非正規大統領

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 タルタル共和国の空港ロビーできょろきょろと辺りを見回していると、スーツ姿の青年が俺に近づいて来た。 「河原崎さんですか、大統領補佐官のロームと申します」  青年が手を差し出した。 「河原崎です。よろしく」俺は青年と握手をする。「日本語がうまいね」  俺は持っていたスマホをジャケットのポケットに入れた。グルグル社製の同時通訳アプリに頼らなくてもよさそうだ。 「ありがとうございます。国立タルタル大学日本語学科を卒業しましたから」 「だから若いのに大統領補佐官になれたのか。凄いな」 「いえ、私は非正規の補佐官ですよ。別に私じゃなくても同時通訳アプリがあれば十分ですからね」  俺はロームに同情した。この国の若者も大変だな。 「これから河原崎さん、いえ大統領をご住居に案内します。さあ、行きましょう」  ロームに促されて、俺は歩き出した。この時気づいたのだが、俺と同行するのはローム一人で、シークレットサービスどころか普通の警官さえいない。大統領とは言っても、俺は只の雇われ公務員、それも非正規だから当然かも。  俺たちは空港の外で待機していたタクシーに乗った。大統領専用車なんてものはないよな。非正規だからな。  一時間ほど走って都心のマンションの前で降りた。このマンションの一室が俺の住居だという。  部屋は古さは否めないが、2DKの間取りなので、俺には広すぎるほどだ。それに冷蔵庫やテレビ、洗濯機など最低限生活できる家具が備え付けられているのもありがたい。 「仕事は明日からやって頂きます」  ロームは言った。 「了解。大統領執務室はどこかな。ここから遠いのか」 「仕事はここでやって頂きます。リモートワークです」  ロームは机の上のパソコンを指差した。 「駐日大使は、これといった仕事はないのでテレビでも見ててくれ、と言ってたけど」 「そうですね、確かにこれと言った仕事はないでしょうね。AIが決めた政策を形式的に決裁するだけですから」  これは楽だ。エアコンの利いた部屋でビールを飲みながらでもできる仕事だ。雨の日の道路工事や炎天下の野菜の収穫に比べれば天国と地獄だ。  それからロームは、マンションのゴミの出し方、最寄りのバス停やコンビニなど、生活に必要な細々としたことを教えてくれたが、五時になると、「私の勤務時間が終わりました。失礼させて頂きます」と帰って行った。  ロームがいなくなると急に空腹を感じた。今まで気を張っていたので感じなかったのだろう。  キッチンのテーブルの上に置いてあるピザ屋のメニューを手に取った。別に中華料理屋のメニューでもいいのだが、ピザ屋がマンションの近くにあったのを思い出したからだ。  ピザ屋に電話して暫くすると、玄関チャイムが鳴った。早い。玄関ドアを開ける。さっき帰ったばかりのロームが立っている。 「ピザお持ちしました」  元気な声でロームが言った。 「お前、いつからピザ屋になったんだ。大統領補佐官と言ってなかったか?」 「ええ、そうです。でも、補佐官の仕事は五時までなので、その後はピザ屋で働いてます。派遣労働者のダブルワークは当たり前です」  俺はロームからピザが入った箱を受け取った。この国の若者も大変だな。
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