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第I話 「不思議な国」
天と地、建物や家具、あらゆる物が上下反転している国があると言ったら普通の人は信じてくれるだろうか。
否、とある旅人も自分の目で確かめるまで半信半疑でやってきたに過ぎなかった。
だからこそ、いざ目の前にすると想像を遥かに超える光景に驚愕せざるを得ないのだ。
「……天変地異だ」
旅人はゴーグルを外しながら呟いた。
〜Wonderland〜
国の門を抜けると、そこは至って普通の国だった。
外のように天地がひっくり返っているわけではないし、人も普通に生活が出来ているようだ。
「おや、どうもこんにちは旅人さん」
「どうも、こんにちは」
通りすがりに老夫婦に挨拶されたので旅人は心良く会釈をした。すると次に親子に声をかけられ、次に散歩中の若夫婦、子供………。
国の外がどういう場所なのか、他にどんな国があるのか。好奇心旺盛な住人達に質問責めされ、数時間もの長い話を終えたあと、旅人は先ほどの人達に勧められた宿に泊まることにした。
服を着替え、茶色のマフラーを巻く。
マフラーは移動中でも肌身離さず旅人は大切そうに身につけていた。
出掛ける時も外そうなんて考えない。
風呂や寝る時は例外だが。
旅人は部屋に荷物を置いたあと、宿主に鍵を預けてから外出をした。
計画性のない観光だ。
何故、外から見たら天地がひっくり返っているように見えるのか、ぐらいしか気にかけていなかった。
「お腹空いたし、まずご飯から食べるか。美味しい肉料理の出る店は……」
「美味しいお店なら私が紹介いたしましょう!」
「ひゃっ!?」
宿の外に出ると、待ち伏せしていたかのように陽気なニット帽の少女が飛び出してきた。
旅人は思わず変な声を漏らしながら身構えてしまう。相手が子供であると認識すると旅人はすぐに警戒態勢を解くのだった。
「驚かせちゃったかな?」
「うん、すっごいビックリしちゃった。情けないほどにね」
「それは……ごめんなさい」
「ううん、別に怒ってないよ。子供は元気なぐらいが丁度いい。それに自分から謝れるのは良いことだ」
右も左も分からない街を徘徊するよりも案内してくらた方が好都合だ。
断る理由もなかったので旅人は頷いた。
案内されたのはステーキのイラストが描かれた看板が設置されたお店だ。
久方の肉料理にありつけるのなら、もう何でもいいやと能天気に入店したのが不味かった。
注文してから数十分後。
テーブルに並べられた料理に固唾を飲んでしまう。
どれも胃袋には到底入りきりそうにない特盛りサイズの料理ばかりだったからだ。
「わぁーい! 美味そう!」
成り行きで同じテーブルで食事をすることになったニット帽の少女がはしゃいでいた。
この異様な光景に臆することなくストレートに喜ぶとは。
旅人は未だ治らない動揺に駆られながらも、器用に肉を切り分けてから口に運ぶ。
「うまっ」
涙が出るほどの美味に、旅人は頬を頬を綻ばせた。
同様に、ニット帽の少女も平らげる勢いで感動しながら食べていた。
肉を食べた後に、甘いものを食べるためにニット帽の少女のお勧めである喫茶店に訪れた。
その喫茶店にいた初老の男性と同席になることになったが気にしない。
旅の話をして欲しいとのことだが、ヒロはまず何故この国がひっくり返っているのかを尋ねた。
すると男性は笑いながら告げた、それが普通だからと。
それでもヒロは他の国ではそんなことはなかったので不思議な国であるという正直な感想を口にした。
すると男性は人の価値観について語り始めるのだった。
「誰かが国を反転させたかったからしただけ。俺らはその後に生まれたのだから、それに疑問を抱かないのが普通なんだよ」
「なるほど、確かにそうですね」
「君はいちいち人の第一人称に対して疑問を抱くのかい? どうして私、僕なのか……気になるのかい?」
「いえ」
「そうだ。唐揚げにレモンをかける派かけない派で言い争っていたら埒が明かないだろう?」
「争いがないのが一番ですね」
「だからこそ、たとえ自分らの国では当たり前ではなくても気にしないのが一番だ。それに……」
男性は溜め込んでから続けた。
「見えている物がすべて偽りかもしれんし、見えていない物がすべてが真実かもしれない。常識に囚われないのが、どの国であろうとマナーなのさ」
旅人は目を覚ました。
しかも森の中でだ。
頭の痛みに唸りながら起き上がり、体の汚れを払う。
今さっき初老の男性と会話をしていたのに、急な場面転換に混乱をしてしまう。
寝息が聞こえる、すぐ傍には少女が寝ていた。
しかしニット帽はない、代わりに頭にピンッとした白い耳が生えていた。
「あ、おはよさん」
パッと目を覚ました少女が周りを見渡す。
「あれ、ここ何処?」
「逆に聞きたいよ。国の中にいたのに場所が急に変わった。なにか知らないかい?」
「いや、なにも。私もあの国に移住したばかりだから……」
旅人は肩を落とす。
が、視線を下げると地面に無造作に散らばっている自分の荷物を見つけた。
宿に置いていた筈なのにと疑問を抱きながら拾い回り、しっかりと整える。
少女も手伝ってくれたので思ったよりも早く片付いた。
「君、その……耳があるんだね」
「まあね、正体を隠しておきたかったけど、お兄さんに教えちゃってもいいか。私ね、獣人の魔物なの」
肩を並べながら地面に座り込み、少女は自分の耳に触れながら明かしてくれた。
魔物を見るのは久方ぶりだ。
普通の人間なら恐れ慄いて逃げだしてしまうところだが、旅人は微笑みながら立ち上がった。
「君はこれからどうしたい?」
旅人が訪ねる。
「旅をしてみたい」
少女は答えた。
「そうか、なら僕と一緒に来るかい?」
少女は目を輝かせながら頷く。
「うん、行きたい! 連れてって!」
「そうだな、それじゃまず名前を聞かせてもらってもいいかい?」
また質問をすると、少女は首を傾げながら悩んだ。
何に悩んでいるのか野暮なので聞かないが、まさか名前がないのだろうかと、旅人は思った。
しかし、少女は元気に答えてくれた。
「魔物ちゃん! それが私の名前!」
「そうか、いい名前だね」
「でしょ! で、お兄さんの名前は?」
「僕かい?」
聞かれたので旅人もすぐに答えた。
「僕の名前はヒロ。しがない旅人さ」
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