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「結婚式、どんな感じにしようね」
「うーん」
婚姻届を役所に提出するのは、あと少し先、日付変更線を越えてからだ。だから彼はまだ「彼」だし、わたしは「彼女」。
そんな中、わたしと彼は、テーブルに我が物顔で横たわる結婚情報誌を前に、ウンウンと頭を悩ませていた。
式くらいやっておかないと格好がつかないか……と、どちらかと言えば消極的な気持ちのわたしより「きみの、一生に一度の晴れ舞台だから」と、彼の方が乗り気である。
というか、新婦になるわたしにとっての人生における晴れ舞台って、これが最後なのかよ。なんならまだ晴れ舞台と自分で言えるような経験もないし、これが最初で最後ということになる。そうやって勝手に決められているようで、少し腹が立ったのも事実だった。
彼はわたしのそんな気持ちに気づく様子もなく、ペラペラとページをめくっている。そしてその途中で、ふと「そういえばさ」と口を開いた。
「なに?」
「披露宴では、どんなBGM流そうか」
「夜に駆ける、とかがいい」
「あれ、歌詞の内容としては自殺の歌だぞ」
「知らないわよ。新郎新婦は主役であり、同時に宴の主催者なんでしょ。わたしたちの好きな曲かけて何がいけないの」
それもそうなんだけどさ、と彼は苦笑いを浮かべた。しかし間髪入れず、次々と質問を繰り出してくる。
「ファーストバイトとか、やりたい?」
「絶対嫌だ」
人ん家の旦那が、口の周囲を生クリームでベトベトにしながらケーキを喰う様子なんか見て、一体何が楽しいというんだ。わたしが同級生の結婚式でその様子を見てドン引きしたことは、まだ記憶に新しい。美味しい料理を腹いっぱい食べさせる……と言うのなら、二人で住む家で、腹がはち切れるまで勝手にやっていればいいのだ。
あと、みんなその瞬間の写真をパシャパシャ撮ってたけど、そんなもんあとで眺めてどうするつもりなんだろうね。知らんけどさ。
「ご両親への手紙は読む?」
「絶対嫌だ」
結婚式の場で読むペライチの手紙如きで、これまで親にかけてきた迷惑をすべて帳消しにできるなんて、わたしはこれっぽっちも思っていない。そんなことができるとすれば、両親に手紙を認めるなんぞ、言うなれば迷惑の公開自己破産ではないか。
「フラッシュモブは」
「わたしに内緒でプログラムに入れたら離婚な」
そうだ、もし本当にフラッシュモブが起きたら、こうしてやる。
突然流れてきた音楽に合わせて踊り狂うスタッフたちを尻目に、わたしはドレスのまま何の前触れもなく席を蹴立てて、スカートを膝くらいで思いっきり引き裂く。その後は歩きにくい靴を脱いで、回し蹴りでウエディングケーキをなぎ倒す。なんなら大して呼びたくもなかった会社の上司の顔にスマッシュしてもいいかもしれない。
そのまま会場を走って出て行き、髪飾りをエントランスに捨てたら、一瞬で第二の人生に別れを告げ、第三の人生のスタートだ。
ああ、それもいいね。
「よし」
わたしがあほみたいな空想に耽っていると、彼はその声とともに結婚情報誌のページを閉じた。そして何かを吹っ切ったような笑顔で、こう言ったのである。
「やっぱ、式やめよっか」
「えっ」
「挙式と披露宴をしない分、新婚旅行の日数を長くしよう。その方が楽しいよ」
「でも……」
「自分たちが最大限に満足できた方がいいだろ。きみも少しはそう思ってたんじゃない」
「……」
そうだよ。
わたしは彼が好きだし、彼はわたしが好き。
そんな気持ちが、二人の間だけで固く結ばれていればいいと思っていた。
でも、なんかうまく言えないけど、違うんだよ。
この先も何十年と続く人生、それだけじゃ満足できないっていう予感が、間違いなく、いま胸の中にあるのだ。
それが見えそうで、見えてこない。
やがて彼は、自分に言い聞かせるように、呟いた。
「……いいんじゃない。ぼくらが結婚する、っていう事実に変わりはないんだから」
「あっ」
そう。
わたしたちはもうすぐ、夫婦になる。
結婚式、もとい披露宴という場所は、結婚したことを「披露」するための宴だ。
そして、この国では婚姻後に挙式をすることは義務付けられていない。やるもやらぬも、二人の自由なのだ。
だとすれば、わたしたちがそれでも開く宴には、来たい人だけが来ればいい。
そして、来た人は盛大にわたしたちを祝ってほしい。わたしたちが夫婦になったことを認め、欠席者にもSNSで存分に拡散してくれればいい。
そのくらい自分本位にやったって、誰に罰せられる謂れもない。
それなら、わたしは髪飾りではなく、これまでの考えを捨てるべきだ。
「ねえ」
「ん?」
「招待状には『無理して来なくていいよ』って書こうよ」
「なんだそれ」
「本当に祝ってくれる人だけ来ればいいよ。その方がわたしたちも嬉しいし、準備のしがいもあるでしょ」
「……随分といきなり、やる気になったね」
「あーもう、うるさい。式場探しの続きしよ」
「あとでな」
「あとで?」
彼は、壁に掛けられた時計を指差した。
ちょうど長針と短針が、天頂で重なった瞬間だった。
「先に、行くところがあるだろ」
「あっ」
これから、わたしたちは「恋人」から「家族」になる。
宴の計画の続きは、その後だ。
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