非正規大統領

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 都心から離れたJR駅の裏手にその雑居ビルはあった。俺はエレベーターに乗って三階で降りた。廊下を進む。中華料理店と焼肉店に挟まれた部屋のドアに『タルタル国大使館』という金属プレートが貼り付いていた。  ドアを開けると、机の前でパソコンを操作していた中年の女性が、顔をこちらに向けた。 「河原崎と申します。大統領の件で来ました」  派遣会社から話が通っているのか、女性は頷くと「大使を呼びますから、お待ちください」と言った。インターホンに向かって、俺の知らない言語でムニャムニャと喋る。  少しの間があって、奥の部屋のドアが開き、中年の男が現れた。 「わざわざ来ていただいて済みません。私は大使の――です」  大使は流暢な日本語で自己紹介した。 「私はタルタル共和国の国籍を持ってませんが、大統領に成れるのですか」  応接セットのソファーに座ると、俺は疑問を口にした。 「大丈夫です。国籍は簡単に貰えます。私が書類にサインすればオーケーです」 「それと、大統領は選挙で選ばれるんじゃ……」 「我国の大統領は只の雇われ公務員です。だから選挙で選ばれません。ついでに言えば、我国には政治家はいません。政治はAIに任せてますから」 「はあ、そうですか」 「グルグル社製のAIは優秀ですからね」  そのAIのおかげで、俺は失業して外国に出稼ぎに行かなくてはならないのだ。 「勤務条件についてお聞きしたいのですが」 「分かりました。給与は日当で……」と、大使は説明を始める。  給与は日当で、派遣会社の担当者に聞いた通り、ほぼ日本の最低賃金だった。けれど、タルタル共和国の労働者の平均収入は日本の十分の一だから、あの国では高給といえる。だとすると生活費が安くつく分、日本に帰るころには小金が貯まっていることだろう。 「土日曜日は休日で週休二日制。一日の勤務時間は午前九時から午後五時までで、正午からは一時間休憩があります。住居はこちらで用意しています……」  住居は支給されるのかと喜んだけれど、その喜びは直ぐに大使の言葉で落胆に変わった。 「……家賃は給与から天引きさせていただきます」 「そ、そうですか」 「もちろん、ご自分で住居を探してもいいですが、費用はあなた持ちです」 「そ、そうですか」  日本に持って帰る小金が減るということか。 「大統領はどんな仕事をするのでしょうか。私にもできるのでしょうか」 「特にこれといった仕事はありません。執務室でテレビでも見ていてください」  俺は不思議に思った。テレビを見ていて高給(タルタル共和国では)が貰えるのなら、仕事にあぶれた国民にとって大統領の職は人気だろう。求人広告を出せば、応募してくる者は多いはずだ。わざわざ外国の人材派遣会社に頼まなくてもいいと思うのだが。  と、俺が尋ねると、 「それは、あの、我が国にも事情がありまして……」  大使は口ごもる。何か言えない事情があるのだろうか。ちょっと気に掛かるけれど、俺はタルタル共和国大統領職の求人に応じることにした。あちらにどんな事情があるのか知れないが、今の俺ができそうな仕事はこれしかないだろうし、生活するには金が要るのだ。
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