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疑問に思って右を向く。
砂浜が続いている。
少し焦燥に駆られて左を向く。
砂浜が続いている。
眼前には、海と夕焼けが広がっている。
「先生……?」
不安になって振り返る。
車のなかにいるのでは、と目を凝らしてみたけど誰もいない。
どこにいるの……?
「ねえ、ここで勝手に花火とかして怒られないの?」
「へーきだって! 六年生とかもやってたじゃん!」
子供のはしゃぎ声がして、そちらを見やると、向こうから手持ち花火のセットを手にした小学生男児二人が、砂浜を駆けてきていた。
「でも、見つかったら怒られるよ」
「何だよ、花火やりたいって言ったのお前じゃん」
「そうだけど、やりたかったから言っただけだし。兄ちゃんにやってなんて言ってないし」
兄弟なのだろうか、身体が小さい方の男児――おそらく弟――が頬を膨らませる。
「なんだよ、開き直んなよー」
「じゃあ兄ちゃんは俺がやりたいことあっても言わないでがまんしてたほうが嬉しいの?」
「あーもーそんなわけねえじゃん。いいから花火やろうぜ」
投げやりに言って兄が花火を開封し始めた。
彼らのやりとりに少しだけドキリとした。
私は、先生と関係を持っていることが周囲にバレたらまずいと思っていて、だから普通の恋人たちがするようなことをやりたいと思っても、先生にそれを伝えたためしは一回もない。
たとえば、『手をつなぎたい』という事とか。
つきあっているのに、手をつなぎたいともデートに行きたいとも、何もやりたいことを言わない私を見て、先生はどう思っていたのだろうか。
胸がざわついた。
もしかしたら、「つきあっているのに自分とやりたいことは何もないのか」と不安に思わせてしまっていたかもしれない。
よく考えてみれば、いつもしている校内かくれんぼも、私がやりたいと言って始めたものじゃなくて、周りへのカムフラージュのために始めた遊びだった。
昨日、帰る間際、手を繋いだカップルに見入っても、先生に手を繋ぎたいとは言わなかった私に彼は微笑で返した。
けれど、今思えば、どこかさみしそうな笑みだった気がした。
それらのことに気づいた途端、じわじわと自己嫌悪の波がやってきた。
今日「お願いをきく」って言ったとき、先生はキスでも何でも選択できたはずなのに。
もしや、私の態度があいまいだからそれを選べなかった?
私が至らないせいで校外に来てまで、かくれんぼを選ばせてしまった?
今まで先生が手を出してこなかったのも、もしかしてずっと私の態度が原因だったのだろうか。
ふいに視界が歪んだ。
どうして泣きそうなのかは自分でもよくわからなかった。
涙がこぼれそうになって顔を腕で拭う。
「いてっ」
聞きなれた声に後ろを見ると、先生が岩場のほうでコケていた。
ホッとした気持ちが六割、びっくりした気持ちは四割。
「先生……」
「泣くことないじゃないですか」
先生はぶつけた腰のあたりをさすりながら苦笑交じりに戻ってくる。
「……どこにいたの?」
鼻をすすって、尋ねる。
「ガードレールの裏です。あそこぐらいしか隠れるとこないでしょう? こんなことで泣かないでくださいよぉ。びっくりしちゃう」
先生が困ったような笑みを浮かべている。
「ちがうの。見つけられなくて泣いてたんじゃないわ。自分が不甲斐なくて……」
「不甲斐ない?」
首を傾けた先生はおうむ返しにした。
「……私が、やりたいことも何も言わないし、かくれんぼも見つけてあげられないから、先生を不安にさせたのよね」
だから。
「一応つきあってるとはいえ、私に本当に好かれてるかわからなくて不安で、だからキスとか頼むのは気が引けて、こんな遠い所に来てまでかくれんぼを選んだんでしょ?」
「……不安だったのは認めますけど」
あっさりと先生は白状する。
「でも、不安だったからそういうことを要求しなかったわけじゃないんですよ」
細く長い指が涙で濡れた頬を拭った。思わず顔を上げる。
「じゃあ、なぜ……」
「そんな野暮なこと聞かないでください。鈴夏ちゃんは知っているはずです」
髪をなでられる。
要するに、私は先生に愛されていると思っていたけど、実のところは愛されているだけじゃなかったのだ。
私が周りの子たちと同じように大人として成熟するその時を迎えることができるように、大事にしてくれていた。
だから、「怪しまれたくないけど一緒にはいたい」というこちらの気持ちを慮って、校内かくれんぼなんて遊びも提案してくれたのだった。
それなのに私は自分のやりたいことも口に出さず、ただ向けられる好意に安心して、向こうが不安になっているなんて考えもしなかった。
「ごめんなさい。こういうとこ直すわ」
「そこもまあそうなんですけど。じゃんけんで毎回、必ずグー出す癖も直したほうがいいと思いますよ」
「……先生、わざと勝って私を鬼にしていたの?」
そのせいで近ごろ、私が鬼役をやる機会が多かったのだ。
口をとがらせると、先生は悪戯っ子みたいに笑った。
「さっきも言ったでしょう。不安だったって。鈴夏ちゃんが一生懸命に僕のこと探してくれるのが、それだけ想われてるみたいで嬉しかったんです」
お返しに「先生って可愛いところあるわよね」と揶揄いをぶつけると「悪かったですね」と拗ねた声音が返ってきて、腕が伸びてきた。
疑問を持つ時間さえなく抱きしめられる。
華奢だけど、背中に回された腕にこもった力は、しっかりと成人男性のそれだった。
「これは男性らしいでしょ」
「……とても」
当惑しながら腕をまわし返す。
「やったー。あれ、鈴夏ちゃんが完熟トマトみたいになっている」
「これは決して男性経験に乏しいからというわけではないの、おばあさまの紹介で男の人と会わせられたことは今までに数回あるし、あ、もちろん縁談は全部断ったのだけれど、でも、つまり私のこの顔色はどういうことかっていうと、これはそう、夕日のせいなのよ」
「何でそんなに必死かつ饒舌なんですかぁ」
こちらの本音を見透かしたように意地悪く笑う。
私が先生を想う気持ちも、口に出さずとも、この顔色のせいでしっかり伝わっている。
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