3 革命

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3 革命

 つらい失恋を忘れようと、私は受験勉強に打ち込んだ。雑音を耳に入れないよう、とにかく何かに集中していたかった。そのおかげで第一志望のこの高校に入学することができた。  誤算だったのは、私を意地悪く話のネタにし続けた加賀美詩歌とまたしても同級生になってしまったことだった。しかも同じクラス。なんでこんなことに。  だからといってメソメソして過ごすつもりはなかった。  この女の嫌がらせには絶対に負けない。  たとえクラスの全員がこの女の配下に成り下がっても、私だけは屈してたまるものか。つらい中学時代を乗り切った鋼の精神力を見よ。私は、うじうじするのは嫌いなのだ。  ちらりと隣の席を見た。  朝のホームルームがまもなく始まるけれど、蒼太はまだ登校していなかった。先週松葉杖が外れて、もうすぐ足は完治するのだと喜んでいたけれど、まだ歩くのに不自由しているんだろう。登校がギリギリになるのはしょうがない。  加賀美詩歌は蒼太のことをキモいと騒いでいたけれど、周囲の人間も同調していたけれど。  私は見た目で蒼太を判断しないんだ。どんなに嫌味を言われたって、仲良くするのも絶対にやめないんだから。  そんな決意を改めて固めていた、その時。  がらり。    ドアが開いた。  チャイムと競うようにクラスに駆け込んできた人物に、みんなの視線が集まってぴたりと貼りつく。 教室中がどよめいた。  私もその人物に目をやって、そのままぽかんと口を開けた。  ――誰?  イケメンだった。  爽やかな短髪に、秀でたおでこ。はっきりとした目もとに、外国の俳優さんのように高い鼻。 そのご尊顔が、くしゃりと無邪気な笑顔を作って、なぜか私の方へと近づいてくる。 「おはよう鈴子、やっと眼帯とれたよ!」  え? えぇ?  教室内に無数の“!?”が飛び跳ねているのが見えた気がした。  みんなの疑問を、私の口が代弁する。 「そ……蒼太?」 「おう! いやぁやっとものもらい治ったんだよ。三角巾も外れたし」  話しかけてくる声もいつもと違って聴こえた。そうか今日はマスクもしてない、風邪も治ったんだ。  あーあ。  私は天を仰いだ。 「それでさぁ鈴子ー、今日提出の課題なんだけどさ……っておい、俺の話聞いてる?」  聞いてない。  聞いてないよ――!  頭突きする勢いで机に突っ伏した。  おい、鈴子どうした、眠いのか? と見当違いなことを聞いてくる声がやけに遠くから聞こえてくる気がした。  ――聞いてない……蒼太がこんなイケメンだなんて、全然聞いてないんですけど!!  ✳︎  これが革命というやつでしょうか? 私は呆れて頬杖をつくばかりだった。  牧蒼太の周りに女子が群がっている。“己の容姿に自信アリ”といった風情の女子ばかりが。  朝からずっとこの調子だ。ホームルームが終わった後も、授業の間の十分休みも、昼休みになった今も。  隣の席の私は、机を少し彼から離して、女子の皆さんが群がるスペースを確保して差し上げている。  眼帯とマスクで顔が隠されていた時は、私以外の女子は誰も蒼太に近づかなかったというのに。  “人は見た目じゃない”なんて言いますけれど、私もそう思っておりますけれど――牧蒼太に起こった革命的変化を目にしてしまうと、あぁやっぱり整った容姿の持つ力はなんと強大なんだろうと途方に暮れてしまう。  ほら、ご覧ください、蒼太のすぐ隣にぴったり貼り付いたお方を。  加賀美詩歌。つい先日まで蒼太のことを「キモい」だの「マジない」だのと罵っていた彼女が、今日はずっーと彼の隣に寄り添って上目遣いで甘い声を出している。なんと分かりやすい女性なのでしょう。  私は弁当箱を持って立ち上がった。  この席は居たたまれない。つい先日までは満身創痍の蒼太のお世話をして、仲良く会話していた席だから。  今や彼に私は必要はないのだ。彼が困ることがあったとしても、手伝いを買って出る人間は余るほどいる。  教室の入り口で遠巻きに蒼太を眺める女の子たちをかいくぐり、にぎやかな廊下をぐいぐい歩いて中庭に向かった。  さようなら、とすでに心が別れを告げていた。 校舎の外は五月晴れ。中庭の葉桜が誇らしげに新緑を天に差し出している。  痛いほど明るい陽射しを避け木陰のベンチに腰掛けると、ぽかんと口が開いてしまう。  ちょうどここは私たちの教室の真下にあたる。今ごろ3階の教室で、蒼太が美しき女子たちに囲まれているはずだ。  ――さようなら、私の新しい恋。  もう彼は見映えの悪い私のことなど気にもかけないだろう。  私が彼と仲良くできたのは、彼に近づく女子がいなかったから。それだけ。  短い間だけど、蒼太への片想いは楽しかったな。怪我で不自由な彼の役に立つのは嬉しかったし、何よりくだらないことを話して笑い合う時間が好きだった。  ――いい思い出だ。  そう、今なら“いい思い出”にできるんだ。“楽しかった”で済ませられる。  ここでこの身分違いの恋を諦めてしまえば。未練がましく片思いを長引かせて、この想いを伝えたりしなければ……。 「なんだよもうっ……」  蒼太の大バカ。なんでイケメンなんだよ。私は別に蒼太がイケメンじゃなくてもよかったのに。ていうか、ちゃんと顔がみんなに見える状態で入学してくれればよかったんだ。そしたら私だって、またこんな叶わない恋をしなくてすんだ。  ごしごしと目をこすった。あふれてくるものを止めたくて。  でもすぐにやめた。あんまりこするとまぶたが腫れて泣いていてのがバレちゃうし、ただでさえ細い目が消えて無くなってしまう。  ――もっと可愛く生まれたかったなぁ。  卑屈にはなりたくないのに、こんなこと考えたくないのに。思考が理性を無視して暗い方に進んでいく。  ――たとえば加賀美詩歌みたいにぱっちりと大きな瞳で、すべすべの卵型の輪郭だったら。華奢な肩で、守ってあげたくなるようなほっそりとした手足だったら……。 「あ、山田ちゃーん、こんなところにいたんだー!」  ぎくりと肩が跳ねた。  今まさに不覚にも憧れとして思い浮かべていた人物が、廊下の窓から身を乗り出してひらりひらりと手を振っている。 「……なに?」  私はベンチから立ち上がり、窓越しに彼女と対峙した。  先ほどまでの羨望を振り払って、ふん、と一つ鼻息を吐いて、返り討ちにする覚悟を固めた。  さっきまで蒼太にべったりだったのに、何を言いに来たのだろう。  なんとでも言え。言い負けるつもりはない。顔で負けても舌戦では屈しない。  強い覚悟で向き合った加賀美詩歌は余裕の表情で、くるりと巻かれた髪先をいじっている。 「山田ちゃん、今まで牧くんのこと面倒見てくれてありがとねぇ」  なんであんたが感謝するんだよと言い返す間もなく、クラスの女王様はとびきり豪華な笑顔を作った。 「でも、もう牧君と仲良くしないよねぇ? ていうかできないかー。だってまた中学生の時みたいになっちゃうもんね」  拳を握った。こいつ、こんなことを言いにわざわざ私のところに来たんだろうか。 「牧くんと山田ちゃん、お互いのために、もう彼には近づかないで、ねっ?」  懇願するように片目をつぶって、女王様はそんなことを命じる。     要するに彼女は釘を刺しにきたのだ。もう二度とお前ごときが牧蒼太に近づくな、と。  ――そんなこと……言われなくても自分で決意してたんだ。  キッと加賀美詩歌を睨みつけた。 「なんで私が好きこのんで蒼太のそばにいなきゃいけないのよ。たまたま隣の席だっただけですけど」 「えー、だって牧君と楽しそうに話してたからぁ。そんな強がり言っちゃって大丈夫?」 イライラする。あんたは怪我をした彼のことを気持ち悪がってたくせに。  ――もう無様な恋はしない。人に笑われるような片思いをしてたまるもんか。 「もちろん大丈夫」  私は断言した。続け様、胸を張って宣言する。 「私、蒼太になんか興味ないから。あんな男のこと、ちっとも好きじゃない!」  言われた方はふぅんと満足げに顎をあげた。 「山田ちゃん、自分の発言にはちゃんと責任を持ってよねぇ」 そう言い残して去って行く。 それを見送ることをせず、私はもう一度ベンチにすとんと腰を落とした。 言ってやった。これで満足でしょ? 私があんたのお気に入りに近づかなきゃ、それでいいんでしょ。 「ごほっごほっ」  不意に咳き込むような声が聞こえて――しかもそれが頭上から降ってくるようで、さらに言えばここ数日で耳に馴染んだ咳き込み方で――私は反射的に顔を上げた。  3階の窓から、誰かが身を乗り出していた。見上げた私の視線を避けるように教室の中に引っ込んだけれど。でも、微かに見えたあの坊主頭は……。   「蒼太……?」  確認しようと目をこらしても、もう窓からは誰も現れてはくれなかった。
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