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「あーあ。体力テストほんと嫌ー。こんなあっつい日に走るとか無理。雨降らないかなあ」
体操服に着替えてグラウンドに向かう途中、沙耶がぼやく。空は雲ひとつない青空で、雨が降りそうな気配はどこにもない。
「沙耶って足長いしいかにも運動できそうなのに、見た目だけだもんねえ」
「ほっといてよ。運動なんかできなくても困らないし」
「あっ」
私は思い出して足を止めた。
「私、記録当番だった。ファイル持ってこなきゃ」
「もう、しっかりしてよ体育委員ー」
「ごめん、先行ってて!」
教室の扉を開ける。誰もいないと思っていたのに……ひとり、いた。私の席の後ろに。
ーー入谷拓海くん。
背が高くて、色黒で、キリッとした目つき。学校では私語禁止だから、クラスメイトがどんな人なのか全然わからないけれど、恋愛禁止じゃなかったら、絶対モテそうなタイプだ。
もうすぐ体育の授業がはじまるというのに、制服のまま、のんきに漫画を読んでいる。なんという堂々としたサボり。
「入谷くん」
呼びかけてみるけれど、入谷くんは顔をあげない。無視かい。
私はムキになって、もう一度声を大きくして呼んだ。
「入谷くんっ!」
入江くんがビクッとしたように、顔をあげてこっちを見た。
「え、何?」
そして、不審者でも見るみたいに顔をしかめた。
「ていうか誰?」
「佐藤ふみだよ! 同じクラスなんだけど」
……しかも、隣の席なんだけど。
名前どころか、隣にいるという認識すらされていなかったらしい。
「ああ、そっか、悪い」
入谷くんはちっとも悪いと思っていなさそうに言った。
「何聴いてるの?」
「スパッツ」
スパッツ!? あんなマイナーなグループを知ってる人に初めて出会った。
「まあ変な曲ばっかだし、知るわけ」
「ううん知ってる! ちょっとびっくりしただけで。むしろ大好き!」
言ってからハッとした。
「好き」って言葉は禁止だった。
……いや、でも入谷くんが好きって言ったわけじゃないし、別にいいか。
「へえ」
入谷くんは意外そうな顔をした。
「あ、ぶっかけの拓! この漫画も好き!」
あ、また好きって言っちゃった。いやでも、漫画が好きって言っただけだし……。
「女子なのに不良漫画が好きなんて変わってるな」
入谷くんがちょっと笑って、私はドキリとした。
「そう? 最近の女子は不良でも極道でもなんでも読むよ」
「そんなもんか」
「そうだよー」
そのとき、足音が聞こえた。階段を下りる音。上靴じゃない、ペタペタしたスリッパのーー先生だ!
やばい。男の子と二人でいるところなんて見られたら、何て言われるかわからない。
「やべ」
突然、入谷くんにぐい、と手を引っ張られた。
「!?」
「しっ」
口に手を当てられる。
鼻先がくっつきそうな距離に、入谷くんの顔があった。
私たちは机の下にしゃがんで、息をひそめてじっとしていた。スリッパの音が通り過ぎるまで。
ドクン、ドクン、と心臓の音が波打っている。
ーーえ、なにこれ。
「行ったよな」
「う、うん」
そのとき、チャイムが鳴った。
「私、もう行くね」
「ああ、じゃあな」
「あの、入谷くん」
私は教室を出ようとして、振り返る。
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
不思議そうな顔をする入谷くんに、ぱっと背を背を向けた。
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