のべつまくなし隠恋慕

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「おまえ、変質者だな!」 視界の外から声が掛けられて、思わず私は先生から離れた。 振り向くと、火をつける前の手持ち花火で先生を指し示す少年。 さっきの兄弟の兄のほうだ。正義の味方にでも憧れているのか、あどけないなりに凛々(りり)しい表情をつくっている。 「心外ですね。変質者じゃないです、相思相愛ですし」 先生はムッとして背後から私を抱きしめる。 子供の前でこんな態度をとれる先生はちょっとおかしい。 思わず微妙な表情を浮かべざるをえない私を見て、「女のほう嫌がってんじゃん! 待ってろおまわりさん呼ぶから!」と少年は首から下げたライトブルーのキッズケータイをこれ見よがしに開いた。 非常にまずい。 「先生、逃げましょ」 「合点承知です」 「あ、待てよー! あれっ、警察って何番だっけ? 117?」 「ねえ兄ちゃん、こっちの花火しけってるー」 「えっ、どれ?」 子供の興味が別のことへ移る速度は、恐ろしく速い。 そして、先生は私の手を(つか)んで逃げた。 校内で見かけたカップルと同じ恋人つなぎだった。 つながれた左手が熱い。 砂浜に脚をとられていつもより速く走れない。 走り始めて間もないのに、私はやけに動悸(どうき)がしていた。 「せ、先生」 「ほんとの目的はこっちなのでした」 私が何も言わずとも、先生と手をつなぎたかったこと、察してくれていたのだろうか。 嬉しくてほおが緩む。 少年が追いかけてきていないか後ろを振り向いて確認する。 子供二人はしゃがみこんで再び花火に夢中になっていた。 砂浜に影が伸びている。 お(まわ)りさんを呼ばれる心配はなさそうだ。 先生に教えたほうがよかったのかもしれないけど、走って逃げる理由がなくなったら手が離れてしまいそうで。 「……私たちも夏休みになったら、ここで花火でもやらない?」 追いかけられていないことは教えず、それだけ言った。 初めて、自分のやりたいことを口に出せた。 先生は私の手を引いて逃げるなか、少し意外そうにこちらを見たあと、西日に照らされた顔で子供のように笑った。 「いいですね。やりましょう。夏休みになったらすぐに」 「すぐにっていつ? 夏休みのいつ?」 「初日とかですよ」 約束をとりつけてくれた先生の声は、私のものより弾んでいた。
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