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「おはよ。って言っても昼休みだけどね、いま」
「……なんで背中を叩いた」
「起きているかチェック」
「なら、もう少し、いやだいぶ丁寧なチェック方法があったはずだ」
「そうだね。両脇をソフトにこちょばせばよかったね」
「よくねえよ」
しかし、日駆の平手打ちは本当に痛くなかった。ぼくが身体を起こしたのだって驚きによるものだからな。驚愕が痛覚を凌駕している。
「影井くん――影井兵介くん」
日駆はぼくの名を呼ぶ。
にたにたと。
着座し、床に爪先までしか伸びない足をぶらつかせて。
「……なんだよ」
顎を若干浮かせて警戒するぼく。
日駆は言った。
「きみ、鼎さんにすぐ目の前にいるの、ばれなかったね。名前まで出たのに」
「…………」
気にしていたのに。鼎は学校の名探偵に夢中になっているからぼくが目に止まらなかったのだと、突っ伏していたから顔が見えなかっただけだと、そう言い聞かせていたのに……。
「掘り返してくるなよ……」
ぼくは頬杖をついてため息をこぼす。
「いやいやいや、こんなの掘り返すに決まっているでしょ。さすが影の薄い影井くんだねー」
「影が薄いって言うな。目立たないだけで太陽はぼくの影をみんなと同じ濃さに落としてくれている」
「じゃあ、目立たな井くんって呼べばいいのかな」
こんな掛け合いはしょっちゅうある。登校から下校まで、夜に時々寄越す連絡でも茶化すように、日常茶飯事のようにぼくを、あらゆる路線からいじってくる。
時には行き過ぎることもあるが、しかしぼくはそんな彼女も受け入れている。
それが幼馴染みというものだ。
「ねえ、影井くん」
目立たな井くんは撤廃してくれたらしい。おそらく語呂が悪かったからだ。それはありがたいが、しかし改めてどうしたんだ。
「鼎さんの顔、見てないでしょ」
見ていない。
それは質問者の日駆自身も把握している事実じゃないか。ぼくは机に伏していたのだ。こうしてぼくに確認するまでもないことだ。ここまでの話の流れをすっぽかしたのか――しかし、探偵がそんなポカをやらかすはずはない。
たとえ日常会話でも。
それもぼくとの会話でも。
だからこれは、意味のある問いだ。
「見ていないよ」
想起されるのは肩まで下がった髪を垂らし、垂れ目の間に皺をつくり、悩み苦しむ鼎の姿――つまり、事件の相談を持ちかけてきたときの俯いていた鼎だった。
「そう。だとすると、損したね」
「損?」
興味を持ったぼくは頬杖から顔を離し、彼女のことをよく見た。
ぼくへの気味の悪い笑みから晴れやかな、満ち足りたような笑みに変わっていた。
「彼氏の苦境に沈んでいた鼎さんから戻った笑顔を見れなかったからさ」
それはたしかに損だったかもしれない。
ぼくも助手的な立場で日駆の探偵活動に付き合っているけれど、事件が解決したときに依頼人が救われる様子はぼく達に達成感を与えてくれる。
しかし、ぼくはいま、損を帳消しにするような幸福感を得た。
「……なに、わたしの顔をじっと見て」
「いや、なんでもない。事件解決してよかったよな」
言うと、日駆はきょとんとした表情をとったあと、またにこっ、と微笑んだ。
「そうだね! よーし、これからも困った人を助けるぞー」
胸元で両手を握りしめ、自分を鼓舞した。
……ぼくは果たして彼女のこんな屈託のない笑顔をいつまで見れるだろうか。いつまでも見ていたい。しかし、そういうわけにもいかない。
いずれこんな彼女とは別れるときが来るのだろう。
「あ、あの……」
おどおどとした声が聞こえた。誰だろうと、ぼくと日駆は振り向く。
日駆に話しかける相手は、依頼人か友達か教師だ――さあ、今回はどれだろうか。
そこに立っていたのは、そのどれでもない、元依頼人の鼎沙苗だった。
さっきまで浮かべていたらしい笑顔に曇り模様だった。
「あら、どうしたの? さっきの事件についてまだ何かあるの?」
受け付けた日駆からの質問に鼎は首を振った。
「いえ、それはもう大丈夫です。大丈夫なんです」
ぼくと日駆は目を合わせた。しかしふたりとも顰めるばかりで、鼎の意図を汲み取れていなかった。
「? なら、どうしたの?」
向き直って日駆は訊ねる。
「いえ、謎がありまして……」
鼎は申し訳なさそうに口にした。
「私の友達が昼休みに謎を見つけたんですが、私達には解けなかったので、日駆先輩に是非解明していただけたらと……。昨日の今日ですが、依頼してもよろしいでしょうか」
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