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紫がかった美しい青色と言っていいだろう。
〈瑠璃色〉に染められたワンピース。
その布地には円錐状の〈朝顔〉。
その瑠璃色に白いラインで無数に描かれている。その朝顔は咲いていたり、蕾だったりする。
ワンピースの裾がふわり、と揺れる。
その波打つラインに目を奪われる。
つい、見惚れてしまう。
美しい線状の指先が差し出される。
僕はそれを受け取り、機械にかざす。
銀色のトレーにコインの金属音がすると、それを受け取りレジに入れる。
無造作に聞こえる音。
ジャラジャラジャラ。
出てきたお釣りをトレーに戻すと、スーッと伸びてくる白い爪。
「ありがとう」
「ありがとうございました」
絹糸みたいな黒髪と、青い朝顔が目の前で靡くと、彼女は幽霊の様にコンビニの出入り口に消えて行った。
いつもの朝の光景だ。
僕の朝はこうやって始まる。
このコンビニという狭い限られた空間。
早朝から始まるアルバイト。
いつも来てくれる瑠璃色の服の女性。
朝にしか来ない。
昼間は来ない。
全体的な雰囲気は、物静かでひっそりとしていて寂しげ。白肌から覗く瞳は、よどみない美しいガラス玉の様。
彼女を色で表すなら、絶対に〈青〉だ。
そして、朝にしか咲かない〈朝顔〉みたいだ。
「おい!そこのバイト!」
しまった!ボケッとしていた!
「は、はい!何でしょうか?」
「昨日ここのコンビニで買った弁当に虫が入ってたんだ!どうしてくれる?今すぐに交換しろ!!」
そのお客は、ドカドカとレジ前にやって来て、食べ散らかしたお弁当をドカッとレジに出す。透明な蓋は半開きで、中身のきんぴらごぼうがダラリ、とレジに転がり出る。
レジが汚れるじゃないか。
指を差している場所には、確かに小さな羽蟻みたいな虫が混入している。
狭い空間にひしめき合う数匹の虫たち。
うじゃうじゃ……
パタパタ……
まさか、わざと入れたんじゃ?
「何だ!その目は?!」
「あ、え、えっと……」
僕がたじろぎながら困っていると、気付いた店長が裏から出てきた。
「申し訳ありませんでした!今すぐ新しいものと交換致しますね!不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした!」
店長が僕の頭を上から押して、一緒に深いお辞儀をさせられる。
ぐい、ぐい、ぐい……
手の圧が強くて痛い。
いや、たぶん、この人クレーマーですよね?
そのお客は新しいお弁当を持って、上機嫌でコンビニを出て行った。
そして僕は後で、店長にこっぴどく怒られるのであった。嫌な日だ。
バイトが終わり、お昼ごはんの余り弁当をぶら提げて家路を歩いていると、道の先に人集りができているのに気付く。
ざわざわ……周りは騒然としている。女の人の泣き叫ぶ声も聞こえる。
近くに停まっている救急車の赤いランプが回る。くるくるくるくる……
何かの事故か?
鼓動が揺れる。妙な予感を感じながら、その横を通り過ぎると……血塗れで倒れている人の顔が横目に見えた。
……え?
あれ?
さっきのクレーマーのお客だ。
着ていた白いワイシャツは、血の池に沈んで紅色に染まり、胸の辺りには車のタイヤ痕が付いている。その近くには、ドロドロした内臓が飛び散っていたり、破裂した肉片がこびり付いていたりする。
オエッ!
僕は手で口を押さえ、怖くなって駆け出した。
次の日の朝、人手が足りなくて、最近入ったばかりの女の子と一緒の時間になってしまった。
「先輩、これどうやるんですか?」
「これは、こうやって……」
もうすぐで朝顔の彼女が来るはずだ。僕は壁に掛かっている時計が気になり出す。
カチカチカチ……
僕の気持ちを焦らすように針が回る。
ドキドキする……
鼓動が早く波打つが、今日は邪魔者がいる。
せっかく、彼女との2人だけの時間なのに。
来客の音がピンポーン!と流れると、急いで入り口を見入る。
瑠璃色のワンピースに鶴のように美しく伸びた白足。
艶やかな黒い髪糸。
青い色に揺れる朝顔。
今日は一段と美しい。
その光景にまた見惚れ、ドクドクする心臓が体全体に熱を循環させていく。
耳の奥まで振動させるような脈動。
来ちゃったじゃないか!この子を早く裏に帰さなくては!
「ねぇ?ここはいいから、裏で飲み物の補充してくれない?」
「えー?先輩と一緒に仕事したいのに」
「はい?」
「先輩、バイト終わったら時間あります?
どこか遊びに行きませんか?」
「えぇ?!」
それは一瞬だった。
どこかから伸びてきたツルが、目の前の彼女の口の中にドシュッ!と突き刺さり、迷わず後頭部まで貫通。
ビシャッ!
脳みその一部が弾ける。
レジ後ろの白い壁には赤色の飛沫が飛び散る。
それは鮮やかすぎる赤色の絵の具の様。
ツルが一斉に戻っていく。
離れた棚と棚の隙間を抜ける。
ヒュル、ヒュルリ。
目の前のだらしない身体は、レジ裏に雪崩れ落ちる。
……え?
し、死んだ?
そこに倒れている死体を見下ろすと、白煙を上げながらジュワッと干からびていき……瞬く間に黒褐色に変色。
腐り果てたミイラに変貌を遂げる。
「うわぁぁぁぁー!!!」
目の前に気配を感じると、
いつもの朝顔の彼女がレジ前にゆるり、と立っていた。
気配を全く感じなかった。
僕は彼女の美しい白色の顔と、そこに倒れている黒褐色の顔を交互に見比べる。
彼女は何もなかったかのような表情で、レジに円錐状の何かをそっと置く。
それは青い〈朝顔〉。
彼女の小さな手のひらからは、ニョロニョロと細いツルが伸び縮みを繰り返す。
それはウジ虫が密集しているかの様で、その細い管はこちらに向かって蠢いている。
彼女が青く、美しく、微笑む。
脳みそに何かの映像が降り掛かってくる。
微かに聞こえる蝉の鳴き声。
木陰に見える青。
金網の深い緑。
僕は金網に絡み付いた朝顔を解く。
それを仲間のいる所に絡み付けてあげる。
しぼんだ青い蕾の朝顔。
朝にしか咲かない花。
また別の日。
僕は木陰で、顔やら腹やらを数人に殴られる。
鉄分の味が口内に広がる。
じわじわ……
重なり合う蝉の合唱。
意識が朦朧とする中で揺蕩う日光。
伸びてきたツルが数人に絡みつく。
悲鳴と共に走り去っていく靴音。
目先に微かに映る青い蕾。
……思い出した。
あの時、助けてくれたツル。
青い朝顔、それは……
「き、君だったんだね。あの日、僕を助けてくれたのは」
「うん。やっと思い出してくれた?」
「ここに毎日来てくれたのは……」
彼女は健気な微笑みを浮かべると、白い右手のひらを僕に向ける。ツルがひしめき合って蠢く。
「あなたを愛しているからよ」
ツルの先端が、一気に目の中に飛び込む。
瑠璃色のワンピースを一気に突き破り、四方八方に広がるツル。
狂うように乱暴に、棚や物をなぎ倒し、ガラス窓を突き破る。
硬いのに柔らかい感触が僕の体をぐるぐるに締め付けると、身体がふわりと浮上する。
うねうねするツルの先。
ギュッ
ギュッ
ギュッ
幾重にも重なる痛みは、やがて僕の身体を支配すると、彼女の愛に抱き締められているかの様な快感に変わる。
「あなたに助けてもらったあの日から、ずっとあなたを見ていたの。あなたに恩返しがしたかった。あなたをずっと愛しているのよ。私たちの邪魔をする者は許さない」
僕は幸せの渦中に沈みながら、目の前の巨大な青い花だけを見つめる。
世にも美しい朝顔。
その開いた花びらに引き寄せられる。
「青い朝顔の花言葉は〈儚い恋〉。朝にしか開かない私に、とてもぴったりでしょう?」
「そして、朝顔の花言葉は……
〈愛情〉
〈結束〉
〈私はあなたに結びつく〉」
大きな花びらに抱き止められると、
僕の身体は螺旋状にぐるぐると悲鳴を上げて
砕かれていく。
咲き乱れた朝顔は蕾に変わる。
青い結束に包まれながら……
もがきながら
彼女と僕は愛し合う。
end
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