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「あの……和田先生は?」
「時間になったら見に来るって。鉛筆、これ使っていいやつ?」
椅子に掛けた健太郎は、ガチャガチャと鉛筆入れの箱をかきまぜていた。
落ち着かない僕とは反対にまるで自然な調子だ。さっきから意識しまくりの僕は、やっぱり健太郎は僕のことなど眼中にもなかったのだと、少し凹む。
いや駄目だ、そんな事は関係ない。ここは美術部、僕の城、僕のホームだ。
大糸健太郎だか何だか知らないが、ここでは僕に従ってもらわなきゃいけない。僕がしっかり主導権をにぎらなければならない。
「おおいと!」
突然の大声に驚いた健太郎が顔を上げる。
「ぼ……おれは、6組の荘田優斗。俺が部長だから。わからないことは何でも俺に聞いてくれ」
「うん? ああ知ってる」
知ってるって僕のこと? ひょっとして僕の存在認知していた? 思いがけない健太郎の短い返事が嬉しくて、胸が熱くなる。
彼は長い前髪の向こうから不思議そうに僕を見て首をかしげた。
「っていうか部長? ああ、ひとりでも『部長』って言うんだ」
「…………」
きっと悪意は無い。単純に疑問だっただけで。
そうだよね。ひとりだから自動的に部長なんだ。君みたいに選ばれた存在ではないんだよ。
僕の勢いはたちまちしぼんだ。
「……あの、鉛筆これで、消しゴムこれ、使ってください」
勝手に負けた気分で下僕よろしく健太郎の世話を焼くと、おとなしく彼の斜め前に椅子を調節した。上がったり落ちたり、我ながら情緒不安定だ。
もうしょうがないからは早く終わらせよう。そう決めて顔を上げると、健太郎はすでに大きなストロークで鉛筆を走らせていた。
その目がすいっとこちらを見る。
僕はあわててスケッチブックに向かい一生懸命描くふりをした。
彼の意識が全て僕に向けられているのを感じる。見られている方の産毛がちりちりした。
健太郎は、長すぎるくらい僕を見ていた。
僕は必死に普段通りを演じるが、耳の先がほてり、赤らむのが止められない。
変に意識していると思われたくないのに、思えば思うほど頭に血が上った。
そちらを見る勇気はない。だけど、彼がどんな目で僕をみているのか、僕の頭は勝手に映像をつくり始める。
きりっと上を向く眉の下、厳しい目で相手をにらむ。まるで光を放つような強い目をした彼。
厚みのある肩からのびる腕は、バネのようにしなってボールを自在に操っていた。相手コートに激しくボールを叩きつける度に、力強くチームメイトと雄叫びを上げる。その度僕も興奮が抑えきれずにスタンドで絶叫していた。
試合中の彼は発光しているみたいで、決して見失わない。僕の視線はどんな時も、彼に囚われたみたいに離れることができなくて――。
そこまで考えて、はっと意識が浮上した。
慌てて健太郎をうかがうと、彼はもう僕なんか見ないで手元に集中している。
ほっとして小さくため息をついた。
今の健太郎からは、前髪の影に隠れて目元の強さがうかがえない。それでも整っていることがわかる、きれいな顎のラインをしている。
彼がここにいる。そう思うと僕の心臓の動きは際限なく走ってしまいそうで見惚れていた視線を無理やり外し、手先に意識を集中させた。
そうするうちにいつの間にか、僕は健太郎を写し取る事に夢中になっていた。
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