たった一言を、君に

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その日の放課後、ゆきは図書室に来ていた。  少し勉強してから自宅へ帰ろうと思っていた。 昼休みのあの件以降、ゆきは佑真と目を合わせないようにしていた。彼女と思われてこれ以上迷惑を掛けられないから。  吹奏楽部が演奏している音が聞こえてくる。 今日はサッカー部が休みだということは、佑真が友人と喋っているのを聞いて知っていた。だから、勉強をしに来ているというよりは、放課後にバスで会うのを避けたかった。  いつか、自分が話せるようになったら、言葉を発することが出来るようになったら。その時は、恋が出来るといいな。 長机に教科書だけ広げ、物思いに耽る。 と、急に机の上に自分以外の影が落ちる。顔を上げるとそこには佑真が立っていた。 「…」 「お疲れ」 彼は普段とは違って笑みを浮かべていない。それどころか、少し怖い顔をしている。  何か悪いことでもしてしまったのでは、と思いすぐにノートにペンを走らせる。 が、ペンを握る自分の手に佑真の手が重なる。 驚いて目を丸くさせ、佑真を見た。 「なんか避けられてない?俺」 「…」 かぶりを振ろうとするものの、避けていたのは事実だったから固まってしまった。それを肯定と捉えたのか、佑真は長嘆する。 「俺はこれからも一緒に登校したいって思ってる。楽しいんだ、小倉と一緒にいるの。小倉は喋れない分、周りのことちゃんと見てる。そういうところ凄いなっていつも思ってる」  無言で泣きそうになりながらどう返事をしていいのかわからない。重ねられた手からは、彼の熱を感じた。心音が全身に響いている。 「あと」、そう言って彼の手がようやくゆきの手から離れ、佑真は鞄からあるものを取り出した。 それは、小さな封筒だった。  手のひらサイズのそれを渡されてゆきは戸惑った。 (これは何?手紙?) 「読んで。本当は朝に渡そうと思ったんだけど…なんか気まずくなったら嫌で」 「…」 意味が分からないまま、ゆきはその中身を取り出す。中に入っていたのは封筒と同じ柄の小さな便箋だった。手のひらサイズのそれには、一言だけ綺麗な字が綴られていた。 ―好きです。 「…っ」 「わかってる。返事はわかってるんだけど。いつも文字でやり取りしてるから。手紙書いてみようと思って。でも苦手なんだよ、手紙。だからごめん、本当に伝えたいこと一言になっちゃったけど」 そう言って照れ臭そうにこめかみを掻いた佑真の頬は若干赤くなっていた。 と、同時にゆきの瞳から涙が零れる。 それを、何度も手の甲で拭うが何度も何度も溢れてくるから拭いきれない。 「ごめん。嫌だった?好きでもない奴と付き合ってるって噂流れたら嫌だよな。ごめん、でも…―」 ゆきは大きくかぶりを振った。 そして、濡れた手でペンを持ち、ノートに言葉を綴る。 “嬉しいです” “とっても。嬉しい” “私も、高野君が好きです” 佑真が動きを止めて、瞬きを繰り返した。何度もそれを読んでようやくにっこりと笑った。 「俺も、好きだよ。付き合ってくれませんか」 ゆきは頷いた。 彼は言った。 「場面緘黙症って治る可能性も十分にあるんだって。色々調べた。それから、いつか聞きたいんだ、ゆきの声。家族以外で最初にゆきの声を聞くのは俺であったらいいなって、思ってる」 まだ声は出せないけれど、それでも初めて声を出して気持ちを伝えたいと思えた相手に出会えたことが何よりも嬉しくて、何よりも、幸せだ。 END
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