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車に乗せてもらうのは、あの雪の日以来だった。
先生は学校の裏口まで車をまわしてきてくれて、私は周りに気を配りつつ、誰にも見られないようにして乗り込んだ。
……私とドライブがしたかったのかしら?
先生は助手席の私に雑談を振りながらも、華奢な両手で握ったステアリングの操作は淀みなかった。
これはこれで楽しいからいい、という気持ちと、楽しいけどせっかくだしもっと有効につかってもいいのにという気持ちが五分五分。
車で移動すること小一時間。
たどりついた先は、悪く言えばチープ。
良く言えば夏の思い出作りには打ってつけ。
海だった。
夕焼けと水面の境界が、きらきらと輝いているのを窓越しに見て心が躍った。
路肩に車が停まる。
ガードレールを跨いで、二人で足場の悪い岩場を降りていく。
やがて砂浜へ降り立つと、薄い靴底からふわふわとしたアスファルトより不安定な地面の感覚が足裏に伝わる。
べたついた潮風が頬をくすぐって、私の肩まで伸ばした髪を揺らす。
「海に入ってもいいかしら!? せめて足首だけでも!」
「いきなりテンション上がりましたねえ」
やや遅れて後ろをついてきた先生が片眉をあげる。
「だって私、海来たことないんだもの」
「ああ、鈴夏ちゃんうちの県出身じゃないですもんね。しかも箱入りお嬢様ですもんね」
「……。というか、先生は私と海に来たかったの?」
「はい、まあ。鈴夏ちゃんが行きたそうだったので」
にこやかに口にした先生。
昨日、手をつないだカップルが「海に行く」と楽しそうにしていたし、私は確かにそれを見ていたけど。
でも、羨ましかったのはそっちじゃなくて、つないでいた手のほうだったのだけれど。
少し的外れなのが先生らしい。
「私は『先生のお願いをきく』って言ったのに、ほんとうにこれでよかったのかしら?」
「いいんですよ。ちゃんとここで頼みたいことありますから。それが終わったら海に浸かりましょう。足首だけでも」
「わかったわ。何をするの?」
「かくれんぼです」
爽やかな笑顔で先生は人差し指を立てる。
かくれんぼならいつもやってるのに? という当然の疑問が浮かんだ。
しかも、学校ではずっと一緒にいられないから、苦肉の策ということで選択している遊びなのに?
せっかく学校じゃないところへ来たのに。
頬を膨らませた私に先生は言った。
「かくれんぼは本来、隠恋慕……【隠れた恋慕】という字面だったそうですよ」
「わざわざググったのかしら?」
「江戸時代では大人の遊びとされていました。しかも、恋人がするやつです。ものすごくざっくり言うと、彼女が隠れて、彼氏がそれを探しにいく。愛する者を見つけられるかどうかの挑戦。愛の深さを試す系のゲームだったわけです」
「あら」
それはなかなかにロマンチックだと思う。そう言われると正直悪い気はしなかった。
「というわけで、僕は隠れるので鈴夏ちゃんが探してください」
「うそでしょ? なぜそっちが隠れるの?」
「僕の愛の深さはもう嫌というほど鈴夏ちゃんに伝わっているはずですもん」
「まあ、それもそうね……」
告白してきたのも先生の方からだし、今日は告白された私に嫉妬を露にしてくるし。
「でも私、最近鬼やる機会が多くない?」
「それはそうですけど。僕が電話で教えるヒントを手がかりにしてるじゃないですか、いつも。ヒントなしで見つけられたことほぼ無いでしょう?」
「あった……はずよ」
「数回程度ですよね。初期は僕がガンガン鬼やって鈴夏ちゃんがどこに隠れていようと探し回ってあっという間に見つけていたのに」
「たまに思うけど先生のそういうとこ、ちょっとこわいわ」
ストーカーじみた言い回しとか。
「正直、僕は鈴夏ちゃんに愛してもらえているような気がしません。年不相応に淡白だし、僕が拗ねるとめんどくさそうな顔しますし」
「そもそもいい年した大人に拗ねられたら誰だってめんどくさいと思うのだけれど」
「かくれんぼでいつも見つけてもらえないのも地味にダメージなんですよ。鈴夏ちゃんは僕のことなんかどうでもいいのかなって……」
「そんなことないわよ……。というか、かくれんぼするっていっても隠れる場所がないんじゃないの? 海よ?」
「でも僕を見つけるのが下手な鈴夏ちゃんには、ちょうどいいレベルじゃないですか?」
それはそうかもしれないけれど、さすがになめられている気がする……。
先生は「隠れられるところ探すので、いつもの二倍、時間ください」と言う。
海でかくれんぼをするのが先生のお願いなら私は受け入れるほかない。
瞼を閉ざして二十秒をゆっくりカウントしていく。
砂が靴音を吸収するので手掛かりはゼロだけど、隠れる場所もきっとゼロだ。
二十秒経って、先生に少し猶予を与えるつもりでゆっくりと目を開ける。
だけど、目の前に先生はいなかった。
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