たった一言を、君に

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四月上旬 桜の花びらがゆらゆらと風に舞い、地面の色を変えていく。 それを見上げながら小倉ゆきは“綺麗”と声を出そうと口を開けるが声が出ない。春風が勢いよくゆきのセミロングの髪と濃紺のスカートを揺らす。それと同時に目を眇めた。  今日から高校二年生となり、クラス替えが行われる。毎年この時期は緊張でお腹が重い。 それはおそらくゆきだけではなく、他の皆も同じだろう。わかってはいるが、鬱々としていた。朝食もほぼ食べられずに家を出てしまった。    高校まではバスで通っている。いつものようにバスに乗り込み、いつもの座席に座る。 揺られながら窓を通して学校が視界に入るとゆきは顔を顰めていた。 バスの運転手の到着したというアナウンスと共にゆきは立ち上がる。と、バランスを崩して前方に立っている男性にぶつかってしまった。 咄嗟に声を出そうとするが、出ない。 「…あ、ごめん」 振り返った男性と目が合う。男性というには若い顔立ちをしている彼の格好をよく見ると学生服を着ていた。しかもゆきと同じ学校の制服だと気が付く。 ペコペコと何度も頭を下げた。どうにかして“ごめんなさい”と伝えたいのにダメだった。 しかし彼は特に気にする素振りも見せずにそのままバスの運転手に定期券を見せて降りていく。ゆきも続くようにして降りた。 声が出せなくなったのは小学生になってからだった。 もう何年も“外では”声を出していない。 何度も病院に通って診断された内容は場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)。特徴として、特定の状況下で声が出せなくなるようで、ゆきもまさにそれだった。 どんなに喋りたくでも、声を出したくても、ダメだった。人によってこの症状には個人差があるようだ。例えば仲の良い友人とならば普通に喋ることが出来る人もいる。 ゆきの場合は、家ではお喋り過ぎるくらいよく話す。それなのに自宅を出た瞬間に何か境界線でもあるかのように全く話せなくなる。 小学生の頃は一番症状が酷く、学校では鉛筆を持つことも出来なかった。 家では普通にできるのに、学校ではできない。だから、最初の頃は学校の先生にすら『怠け者だ』『甘えているだけだ』などと言われて結局不登校になってしまった。   元々人と関わることが苦手で、内気な性格だった。学校生活への不安から場面緘黙症になってしまったのでは、と医者からは言われている。  母親の勧めもあり、小学生までは“心のスクール”という不登校の生徒が集まる教室に通っていた。そこでは、様々な生徒がいてゆきとは真逆の快活な少年少女もいた。 どうして学校へ通っていないのか、不思議に思ってしまうほどだった。ゆきは人とコミュニケーションを取るのが苦手だから何も考えずに人と接することが出来る人を羨ましいと思っていた。  心のスクールのお陰で、ゆきは学校で鉛筆を持って文章を書くことが出来るまでになる。 これも、家では全く問題なく出来るのに、学校という特定の場所になると何もできない。 椅子に座るのがやっとだった。
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