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キスの日
「ね、はーくん、今日ってキスの日なんだって。知ってた?」
ぽかぽかと穏やかな陽につつまれた昼下がりの研究室。
プログラミング作業中の手をとめずにそんなことを聞いてきた世羅くんは、今日も夢かわメルヘンに全身を包んでうきうきと画面に向かっている。
そんな日があるのかと、ふるふると首を振って答えると「ぼくも今日知ったんだよ〜」と。
「可愛い日だよねぇ。でね、ぼくのはじめてのキスっていつだったかなぁとか考えてたわけ。はーくんのファーストキスっていつ〜?」
世羅からぽん!と投げられた話題は、「今日食べたお昼ご飯どうだった?」くらいの軽さがあるが、慣れてない依春からしたら口をつけていたレモネードにむせそうになる。
「はぇ……えっと……その……」
口から溢れそうになったレモネードをぐっと飲み込んで、しどろもどろに答える。
ファーストキスって、記憶を遡っても淡い恋心が実ったことがないから、分からない。
「ぼくはね、小学生の頃だったなぁ。頬っぺにちゅーって。頬へのキスって親愛の印なんだって、かわいらしいよねぇ」
戸惑う依春をよそに、世羅のファーストキスの思い出は語られていく。
キスの位置で意味合いが変わることの話に移ったところで、くるんと期待に満ちたくりくりの瞳がずいっと寄せられた。
「もしかして、はーくんのファーストキスは今のパートナーの人かなぁ?」
ふふとどこまでも無邪気な世羅の言葉に、じわっと頬が熱くなる。
思い返してもキスなんて日常ですることなんてないし、したとしても……というか、キスが日常的になったのなんて……そう、リアムとパートナーになってからで……。
熱い頬を世羅から隠すように企画書を顔の前にもってきて黙る。
んむぅ〜と鼻の奥から息が抜けていく。
「わぁぁ!それ、ほんとうにステキ!魂のペアだもんねぇ……」
キラキラと自分の事のように喜んでくれる世羅の声があがったところで、
「2人とも次の作業の話なんだが……」
博士が作業確認に来たことにより話は終了となった。
ほっとしながらも、キスが日常的になっているからこそ朧げになっていたけど、確かに始まりはいつだったんだろう。
*****
「ハルくん、少し疲れたからキスしていい?」
依春の肩口に鼻先をうずめていたリアムからあがった甘えた声。
寝る前のくつろぎタイムは、いつもリアムの依春充電タイムも兼ねている。
必ず依春が頷くのを待ってからキスをしてくれるのは相変わらずだ。
電子書籍を読んでいたタブレットから目を離すと、後ろのリアムを振り返ってこくりと頷く。
いつも聞いてくれる優しさに心の準備ができるのはいいけれど、やっぱり恥ずかしい。
少しだけ変わったのは、おはようのキス、おやすみのキスなど日常のあいさつで交わされるキスに関しては挨拶の言葉と一緒に触れ合わされるからリアムからの伺いはなくなったこと。
挨拶のキスは頬や額にされるから、今聞かれているのは唇にしたいキスだということだろう。
くるんと向きを変えると、甘く微笑むブランデーの瞳が近づいてくる。
首筋から顎、頬へ触れてくるあたたかな指先が心地いい。
あと少しで唇に触れそうなところで、
「ぁ、……」
ふと、昼間の研究室での会話を思い出して声を上げてしまった。
「……どうしたの?ハルくん」
一瞬、離れた僅かな距離に悲しげな表情になるリアムに、嫌じゃないと伝えるように頬を撫でていた手に自分のを重ねて頬ずりをする。
「ぁ、えっと、今日がキスの日だってリアムさん知ってましたか?」
「え?ぁぁ、そういえばSNSで話題になっていたね」
「大学でその話になって……その、ファーストキスっていつかなぁ……とか」
「へぇ、それは俺も興味あるなぁ」
ふにふにと唇の柔らかさを堪能するよう撫でながら、依春のファーストキスを知りたいと答えを待つリアムは楽しそうだ。
――ねぇ、ハルくんのはじめてはいつ?だれとだったの?
甘やかなブランデーの瞳に滲む独占欲の灯火。
「……僕の……、経験がないようなものだから……リアムさんですよ……それで……んぅ?!」
経験がないからこそ、いつも慣れないキスにこれでいいのかなと思っていた。
リアムからの触れ合いにちゃんと……。
そんな不安を告げようとして、唇に触れていた指先が淡く開いた口内へ侵入し、舌先をゆるく撫でては離して繰り返してきた。
見つめる先にはうっとりと依春を愛でる瞳。
「それって、この柔らかい唇も甘い舌も全部俺だけが知ってるってこと?」
「ふぁい……んぅ」
くちりと人差し指で擽られていた舌先が解放されると、零れ落ちそうな唾液を掬うように唇がリアムのそれで塞がれた。
やわやわと唇を食み、舌を絡めると熱さと甘さを飲み干すように吸い上げられる。
いくらか堪能すると名残惜しそうに離れていく。
「はぅ……だ、けど、いつも慣れてなくて……」
「バージンに拘りはないけど、ハルくんの初めての感覚を共有できるなんて嬉しいよ。それに、初めから上手にキスできてるから不安になんてならないで」
察しやすいリアムは、依春の気持ちを汲み取って不安を拭いさってくれる。
初めからって、いつだっけ?と記憶を遡ると、事件に巻き込まれて帰ってきてからの……。依春からしたキスだったけど、あれを上手といえるのだろうか?
「はじめてって……」
「そう、あの口移しのキスも上手に……」
「え?」
「あ……」
明らかに依春の記憶にないキスの思い出がリアムにはあるようで、依春からでた疑問符にブランデーの瞳があらぬ方向に逸らされる。
というか、「口移し」と言った?
まって、なにを口移ししたの?
「ぁ〜……口移しはカウントに入らない?」
えへっとおどけたように言われても……。
「ちょっと、まって……口移しって、僕……知らない……」
頭の中のどの引き出しを漁ってみても出てこなくて口ごもると先程の動揺はどこへやらのリアムから更なる情報がもたらされた。
「そうか、あの日はハルくん酔っていて記憶があいまいなんだね。なかなかお水飲んでくれなくて、でも飲んでもらいたかったから口移しで飲んでもらったよ。お酒のせいもあって普段よりお口も熱くて、とろとろしていて、甘さが増していてね……って大丈夫?ハルくん、落ちちゃうよ」
「あのときっ!まって……じょうほうの、せいりが……追いつかない……」
もはや、知られてしまったら仕方ないのか開き直りのごとく依春の酔った痴態を称賛するリアムの言葉の数々。
処理しきれない情報に頭を抱えて後ろに仰け反りたくなるところを彼はそっと支えてくれる。
リアムの話によれば、依春のファーストキスは知らぬ間にふわふわとした夢心地の中でだったのか。
しかも、途中にお強請りまでしたことを暴露されると居た堪れない。恥ずかしい。
ファーストキスってそんなに耽美なものからはじまるのだろうか?昼間に聞いた世羅のファーストキスの思い出が可愛らしかっただけに……。
「内緒にしているつもりはなかったんだよ。話す機会がなかっただけで……。嫌だった?」
ふしゅんと項垂れるリアムは、依春の動揺に引かれたと思ったらしい。
いや、そうじゃなくて……。
確かに、驚きもしたけれど、ほんとうのところは。
「嫌じゃなくて、覚えてないのが残念だなぁって思っただけで。まさか、口移しっていうのは驚いたけど……っ」
「判断力が鈍ったハルくんに狡いことしてる自覚はあったから、機会があっても言わなかったかも……」
もごもごと言い訳をする姿が可愛くて、乾かした後のふわふわの髪に指先を絡めて撫でる。
依春の思っているより前からリアムからの愛情はたくさん注がれていた。それが、愛おしくてこそばゆい。
「僕が思っていたものは、可愛いキスだったから」
「ぁ、可愛いのはいつでもだから安心してね。あいさつのキスにはにかむハルくんも可愛いし、口にした時のとろとろになった表情も可愛いし、身体のどこに口付けをしても甘くて愛おしいが溢れてくるから……むぐっ」
リアムのキスはいつだって愛が溢れんばかりで、再びいかに依春が可愛いかの称賛の嵐。……嬉しいけど、思わずその口を手で覆って止める。
「わ、わかりましたから。もう大丈夫です……。リアムさんが嬉しそうでよかった」
「ハルくんのどこもかしこも愛らしいから、どんなキスでも幸せだからね。今だって疲れが吹き飛んじゃうくらい癒されるんだから」
ぎゅうっと抱きしめられると、首筋から細い喉元に擽ったいキスがふる。
首と喉へのキスは支配欲と執着の現れ。
依春のすべてを愛し受け入れてくれる証。
「ねぇ、ハルくん、今日はキスの日ですが、明日は俺の誕生日なんですよ」
「ぁ、はい。知ってますよ」
それは知っているから随分前から準備はしているから安心してほしい。喜んでもらいたいから、あまり話題にあげなかったけど。
「日付が変わった時にキスをしたら、29歳の俺のファーストキスになると思うんだよ」
「え?ぁぁ……そう、ですかね?」
ファーストキスってそういう意味ではない気がするけど、いいことを思いついたと言いたげな笑み。その含みのある笑みに何かを察しなくちゃいけなかったのだろうけど、唇まで登ってきた啄むキスによく考えることができなくなっていく。
「そうそう。キスの日も誕生日も祝えるし素敵だね。じゃぁ、ベッドにいこうか」
「は、え?」
「キスだけでおわれるといいね……」
ひょいと抱き上げられた拍子に耳許で囁かれた声は、耳朶をらあまく食むキスに撹拌されてしまう。
「ゃぁ……ちょっ……リアムさん疲れてたんじゃ……っ」
「うん、疲れてるからもっとたくさんキスさせてハルくんを充電させてね」
爽やかに笑ってるけど、明らかな意図をもって触れ合わせてくる唇の熱にじわじわと追い詰められる。
ながいながい甘やかな夜はこれから。
たくさんの愛情で味つけをして、頭から爪先まで余すところなく愛の花弁を刻み込まれていく。
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