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東京、渋谷。駅から直通の高層オフィスビルの、十四階。私はいつもどおり、自分のデスクで昼休みの時間を迎えた。席が近い同僚に挨拶をして、財布とスマホだけ手にして一人で席を立つ。今日のお昼には、同僚の優子が大絶賛していたカツサンドを食べてみてもいいかもしれない。少し並ぶらしいが、この時間から並べば十分間に合うだろう。そんな算段をつけながら扉の開いたエレベーターに乗り込むと、先客に「お疲れ」と声をかけられた。付き合ってそろそろ一年になる、恋人の弘樹だった。弘樹は友人の紹介で知り合った人で、同じオフィスビルに入っている別の会社で働いている。
「弘樹もお疲れ」
「これからお昼?」
「そう。カツサンド食べようかなって。弘樹も?」
「いや、俺はちょっとお使いに。お昼はもうちょっとしてからかな」
「そっか。お疲れ様」
私は暑そうにシャツをばたばたと仰ぐ恋人に向かって微笑んだ。少し落ち着かない様子だったので、急な仕事で焦っているのかもしれないな、と思った。
エレベータの降りぎわに、弘樹がとっさに私の指先を掴んで引き止めてきた。自分のとった行動に少し驚いたような顔をしながら、こちらの顔を覗き込んで聞く。
「今日、泊まりに来るんだよね?」
「うん」
彼は安心したように笑い、じゃ、と行って先にエレベータを降りて行った。
弘樹の笑顔は、少し遠慮がちで、可愛らしい。引き止められた時にシャツから香った匂いも嫌いじゃないし、むしろ好ましいと思う。でも私には誰かに手を握られるとどうしたって蘇ってしまう思い出がある。ほぼ無意識のうちに脳裏に広がる夕焼けの色と、尾久田勇磨の顔だ。
私はいつも通りふと浮かんだ情景を、いつも通りにぼんやり頭からかき消した。まさかこの直後に、勇磨に五年ぶりに会うとは思いもせずに。
エレベーターを降りると、ロビーが広がっている。様々な会社が入っているこのオフィスビルのロビーには、たくさんの人がいて、一面ガラス張りになっている窓から差し込む陽が人々を照らしている。昼ご飯をのんびり買いにいく人、営業から帰って来た汗だくの人、面接に来たであろうリクルートスーツの大学生、やっと全フロア分の配達を終えたであろう配達員。みんなうつむいていたり、焦った顔や疲れた顔をしたりして、ばたばたと行き交っている。
そんな中で、ひとり凛と立っている勇磨を、私は見つけてしまったのだ。五年ぶりの幼馴染は、すっかり一人前の大人に見える。
私は、ロビーで人を待っている様子の彼に近寄った。
「勇磨?」
「ん?」
「勇磨、だよね?」
びしっと決まったスーツに合った、真剣な影を帯びていた勇磨の顔は、私のことをみとめるなりふんわり柔らかくなった。おお、ともああ、ともつかない歓声をあげて、両手を広げる。
「真紀! 久しぶり!」
「久しぶりだねえ!」
「ここのビルで働いてるの?」
「そう、ここに入ってるITの会社で働いてる。勇磨は?」
「俺はクライアントに会いに。このあと商談なんだ」
「そうなんだね」
「真紀はお昼に行くところ?」
「そう」
勇磨はロビーをちらりと見渡すと、焦ったように言った。
「……ちょっと、連絡先教えてよ。多分夜までこの辺りで仕事だから、仕事終わったら話そう。そろそろクライアントが来るはずだから」
私はうなずいて、スマホを取り出した。
「じゃあ、仕事終わったら連絡してね」
「うん」
勇磨はほっとしたように頬を緩ませた。
「真紀、あとでね」
その日の夜八時過ぎ、勇磨とカフェで落ち合った。
「本当に久しぶりだね」
勇磨はコーヒーをテーブルに置きながら、嬉しそうに言った。
「うん。大学の一年の時以来だよね」
「そう。真紀が急に連絡先変えて、連絡とれなくなったから……」
「ごめんごめん」
私は手元のココアに視線を落としながら苦笑いした。
「スマホなくしちゃって、連絡先も全部消えちゃったんだ。だからわたしからも知らせることができなかったの」
「いいよ。今日また会えたから」
勇磨は優しく笑う。
「真紀は今、どんな仕事してるの?」
「IT会社で、ライターをやってるよ。ウェブメディアの記事を書くのが主な仕事かな」
「真紀、文章書くの好きだったもんね。今度真紀が書いた記事読みたいから教えてよ」
「いや、そんな大したことは書いてないから……。勇磨は?」
「俺は営業だよ。普通にさ」
私は、けろりと笑いながらコーヒーを口元にもっていく勇磨をまじまじと見た。昔から堂々とした人だったけれど、一段と落ち着きが増した気がする。子供の頃から大人びていはいたが、自分や大学の同級生と同じ社会人二年目とは思えないなと思った。思わず、目線は勇磨の左手へと向かう。指輪ははめられていなかった。
「きっと営業成績トップクラスなんだろうね」
「全然、そんなじゃないよ」
「どうかな?」
私がいたずらっぽく笑って顔を覗き込むと、勇磨は照れたように頬を緩ませた。あ、これはちょっと年相応っぽいな、と思う。
「勇磨はさ、今付き合ってる人とかいるの?」
私は気になっていたことを思い切って聞いた。その時勇磨は初めて、私の顔から目を逸らした。仕事でミスを指摘された時のような表情だった。
「ああ、まあ、うん。いるよ」
勇磨はテーブルの上に視線を落としたまま答える。
「真紀は?」
「うん。いるよ。今日もこの後は泊まりに行く予定」
「そっか。それはよかったね」
「お互いね」
私たちはにっこり笑いあって、黙って飲み物をすすった。この夜、二人の間に沈黙が落ちたのはこの時だけだった。
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