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学校を欠席するようになってから、担任の教師から電話が掛かってくるようになった。
私が受話器をとらないので、家の固定電話に何本もの留守電が溜まっていく。
私は留守電に残される担任のメッセージを削除する。
電話に出る気配も、掛け直してくる気配もないためか、とうとう担任はしびれを切らして両親へ電話したらしい。
今朝には家族からの「明日、そっちに行くから」という旨の留守電が吹き込まれていた。
夏休みの初日、夕方になってから、コンビニで買った手持ち花火のセット一つ持って、マンションの駐輪場に放置していた自転車に乗り、私は海へと出かけた。
万に一つの可能性に縋りたかった。
私はここ一週間のうちに、気後れと遠慮で、今まで一度も自分からは掛けたことのなかった先生の番号に掛けて、通話をつなげようとした。
暗記してしまえるほど何回も。
けれど繋がらず。
先生の番号は、何の意味も持たない数字の羅列と化してしまっていた。
そんな調子で、先生とは電話もつながらないし、LIMEだって既読がつかない。
だから、あのとき交わした約束以外、あてにするべきものが残っていなかったのだ。
一時間以上かけてたどりついた海は、海水浴に来た数組の家族連れやカップルが帰り支度をしているところだった。
先生がそのなかにいないことをしっかりと確認してから、私はガードレールを跨いで、ガタガタの岩場を降りて、砂浜に腰を下ろした。
待てど暮らせど、日が暮れても、彩度の落ちた空に星が瞬く時間になっても、待ち合わせの人物はやって来なかった。
また二人でいるのを誰かに見られたら、今度こそ私にまで処分がくだるからだろうか。
静かに寄せては返す波の音と、ヒグラシの泣き声が響く中、仕方がないので私は一人で線香花火をした。
以前、死ぬとはどういう感じだろうかと先生に尋ねた時、先生はこう言った。
強い苦しみを伴い、好きな人と二度と会うことも会話もできないのだと。
それなら、その論でいくと、先生は故人と変わらぬ存在になってしまったんじゃないか。
線香花火がお焼香の匂いに近似を感じさせるせいか、小規模な葬式をしている気分になってくる。
涙がこみ上げてくるのは、煙が目に染みるせいだということにしておかなければ、しゃくりあげてしまいそうだった。
今だから言うが、かくれんぼで隠れる役を、私はずっと楽そうだと、うらやましく思っていた。同じ場所にただ留まり続けていればいいから。
でも、鬼はあちこち移動して【探す】という行為に没頭できるが、同じ場所でただ見つけてもらえるのをじっと待っているほうは、どんな気分だったんだろうか?
何もせず待っていたら、忘れられてしまう気がして寂しくて、相手の声を聞きたくなって、それで先生はよくかくれんぼの最中に電話を掛けてきていたのかもしれない。
私は初めてそんなふうに思えた。
最後の一本だった線香花火が終わる。
辺りは完全な夜闇に包まれた。
校内とは比べようも無いほど広い世界で、私が先生を再びみつけることなんてこと、できるのだろうか。
このかくれんぼが終わるのは、一体いつだろう。
まだ「また明日」と言ってもらえるのが当たり前だった、ほんの少し前が懐かしい。
耳に当てたスマホの画面の冷たさと、電波越しの拗ねた声を鮮明に思い出す。
––––鈴夏ちゃん、はやく僕のこと見つけてください。
先生、今どこにいるの?
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