今日からよろしくお願いします

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        「……忘れ物、大丈夫だよね」  暗い部屋の中でぽつりと呟くと、思ったよりも響いて少し驚いた。  明日はバイトの初日。きっとすごく疲れるだろうから、今夜はしっかり寝ないと。そう思っているのに緊張からか興奮からか、なんだか目は冴えっぱなしで眠気はちっとも訪れてくれなかった。 「困ったなぁ……、寝不足顔じゃメイク前からオバケだよ」  そう、私は明日、オバケになるのだ。 『遊園地のお化け屋敷スタッフ募集。長期歓迎。リアリティ溢れる恐怖を一緒に演出しませんか?』  そんな言葉に惹かれて面接を受け、無事に採用されたのが先週。渡された書類には注意事項と持ち物一覧の他にキーホルダーが一つ同封されていた。  ベッドの横にはリュックが置いてある。寝転がったまま首をひねってそれを見た。  お気に入りの黒いリュック。暗闇に慣れた目をじっと向けると、フロントポケットのファスナーにそのキーホルダーがついているのがわかった。白い、小さなオバケのカタチをした反射材だ。 「これがあれば入れるってことだけど、なんか不安だな。もっとこう……、写真や名前入りの許可証みたいなやつじゃなくていいのかな」  手探りで電気のリモコンを取る。  眠るのを諦めて、でもできることなら眠気は呼び寄せたくて、明るい電球は点けずに常夜灯のボタンを押した。部屋の中がぼんやりとオレンジに染まる。  眠れないならもう一回荷物の確認をした方がいいだろうか。そう考えながら手探りで書類を引っ張り出したが、この灯りで読むと目が悪くなりそうで、結局はひざの上に置いたまま考え事を続けた。 「どんなオバケになるかは当日わかる……ってことだけど、ちょっとドキドキするなぁ」  お化け屋敷。  お客として入るのは怖い。そういうのに積極的な友達が一緒にいない限りは前を素通りしてしまう。だけど怖い様子はちょっと好き。この微妙な気持ち、きっとわかってくれる人はいると思う。  自分が恐怖体験するのはイヤだけど、ホラー漫画は読んでしまう。怖いゲームの動画なんかもついつい薄目で見てしまう。先週なんか、友達がどこかから見つけてきた『最後まで見たら本当に連れていかれてしまう』なんて注意書き付きの動画をドキドキしながらも一緒に視聴してしまった。  そんなわけで、自分が安全なところから触れるホラーはちょっと後ろめたい娯楽だ。お化け屋敷だってそう。脅かされるのはごめんだけど、自分が『そっち側』の立場でならば、脅かされないのがわかっているのなら、怖い小物に囲まれた怖い部屋の中で一人、お客さんが来るのを息をひそめて待てる。その雰囲気を味わってみたくて今回のバイトを決めたのだ。 「できたら、狼男や壁から出てくる手みたいな顔が隠れちゃう系じゃなくって、白いボロボロ服で血まみれメイクとかしてみたいな、ゾンビなんかいいかも」  そんな希望を呟いて、ふと不思議な気持ちになった。 「……あれ? でも、そもそもどんなテーマのお化け屋敷だったっけ……?」  面接に行ったはずなのに、なんだかぼんやりしている。遊園地の一角に新アトラクションのため建てられた、あの場所。  病院風か、学校風か、それとも昔の日本みたいなやつか、洋風か。 「えっと、責任者の人はどんな格好してたっけ、いや、普通の面接だからスーツ……? だけど何か怖い姿だったような、場所も事務所とかじゃなくて暗くて気味悪い部屋だったような……、あれ? 直に会ったんじゃなくて、画面越しだった気も……、でもそうしたらこの書類は、いつもらって……」  駄目だ、どうしてだろう、全然思い出せない。自覚はないけど眠いんだろうか。  どこか不安になってきて、落ち着くために深く深く息を吸うと、ピピ、と小さな電子音が耳に届いた。あぁ、もう十二時だ。前日から当日になってしまった。早く寝るつもりだったのに。 「細かいことは後回しにして、もうホントに寝なきゃ」  視界の端で何かが揺れた。目をやると、触れてもいないのにオバケのキーホルダーが小さく左右に揺れているのが見えた。まるで、何かの合図のように。  ……これを持っていれば『そっち側』の仲間だという証明になる。 「仲間だという、証明……」  そう呟いた瞬間、全身が総毛立った。 「な、なに、なんか、へん」  部屋の空気が重い。息が荒くなる。 「ひ、っ……」  オレンジの光が満ちていたはずなのに、目の前がふさがれたように暗くなった。暗い、黒い、何も見えない。……たった一つ、あのキーホルダーだけが、くっきりと白い。  夜遅くまで起きているとオバケが来るよ。幼い頃、お母さんにそう言われたことがなんだか急に思い出された。  夜遅く。オバケが来る。夜中の十二時。日付が変わった。どんなオバケになるかは当日になってから。もう当日だ。リアリティ溢れる恐怖を一緒に。リアリティ、その意味は?まさか、まさか。幾つも浮かぶ言葉の一つ一つに焦りが募る。怖い。怖い。空気が、重い。 「お迎えに来ました」  不意に、耳の後ろから囁きが聞こえた。 「あなたが新しい仲間ですね」  何も見えない、体も動かない。いや、ちがう、体なんか、もう、ない。だって私は。 「今日からよろしくお願いしますね」  お化け屋敷のバイト募集。私はどこでその募集を知ったんだっけ。いつ面接を受けたんだっけ。 「お友達もすぐに合流しますよ」  お友達。面接は一人で受けて、でも隣に誰かがいたような、――あぁ、つまりあれは、あれは本当にホンモノだったのか。 「一緒に頑張りましょう、未来永劫、ずっと、ずっと」  長期歓迎って、ちがう、私、私はそんなつもりじゃ。  闇に引っ張り込まれる直前、ひざから落ちた白い紙。  持ち物の欄にはただ一言、『存在』と書かれていた。
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