6.逃げられない気持ち

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6.逃げられない気持ち

瑞綺くんとデートをした後、 恋をするための練習なんて辞めようと 決めた時から、 1ヶ月が経っていた。 あれから、瑞綺くんとは話していない。 会うことも無くなった。 連絡を取り合うことがなければ、 関わり合うこともなく、 出会う前と同じように 時は過ぎていくのだった。 たまに校内で見かける瑞綺くんは、 相変わらず美しくて、 高い身長にスラリと長い手脚、 シャープな輪郭に涼しげな表情で、 学校中、関わる人皆の視界と心を奪っては、 キラキラと注目を集めている 天上人みたいだった。 今となっては、 瑞綺くんが女子を苦手としていることや、 彼の可愛らしいリアクションや、 優しい眼差し、 そういうの全部、 夢だったんじゃないかと思えるくらい、 交わらない世界線の人だったんだと痛感する。 だけどあれから、私にも変化が起きた。 見なりに気を遣うようになったのだ。 気を使うと言うか、完全に興味を持った。 メイクをしてみたり、 休日に着る服を買ってみたり、 そういうことが楽しくなったのだ。 メイクの方法や、 コーディネートなどを亜希に聞いては、 少しずつ取り入れている。 今はそれで十分で、 恋愛はやっぱり、もう少し後でいい。 瑞綺くんと過ごした短い期間、 心の振れ幅が大きすぎて、疲れてしまった。 彼といると、心地よくて、嬉しくて、 トキめいて、 弾むように気持ちが浮ついて、 それは気持ちよくて楽しいけれど、 だけどそれだけでは済まない。 喜びに大きく振れた分だけ、 ちょっとした言葉に胸を痛めたり 自分の魅力のなさを目の当たりにしたり、 自分と相手の 気持ちの差に気付いてしまったり、 落ち込みに振れる幅も大きい。 それらを受け取る覚悟がまだ出来ていない。 辛い思いをするくらいなら、 喜びを受け取る勇気も出せない。 あの日開きかけた私の恋心は、 簡単に萎んでしまって、 つまりは恋愛する器が無いのだ。 だけどそれで良い。 だって瑞綺くんは私がそんな勇気を出すこと、求めていない。 彼が私と関わってたのは、 苦手を克服する練習のためで、 恋愛を知るためではあっても、 恋愛をするためではなかったのだから。 放課後、 図書館でうだうだと考えながら 勉強していると、 スマホにメッセージが来た。 確認すると、下野くんからだった。 瑞綺くんとのデートの日に 再会した下野 渉くんからは、 あれからちょくちょくメッセージが 来るようになっていた。 亜希たちカップルのことか、 学校の勉強のこととか 日常のこととか、 他愛もないやり取りだ。 それが1日一往復くらいのペースです ほぼ毎日続いている。 下野くんにも、あれから会っていなくて、 メッセージだけでのやりとりだ。 それもまた不思議な感じがしているけど、 断る理由もなく、 無視する気持ちにもなれなくて、 連絡がくるまま、やりとりを続けていた。 メッセージを開くと 「部活の試合が落ち着いた! よかったら今度お茶しませんか(^^)」 と来ていた。 どうやら下野くんという人は、 サッカー部に所属していて、 その部活が割と忙しいらしいのだ。 それでいて進学校で、 勉強も忙しいので あまり遊んだり出来ないらしい。 「連絡先を交換した後、 ずっと連絡できなかったのは、 俺が怖気付いてたのもあるけど、 バタバタしてたのもあって……」 と、最初の方のメッセージで言っていた。 「だけど真奈ちゃんの事、本当は知りたくて。 出来ることからやってみようと思って」 とも言っていた。 『出来ることをやる』 とても前向きだ。 他人事みたいに、感心してしまう。 私は私の恋心のために ちゃんと出来ることをしていただろうか。 ふとそんな疑問が浮かんで、 心臓がキュウっとなった。 どうしたらいいのか分からなくなって、 考えるのは辞めて、 下野くんへ返事をした。 「うん、いいよ」 と送ると、 日程調整のやりとりがあり、 結局次の木曜日の放課後に会うことになった。 恋をするための練習をすることで、 メイクやオシャレの楽しさを知ったり、 男の子と連絡を取り合うことに少し慣れたり、 私の日常は少なからず変化した。 たぶん、良い方向に。 瑞綺くんと出会わなかったら、 男子だって悩むこと、 一人の人間なんだと言うこと、 女子にに緊張したりするイケメンも いるんだということ、 着飾るのは、 よく見せるためだけではなくて 自分のためにするのだということ、 何をするわけでもなくても 二人でブラブラと歩くだけで 楽しいということ、 そういうことを知らないまま、 一人の世界で過ごしていた。 恋をする勇気も、傷つく覚悟も つかないままだけど、 後悔はしていない。 少しの期間だけでも、 瑞綺くんと過ごせて良かった。 だけど私は、 彼になにかしてあげられただろうか。 何も教えてあげられなかった上に 傷つけてしまったような気すらする。 もう一度会って、 あの日のことについて話を聞きたい。 そんな気もした。 だけど予感している 不安が的中したらどうしよう、 そう思うと怖くて、 このままでいい。 そう思ってしまうのだった。 ノートに向かっても、 頭の中で考え事が次から次へと浮かんでしまい まるで勉強に身が入らないので、 教科書もノートも仕舞って、 帰る準備をした。 帰り際、図書館の本棚を 眺めながら歩いていると、 デートの日に瑞稀くんが買っていた文庫本の 小説が、目に留まった。 手に取って中を見る。 あらすじや中身を大まかに読むと、 自分に自信の持てない男の主人公が 恋をして変わっていくというような 話のようだった。 瑞綺くんとは似ても似つかないような 設定の主人公。 だけど彼はこの主人公に 感情移入しているのだろうか。 どうして、あれだけの美貌や体型を持って、 モデルまでして活躍しながら、 彼はいつも、 自信を求めている感じが拭えないのだろう。 最初はそこに興味を持ったのだ。 自分と同じ自信のなさの匂いがする。 だけど、こんなに華やかな人が、どうして? それが気になって、 もっと知りたいと思ったのだった。 背後に人の気配を感じて 振り返ると、 瑞綺くんが立っていた。 驚いて、声が出ない私に、 瑞綺くんは、優しく微笑みかけて 「それ、借りるの?」 と聞いてきた。 「いや……」 「俺は、面白いなって思ったよ」 「そっか」 「……」 何を話せばいいのか分からなくて、 無言になってしまう。 「元気?」 「はい、元気ですよ。 瑞綺くんは元気ですか?」 「うん、まぁまぁね。 あ、成瀬さん」 「はい」 「俺、来週出るカルチャー雑誌のサイトで 結構大きく扱われてるんだ」 「へぇ、そうなんですか」 「うん、それでね、もし嫌じゃなかったら それを見て欲しいなって思って」 「はい、別に良いですけど」 「やった。ありがとう。 じゃあ、後でURL送るね。 あとね、俺さ、 成瀬さんのおかげで変われた気がするんだ。 女子がとかどう思われるかとか、 そういうのをすごく気にしてたけど、 でも、そういう俺を出す度に、 成瀬さんは肯定的な意見をくれて。 勇気をもらってた。 正解とか否定されない方法を 探してた気がするんだ、俺。 だけど、 そうじゃないなって、思えてきたんだ。 俺、こうしたいっていうのが、見えてきて。 全部、成瀬さんのおかげだと思う。 ありがとう」 聞きながら、胸が詰まる。  何か言いたいけど、 なんて言葉にして良いかわからない。 私だけが、 一方的に受け取っていたわけじゃなかった。 瑞綺くんにも、何か渡せていたんだ。 その事が、とても嬉しい。 「あとさ……」 「はい」 「メイク、 そごく似合ってるなって思った。 自分でしたの?」 「はい。亜希に教えてもらったりして……」 「そうなんだ。めっちゃ可愛い。 ふふ。メイクしてなくても、可愛いけどさ。 どっちも可愛い」 「やめてください」 「あ、照れてるー」 そう言って、整った顔をクシャッと崩して 人懐こく笑う。 その笑顔が可愛いらしくて、 メイクに気付いてくれたことが嬉しくて、 気持ちが込み上げて、涙が滲む。 「成瀬さん、この間は、本当にごめんね。 またこうやって話してくれて、ありがとう。 俺も、頑張るからね」 そう言って手を振ると 瑞綺くんは歩き出した。 その後ろ姿が、名残惜しい。 引き留めたい。 もっと話したい。 いろんな話がしたい。 いろんな顔が見たい。 一緒に過ごしたい。 一緒に笑いたい。 支えたい。 力になりたい。 伝えたい。 瑞綺くんが好きだと伝えたい……! 鍋から水が吹きこぼれるように、 私の中から気持ちが溢れてこぼれ落ちる。 動かなきゃ……! そう思って 訳も分からないまま、 私は彼の名前を読んでいた。 「瑞綺くん」 「うん?」 「えっと、えっと、 今度私と、 またお話ししてくれませんか?」 「え、うん。もちろん。いつ?」 「今度、また連絡します」 「うん。了解」 そう伝えて、図書館を後にした。 今日、瑞綺くんと会って、 私は自分の気持ちがやっと見えた。 それはもう逃げられないくらいの 大きな気持ちで、 だからもう降参してしまおう、 そう思えて 覚悟が決まった。 亜希は以前私に、 瑞綺くんのこと どう思ってるの? どうなりたいの? と問いかけた。 私は瑞綺くんが、好きだ。 練習じゃなく、本当の恋人になりたい。 それがたとえ、可能性がゼロなくらい、 無謀なことでも。 私は私の気持ちを、認めたい。 自信を持ちたい。 この気持ちのために、出来ることがしたい。 そう思った。 告白しよう。 自分のために。 この気持ちを伝えよう。 そう決めたら、 瑞綺くんのことを考えるだけで、 心臓が跳ねて煌めき出す。 お腹の底からパワーが湧いてくる。 恋をしている。 それだけでこんなにも世界は変わるのだと 知った。
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