5.練習はお終い

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5.練習はお終い

「それは、恋でしょ」 放課後の教室で、亜希に 瑞綺くんとの一連の出来事を 洗いざらい話すと、 彼女が得意げに言った。 「これが、恋なの?」 「恋でしょ! じゃあ聞くけど、 なんで練習なのが悲しくなっちゃったの?」 「え、それは……、うーん。 練習ってことは、 本当のデートじゃないって事で、 ってことは、 そこに気持ちは無くて、 形だけのデートってことだから……あ、そっか」 「でしょ?  本当のデートだったら良いのにって、 思っちゃったんじゃ、ないの?」 「あー……。うん。そう。 だから、悲しかったんだ、キスも」 「キスとか……! ビビるよね! それマジなの!?」 向かいに座っている亜希が、 口をあんぐりと開けて驚いている。 「うん……。 なんであんな事したんだろう。 練習のためなら、やりすぎっていうか、 いきなり、ひどい。 せめて事前に確認とって欲しかった」 「いや真奈、言っとくけど 事前に確認とるキスとか無し無しだから」 「そうなの?」 「うん。萎える」 「でも……」 「練習でしたの? 本当に?」 「練習だよ。 それ以外理由浮かばないし。 だってそう言って約束したデートだもん」 「うーーん。そうかなぁ? まぁ、真奈、でも結局ね、 どっちでもいいのよそれは。 真奈の気持ちが、一番大事なの」 「うん」 「真奈は瑞綺くんのこと、どう思ってるの? 瑞綺くんと、どうなりたいの? そこだけだから、大事なのは。 それを見失わないようにね」 「亜希って……」 「うん?」 「貫禄あるねぇ。 いろいろ経験し尽くしたおばさんみたい……。 とても十代の高校生とは思えない発言……。 いつも感心する」 「ちょっと! 人が真剣に話してればもう! 「ふふ。ごめん。 ありがとう、話聞いてくれて」 「でも、そう言う気持ちで悩んでる真奈、 可愛いよ。 夏休み前の紹介は、 ちょっと強引だったかなって 反省してたから、 恋の話ができて、私は嬉しい」 「私も、話したら少し落ち着いた。 亜希のおかげ。 どう思ってるのか、どうしたいのか、 考えてみる」 「うん、健闘を祈るわ」   そう言って 亜希は教室を後にした。 これが恋だとするなら、 自分の気持ちの取り散らかり振りも 説明がつくような気がした。 私の心は、 一体いつからそんなことになっていたんだろう。 思い返してみるけど、 はっきりとは分からない。 もしかしたら、 「練習」を引き受けた時にはもう 気になっていたのかもしれない。 自分では全く無自覚だった。 いつの間にか惹かれていて、 本当のデートじゃないことを 寂しく感じてしまっていたなんて。  亜希が行った後、 なんとなく手をつけた予習は、 気が散って全然頭に入らなかった。 恋って煩わしいし、面倒だな。 そんなことを思いながら、 机に顔を伏せて目を閉じる。 私はどうしたいんだろう。 どうすればいいんだろう。 「成瀬さん、起きて。 こんな所で寝てたら風邪ひいちゃうし、 危ないよ」 声がして目を開けると、 茜い夕日が教室にさしこんで、 さっきよりも日が落ちていた。 「え! 私、寝てた!?   うわ、びっくり」 「俺もびっくりしたよ。 さっき成瀬さんに電話かけたら この教室から音がして、 そしたら本人が寝てるから」 「瑞綺くん……」 「学校だけど、無防備すぎだよ。 こんなところで寝ちゃダメ」 「無防備とか。瑞綺くんが言いますか」 寝起きの頭で話を聞きながら、 ぼんやりしつつも 聞き逃せないワードがあって、 ムッとして、咄嗟に反論してしまった。 言ってしまってから、ハッとして、 完全に目が覚める。 何言ってるんだろう、私は。 「うん。昨日は、ごめん。 いきなり、強引に。 こんなんじゃ、 この間の痴漢と変わんないよね。 最低だった。 ごめんなさい」 私の隣の席に座っている瑞綺くんが 頭を垂れて、しょんぼりした声で言った。 「痴漢なんて、そんな風には、思わないですけど。 でも、びっくりしたし、 いくらデートの練習でも、 あそこまでするなんて思って無かったから」 言いながらまた泣けてきて、 鼻の奥がツンとする。 やがて目頭ら涙が滲んで、 目全体を潤してからポロポロと 頬の上を落ちていく。 鼻水まで垂れてきて、 ぐずぐず言っているのが恥ずかしい。 「ごめん、本当に。 可愛いなって思って。 そしたらつい、してしまって。 驚かせたし、嫌な気持ちにさせて、ごめん」 嫌では、なかった。 大混乱で何が何だか分かってないような  数分間だったけど、 抱きしめられたのもキスをされたのも、 後から思い返してみても、 嫌ではなかった。 ただ、謝られるたびに悲しくなって、 なんだか虚しい。 さっきから涙が出て止まらないのは、 そのせいだと思った。   「あの、私、練習、もうやめます。 昨日の感謝の気持ちと言葉は、本当で。 だけどやっぱり、 本当の恋人同士じゃないのに、 恋をするために練習をするなんて、 無謀だったんです。 気持ちがないのに、 ああいうことをするのは、虚しいです。 だから、やっぱり、辞めましょう」 眉間に皺を寄せて、 苦しそうに、泣いてしまいそうな顔で、 私を見つめる瑞綺くんを 真っ直ぐ見て、 私は自分の正直な気持ちを言葉にした。 「うん。分かった。 そうだね。そうしよう。 成瀬さん、本当に、傷つけてごめん」 下を向きながら、掠れた声でそう言うと、 瑞綺くんは立ち上がって教室を出て行った。 窓を開けて、 茜く染まった雲を眺めていると、 夏の湿り気の消えた 少し冷えた風が首のあたりを抜けていった。 日が落ちる時間も日々早くなっている。 暗くなる前に帰ろうと 窓を閉めて鞄を持つ。 薄暗い廊下を歩きながら、 「本当の別れ話みたいだったな」 と思った。 もちろん、 本当の別れ話を経験したことがないので、 あくまで予想だけれど。 だけどなんだか本当の別れまで  経験してしまったような 悲しい気持ちだった。 「でも違うか。練習だもんな」 きっと本物の恋でのお別れなら、 こんなの比にならない位、辛いのだろう。 まだ始まってもいなかった私の恋。 本物になる前に、終わってしまった。
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