アルプトラムⅠ ―夢見ぬ少女―

2/4
前へ
/9ページ
次へ
「名前はないの?」  あてもなく闇を進むふたりの道中、たわいのない質問と回答が繰り返されていた。 「B-88だ」  自分の胸にかすれた蛍光塗料で印刷された製造コードを指さす。 「そうじゃなくて、"あなたの名前"は?」  彼女はふるふると首を横に振る。  はじめ、彼女が何を言っているのかさっぱりわからなかった。よくよく聞けば、人間で言うところの姓名はないのかと訊ねているようだった。 「ない」  きっぱりと否定する。 「ないこと、ないでしょ? だって、あなたにもパパやママがいて、名前をつけてくれたはずよ? ほら、思い出してみて」  しかしそういわれても、これは自分のコードなのだからどうしようもない。  自分を造ったのは確かに人間だが、親と呼べるほどの関係でもない。  人間は僕に命令し、僕はそれに従った。  ただそれだけだった。  僕が、やはりそんなものはないと答えると、 「じゃあ、わたしがつけてあげる!」  彼女はそう言うと今度は悶々と頭を抱えて悩みはじめる。  思い付いた名前を口にするもすぐに、それじゃあ かわいくない……などとつぶやきながら、少女のふらふら歩きは大きくなっていく。  前がまったく見えていない彼女が夢の残骸につまづかないように、手を引いて方向を絶えず変えてあげるのに苦労した。  そしてようやく彼女の歩みが止まる。  その数瞬前には足の筋肉の動きの変化を読み取って、今度は彼女とほぼ同時に立ち止まる。  同じ過ちは繰り返さない。  それが僕の、僕たちの最も優れた点だった。  ふるりとこちらを振り返る彼女の頬には、わずかな ふくらみがみられた。  こっそりと秘密を教えるような、そんな表情でこちらに歩み寄る。背伸びをした彼女に合わせて、僕も頭を屈ませる。 「あなたの名前はねっ………『エイト』」  つと、その澄んだ声が演算機をふるわせる。『エイト』。耳元にささやいた彼女は、僕をそう呼んだ。  回路が停止し、意識が視覚に集中される、彼女の月光のような笑顔が時を満たしていた。  顔に手を当ててみると、幾分か回路が熱をもち始めていた。 「あり、がとう……」  そして僕は笑顔というものを少女に返し、彼女からの名前を受け取った。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加