会戦前夜

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汚れたタバコを吸った戦友が1人、こちらへと歩いてきて横に腰を下ろす。タバコの煙をじっと見つめながら、何かを思っているようだ。 「なあ…明日は生き残れると思うか?」 戦友は唐突に質問をした。私は溜息をつきつつ答える。 「まず無理だろうな。偵察の映像は見ただろ、あれは皆殺しにする量の兵隊だぜ。」 「だな。」 深い沈黙が降りる。戦友はタバコをひと息吸って、もう一つ質問をした。 「なぁ…人生で後悔してること、あるか?」 意外な質問に少し面食らい、横目で戦友の顔を見る。彼はそういう質問をするタイプの人間ではなかったはずだからだ。長く髭を剃っておらず、髪も伸び放題の何かを思い詰めているような青白い暗い顔は、さながら落ち武者のようだった。 「急だな、ブライサー。まあ、そりゃあそんなもの、生きてればたくさんあるさ。俺の人生は後悔だらけだ。今1番思うことは、もっと家族と一緒に過ごしておけばよかった、とかな。」 「俺も後悔だらけだ。だがひとつ、醜悪で…とても若気の至りという言葉で収められない下賎なことを俺はしてしまった。そうだ…どうせ明日は生き残れない。一生の頼みだ、俺の懺悔を聞いてくれないか?」 「もちろんいいさ。汝の行いを許そう。」 場を和ませるつもりで冗談を言ったが、効果はないようで、彼の口はピクリともせず、その目はただ地面を見つめていた。 「俺が24の頃だ。酒に悪酔いして…フラフラな状態で家に帰っていた時、ある女性が道を歩いてた。大層な美人でな……思わず……してはいけないことをしてしまった。なぜそんなことをしたのか今でも分からない。顔はもう覚えていないが…左手の薬指には指輪を填めていたのに……新しそうな……綺麗な指輪が……」 「……同意の上だったのか?」 急な話の展開にどう答えればいいのかわからなかったので、そう意味の無い質問を投げかけた。彼は確かに荒っぽいところや酒に悪酔いするところもあったが、どうにもいくら酔っていようとそういうことをする人間だとは思えなかったからだ。それに、荒っぽさや悪酔いをするという要素は世の中の大概の男にも存在する。 「いいや…違う……同意は…してない…はずだ…」 沈黙の圧力が数段階レベルを上げたようだった。何も言えなくなり、先程あんな冗談や意味の無い質問を言った自分を恥じた。 「俺は…俺は……本来生きてていいはずの人間じゃなかったんだ。だけど…最後に誰かにこのことを告白して…そしてせめて国のために働いて……それから…」 声がだんだんとか細くなって言ったが、何を言うつもりなのかは当然わかった。しかし、友である彼がそんなことを思って死ぬのは、いかに正義に反したことをしていたとしてもやるせない思いがあった。そして、同時に先程彼が言った言葉の違和感に気づいた。 「同意はしていない『はず』…とはどういうことだ?」 戦友はいつの間にか立てた足に顔を埋めて涙を流していた。しばらくして多少の落ち着きを取り戻してから彼はまた話し出した。 「初めは抵抗していたと思う。だが、次第に諦めとも…いや…それどころか喜んでいるようにさえ思える様子だった。涙を流してはいたが、すごく明るい笑顔をしていた。初めは俺がおかしくなったのかと思った。だが、ほんとに笑ってたんだ…」 「お前…その時薬は…?」 「やってない!俺は薬には手を出さないと決めてる…」 彼は大声で否定した。周りの兵士たちはもはや他人のことに興味を示す余裕はない様子で、眠ったり、起きていても虚ろな目をしてボロボロになった家族の写真を見たりしていた。 「しかも…その人は最後、俺が去る間際、美しい声で俺にこう言った…ありがとう……と。そして名前を名乗り、俺の名前を聞いた。」 この現実のこととは到底思えない話に、ごく自然に、彼が薬をやったのか、はたまた戦争のストレスか何かで妄想など精神的な病に侵されたかのどちらかだと考えた。しかし彼の友人として今私ができる最善のことは、猛省してただその人生の汚点を悔いている友人を、神の代わりに許すことだけだった。 「その後は会ってないのか?」 「1度も。」 「ちなみに、彼女の名前はなんて言うんだ?」 話を聞いているうち、悪いこととはわかっていても、だんだんと許しよりも好奇心が勝り始めていた。 「たしか…ロゼリア・サエキと言ったかな…?」 身体中に衝撃が走り、脳内に火花が走ったような心地がした。その名は、私の妻の名前であったのだ。 「24の頃と言ったな、12年前か!!」 「そ、そうだが…それがどうした…?」 間違いない。息子を妻が身ごもった頃だ。認めたくない現実を、脳が勝手に認識して処理し始める。だんだんと目眩がしてきて、思わず両手で頭を押さえる。友人だと?許すだと?そんなわけない……絶対に許さない。急激に怒りが腹の底からふつふつと沸き起こってきた。私の妻が犯されて笑っていたなんて、冗談もいいとこだ。その上…私の息子は…… その時妙案が思いついた。明日の戦闘中、後ろから足を撃ち抜いてやる。そうすれば激痛と共に歩けなくなるから、助けるふりをして少々痛めつけられる。周りも気にする余裕はないだろう。私は昔から銃の腕には自信があった。どうせ死ぬのなら…このぐらいのこと…… 「私は、汝を許そう。」 言い方や正式なやり方は知らないが、できる限り厳かに…真剣に…言葉を発した。すると彼は泣き顔をあげて少し笑い、 「ありがとう…聞いてくれて…許してくれて…」 と言った。先程まで大きな同情と心配を起こさせたその顔は、今では何としてでも自らの手でこの世から消し去りたい顔であった。あくまで冷静さを保つ努力をして、心を落ち着けた。急に明日が待ち遠しくなってきた。 元戦友にしばらくしてからお休みを言って、眠りについた。当然眠れるはずもなく、落ち着かないまま1夜を過ごした。 翌朝、いつの間にか眠っていたのを分隊長に起こされると、何故か全員が半透明の大型通話用ディスプレイの前に集まっていた。その映像は昨日政府発表のものらしく、ここは本国と離れているので伝達が遅れたそうだ。 「…………我が国は……宣言……受諾…………国に……伏することを……ました。」 映像はないが、ポツポツと聞こえてくる音声を合わせると、今になっては最悪の事態になったことを知った。敗戦したのだ、我が国は。復讐前夜に。これで戦闘はなくなった。ロゼのために一矢報いることもできなくなってしまった。チラリと横の方を見ると、少し離れて元戦友がそれを見ていた。彼は口を半開きにして、そこからでもわかるほど震えていた。 その後、敵軍に全員が降伏して、1列に並んで連れていかれたが、道中も帰国後も、憎き元戦友の姿を見ることが出来なかった。
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