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「こっちのセリフだ、押しかけてきて何を言う! っていうか明日漢字テストだろ、こんなことしてる場合かよ!」
「生意気!」
「鏡見てこい!」
俺と朱莉はにらみ合った。
先に目を逸らしたのは朱莉だった。ちっ、と舌打ちをして座卓の上、半紙の漢字に再度目を走らせる。顔をしかめ、むうっと口をとがらせ、正座を崩し、あぐらをかいた。膝頭のあたりに肘をつき、自分の拳でほっぺたをぐにっとつぶしている。
おっさんくさい体勢を見るともなく見ながら、俺は高を括っていた。
圧倒的に俺に有利なゲームに乗った時点で、朱莉の負けだ。そもそも沢山字を書いてきたという環境も手伝ってか、俺は漢字をよく知っている。ちなみに漢字検定は二級まで取得済みだ。
『枳殻』は、漢字検定にして、それぞれ、一級、二級の代物。『枳』の一字でも同じ読みが発生する。日常会話なんかではまず使わない。しかし、北原白秋の童話にも出てくるモチーフであり、読みを聞けばぴんとくる人は絶対にいる。
まあ、普通、読めないだろう。
あんまり長くなっても面倒だ。時間制限を設けようかと思った時だった。
「負けたら食べるのよね?」
「お、おう」
いつのまにか朱莉が姿勢を正していた。視線は机の上ではなく、庭に向けられている。視線の先を追う。
あ、と思うと同時に朱莉が口をひらいた。
「──からたち、でしょ?」
「……正解」
庭の東側には、亡き母が植えた枳殻の生垣が茂っていた。蜜柑科の樹木はようやく柑橘系の黄色い実をつけている。でも、酸味が酷くてそのまま食べられたものじゃない。おまけに枝には鋭い棘が生えている。
朱莉がしんみりと話した。
「叔父さん、お庭の手入れしてくれるかな」
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