1.君に似合わない悩み

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1.君に似合わない悩み

「じゃあ俺と練習しない?」 立花くんが真っ直ぐにこちらを見て言うので、 私の視線はもう、 その綺麗な顔から逸らすことができなくなった。 時間差で言葉を咀嚼して 解釈に頭を巡らせるけど、 一体何を練習するのか分からなくて、 だけど緊張で声が出ない。 瞬きを繰り返しながら固まっていると、 長いまつ毛を上下させながら 私の様子を観察した立花くんが 「大丈夫?」と聞いてきた。 「あの……練習って何の?」 思い切って声を出すと、 やっと少し緊張が解けて、急いで目を逸らす。 息を止めていたわけではないのに、 目を逸らした途端に息をするのが楽になった。 「えーと。 練習っていうのは。 異性に慣れる練習っていうか。 恋をするための練習?みたいな」 ダメだ。 ひとつひとつの言葉の意味は確認できて 頭に入ってくるのに、 連なって放たれた文章の意味が全く分からない。 一体どうして私と瑞綺くんが、 恋をするための練習を一緒にするなんて話を 瑞綺くん本人に提案されているんだろう。 頭の中にハテナがたくさん浮かぶけれど、 何からどう質問すればいいのか、 というかそもそも質問してもいいものなのかも 分からない。 それに緊張でもう、 この場にいるのが辛い。 当たり前だ。 勉強一辺倒の私には無縁の 校内で女子の話題にならない日はないような 立花瑞綺くんが目の前にいるのだ。 そういう話題に疎い私だって知っている。 彼はモデルの仕事もしているらしい。 そして、普段どんなに関心がなくても、 美しさというのは一瞬で 視界も心も占めてしまうものなんだと 思い知る。 謎の提案と 慣れない状況と、 目に飛び込む煌びやかな情報に、 私の頭は完全にキャパを超えてしまった。 「あの、えっと……、 私、もう行かなきゃなので。 失礼します。 眼鏡、ありがとうございました!」 それだけ言い放って 私は走って教室を後にした。 無我夢中で教室まで走り、 自分の席に座ってうずくまる。 少し落ち着いてから、 立花くんが追ってきたりしていないのを 確認して、ホッと一息ついた。 放課後の教室は無人で、 窓から見える校庭からは バットがボールを打つ音や、 走る掛け声が遠く聞こえてくる。 いつもと変わらない放課後。 だけど今しがた起きた非日常に 心も身体も追いつかなくて、 乱れた息を整えながら呆然と反芻する。 「え、 えええええぇぇぇぇ!? 一体何が、起こったの……?」 遡ること1時間前。 私はひとり視聴覚室にいた。 放課後ノートが無いことに気づいて、 最後の授業で使った視聴覚室に 取りに戻ったのだった。 自分の座った机の下に 備えついている棚を見ると、 無事ノートを発見できた。 手を入れて取ろうと下を向いた拍子に 眼鏡がスルンと滑った。 そしてそのまま椅子に当たって カシャンと跳ねて床に落ちてしまった。 「えぇー! 落ちた……」 急いで床を見るけれど、 パッと見ても眼鏡が見当たらない。 というか、眼鏡をかけていないのでよく見えない。 そんな小さい物でもないのだからと 目を凝らすけれど、 視界には床の紺色がぼんやりと映るばかりで メガネらしきものが見当たらないのだ。   私は、自分の第二の足といってもいい位、 無いと身動きがとれなくなる眼鏡を こともあろうか見失ってしまったのだった。 いつもはコンタクトをしているけれど、 今日は目がゴロゴロして眼鏡にしたのだ。 かけ慣れていないから、 無くさないように気をつけていた つもりなのに。 置き忘れた挙句、 落として見失ってしまうなんて。 我ながら鈍臭くて嫌になる。 その場にしゃがんで、 机の下の床にあちこち手を伸ばして 眼鏡を探す。 だけど手にそれらしきものは当たらない。 「えぇー、困ったなぁ」 困ったと言っても探すより他ないほど切実だ。 眼鏡がないと全然見えなくて、 歩くのもままならないのだから。 次々と手を伸ばして 近くの床を確認していくけれど、 見つからなくて途方に暮れてしまう。 「どこ行っちゃったの…」 ため息まじりにそう呟いた時、 視聴覚室のドアがガラッと空き 急いで閉める音がした。 「いや、ええ! 無理、無理無理。 俺、そういう仕事はまだ……」 どうやら、誰かが視聴覚室に入ってきて 電話をしているらしい。 一体誰が入ってきたのだろう。 入り口付近に視線を向けるけど、 声と背格好から 男子が入ってきたということしか見えなくて、 誰ということまでは分からなかった。 「いつならとか分かんないよ。 女子とか、普通に話すのも難しいのに 近づいたり触れたりとか、 正直キツい」 私がいることには気づいていないのか、 電話で話続けている。 なんの話だろう。 「うーん。まぁそうだけど。 それは分かるけど。 うーん。ちょっと考えていい? まだ覚悟決まんない。 分かってるけど。 うん。ごめん。じゃあ後で」 電話を切ったのか、会話が終わった。 「はぁ、まじどうしよう。 女子と絡むとか、無理ー」 話していた男子の 大きなため息とひとりごとが 静かな教室内に響いた。 プライベートな内容を勝手に聞いてしまって 申し訳ないのと、 男子に話しかけるというハードルが高くて できればこのまま隠れていたい。 だけど、いかんせん眼鏡が見つからない。 このままだと何も見えなくて、 身動きが取れない。 これは逆にラッキーなのかもしれない。 厚かましいかもしれないけど、 勇気を出して 眼鏡を探してもらえないか聞いてみよう。 視界がおぼつかないことに切羽詰まった私は、 焦りに背中を押されて 男子に声をかけてみた。 「あの……」 「うわっ……!  びっっくりした……! え、人いたの……」 「驚かせてすいません。 あの、私、お願いがあるのですが……」 「てか、今の聞いてた!? よね!?」 「今の? ですか?」 「うん」 「え、はい。聞いてました。」 内容はよく分かってないけれど、 確かに聞いてしまった。 聞いてはまずい内容だったのだろうか。 なんだか彼の勢いが強くて、少し怖い。 「だよね。やっぱ聞いてるよね。 うわー、恥ずかしい。 はぁ。あのさ……」 「はい」 眼鏡の事を話すタイミングが測れないまま、 話題が進んでいく。 男子と話すって、難しい。 裸眼なので、彼の顔はやっぱりよく見えない。 ただ声は、 澄んで響く綺麗な声だなぁと感じた。 「今の会話、誰にも言わないでくれない?」 「え?」 「バレるとまずいっていうか。 いや別にいいんだけど、 でもなんか、うん。 やっぱりバレて色々言われるの嫌だから、 できれば黙ってて欲しい」 「……」 「聞いてる?」 「あの、それって、 女性が無理とか言っていた話ですか?」 「うん。それ」 「なんで、無理なんですか?」 「うーん……恥ずかしいけど、 女子が苦手なんだ。 話すのとか緊張するし、 テンパるし、 どうしていいか分かんないっていうか。 ダサいけど……」 「ダサいことなんでしょうか」 「え?」 「恥ずかしいことなんでしょうか。 だって何も、悪いことしてないのに。 ただ苦手なだけなのに。 なんだか、悔しくないですか?」 「え? どうしたの?」 「あの、その気持ち、私、少し分かります。 私、男の子、苦手で。 声とか大きくて、ちょっと、怖いし。 でも別に、困ってなかったんです。 だけど、高校入ったら、 友達には彼氏が出来て。 それは喜ばしいんですけど! なんか恋愛の話、全然分からなくて。 ちょっとだけ寂しいなぁって。 私は別に、興味無いからいいんですけど。 今は勉強が楽しいし。 ただなんか、 友人は本当に恋を楽しんでるから、 異性に対してそんな風な気持ちを 抱けない自分というのが、 変なのかなと思ったりして。 でも、興味無いものはないし、 男子だって苦手だし。 周りはそんな私を、ウブだねとか言って。 そんなつもりは無いと分かっていても、 なんだか私は欠陥があるような   気がして…… ダメみたいに、思ってしまってて。 あ、でも私とあなたは 理由とか違うと思うんですけど、 でも分かるなって、思って。 って、何の話だ……? あ、そうだ、黙っててほしいって 言ってましたね。 えっとあのだから、 別に言ったりしませんよ。 黙ってます。 オッケーです。」 本当はさっき、 彼の言っていた言葉に 自分の中のわだかまりや寂しさが反応して、 途中から共感してしまっていたのだった。 言うつもりなんてなかったのに。 黙っててと言う彼に また自分を重ねて、 眼鏡のことも吹き飛んで つい長々と伝えてしまった。 言い終わってから、 ベラベラと話したことが 急に恥ずかしくなってきた。 彼がどんな顔をしているか確認したいけど、 眼鏡が無いからやっぱり見えない。 もう何を話したらいいか分からなくて、  沈黙の中、 顔がどんどん火照って熱くなる。 ノートを取りに来ただけなのに、 私は一体何してるんだろう。 「君って、名前なんて言うの?」 「え、私は、成瀬真奈です」 「成瀬さんか……」 「あの、あなたの名前は?」 普通、 名前を聞くときは名乗るものではないのかな? なんとなく違和感を感じたのと、 顔の見えないこの男の子が 誰なのか興味が湧いて、 名前を聞いてみた。 「え!? おれ? あ……っと、ごめん。はい。 俺は、立花瑞綺といいます」 立花瑞綺…… なんか聞いたことある名前だな…… 「え? あれ…!? 立花瑞稀って、あの モデルの? よく皆が騒いでる? ってあ、呼び捨てにしてごめんなさい」 「いや全然。てかあれ?  俺のこと、知ってたんだね」 「え、はい。というか、 この学校で知らない人は いないんじゃないですか?」 「でもなんで知ってるのに、 名前聞いて驚くの?」 「あ! えっと私今、見えないんです。 眼鏡を見失ってしまって。 さっきからずっと見えなくて、 どうしようと思ってたら、えっと…… 立花くんが入ってきて」 「そうなの⁉︎ 眼鏡見失ったって何? どこで?」 「さっきこの机のところで落としてしまって。 手探りで探したけど見当たらなくて」 「あぁ、見えないもんね?  ちょっと待ってね」 ぼやけた視界の中の男の子、 もとい立花くんがしゃがんで、 眼鏡を探してくれるのが分かる。 話している男子が、 まさかあの立花瑞綺くんだったなんて。 遠巻きに見たことがあるだけで、 声も聞いたことは無かったから、 分からなかった。 というか正直今も信じられない。 この学校で彼のことを知らない人は、 たぶん一人もいないんじゃないだろうか。 それくらい、有名で希少な同級生。 だって私ですら知っている。 名乗らずに名前を聞いてきたことも、 今なら違和感を感じない。 「あったよ!  ベージュと茶色の縁の眼鏡かな?」 「あ、それです! ありがとうございます」 「はい、手だして?」 手のひらを広げて出すと、 そっと眼鏡が置かれた。 もう一度、ありがとうと言って、 眼鏡をかける。 さっきまでぼやけていた視界が輪郭を持って ハッキリと映し出された。 そして、 瑞綺くんの立っているだろう方向へ ゆっくりと顔を向けた。 そこには見たことないくらい 美しくて背の高い男の子が立っていた。 思わず息を呑む。 そのまま呼吸を忘れてしまいそうな位、 美しい人だ。 薄く発光したように白く澄んだ肌。 どこを切り取っても シャープな輪郭に身体の線。 額を飾る艶めいた前髪と力強い眉毛。  長いまつ毛の下に光る瞳は大きくて、 映る景色まで美しくする力を宿していそうだ。 見慣れた視聴覚室にくっきりと浮かび上がった 幻みたいだと思った。 ガタガタッ 「いたっ」 「え、大丈夫?」 「あ、大丈夫です。全然」 美しさに圧倒されて無意識に後退りした結果、 足がもつれて転んでしまった。 恥ずかしい。 お礼を言って早くこの場から 立ち去ってしまいたい。 「あの、眼鏡ありがとうございました。 助かりました。 あの、さっきのことは誰にも言いませんので、 大丈夫です。 それじゃあ」 目を合わせないように少し下を向いて 早口で伝えると、 素早く向き直り 出入り口の方向へと歩き出した。 「あ、待って」 出て行く私を止めようとした立花くんが、 後ろから腕を伸ばして 出入り口のドアが開かないように手で止めた。 つまり、 後ろから壁ドンされているみたいな状態だ。 「えっ……!」 「わ! ごめん!」 私の前に伸びていた手がスッと引っ込む。 私は、緊張しながらゆっくりと振り返った。 顔を見るのは緊張するので、 ちょうど目線の先にある 肩の下らへんを見ながら、 彼が引き止めた理由を待った。 「さっき、男子苦手って」 「あ、はい。」 「恋愛も興味無いって」 「はい」 「俺もさ、一緒で。 女子苦手だし、恋愛もしたことなくて。 こんな仕事してるから、 いろいろ夢持たれるけど 実際の俺は全然カッコよくなくってさ。 恋愛に、いいイメージもないし。 正直まだ全然無理って感じで。 だからさっき成瀬さんが分かるよって 言ってくれたの、結構嬉しかった。 恥ずかしくないじゃん!  って言ってくれたの、嬉しかった」 「いえ、そんな。私も一緒なので、 自分と重ねて言ってただけなので」 「恋愛について分からないの、 少し寂しいって言ってたじゃん?」 「はい」 「恋愛とか、したいって思う?」 「え、まぁ……いつかは」 「じゃあ、俺と練習しない?」 ここが今日のハイライトで、 テンパった私は逃げるように教室を後にして、 今に至るのだ。 時計を見ると午後の六時で、 もう三十分近くも呆然と回想していたのかと 自分に驚いた。 「はぁぁ」 無意識にため息が漏れて頬に手を置く。 顔が熱くて、触れる手が冷たく気持ちがいい。 さっきの出来事から大分時間が経っているのに、 回想したことも合間って火照りが治らないのだ。 「恋をするための練習……」 私にとって恋なんて、 夢に見ることもないくらい遠いものだ。 確かに寂しい。 恋できない自分を、否定的にも感じていた。 だけど、 練習しようなんて思ったことなかったな。 「変わった人だな」 瑞綺くんは、なぜあんなことを言ったんだろう。 その日の残りはずっと、 この疑問と今日起きた出来事の反芻で、 よく眠れなかった。
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