぇ。わたしね、あんたのことお笑い芸人みたいな面白い顔だってずっと思ってたんだー。なんかネタやってよー」
聞こえないふりでやり過ごしたい。でも、彼女たちは無邪気に言葉の刃を尖らせ大きくしていく。
「鏡見たことあるー? ねぇねぇ、あたしのミラー貸してあげよか?」
ギャハハ、と下品な声が教室に響いた。そして女王がくすりと笑った。
「ねぇ山田ちゃんのために教えてあげるんだけどさ……多分傷ついちゃうと思うんだけどぉーでも今後のためだからぁー」
彼女は私のイヤホンを外し、猫撫で声でささやいた。
「平野君ね、ショック受けてたよー。“なんで山田なんかに告られたんだろ”って」
うんうん分かるーこんな子に告られたら、自分の価値が下がる気がするもんね、と周囲が沸きたった。
「山田ちゃん、恋をするのは自由だけどさぁー、ちゃんと相手を選んだ方がいいよ?」
加賀美詩歌は優しく諭すようにトドメをさした。
「今度は自分に合った人のこと好きになるといいんじゃない?」
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