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地方から来た者、外国からの移民、右も左も分からない者達に、王国内での様々な仕事を紹介する橋渡しを行っている。
日々入ってくる求人の募集を細かく精査して掲示したり、客と呼んでいるが仕事を求める者達と直接対話をして勧めたりするのが主な業務だ。斡旋料と紹介料を貰う仕組みになっている。
所長は、ロドリゴ・ティティアン。
王国からも功績を認められて、男爵位を授与された貴族だ。
町の発展に力を注ぐ、善良な男というのが表向きの顔で表向きの商売だ。
紹介料や斡旋料はわずかしか貰わない。はっきり言えば、そんな金で運営していくのは難しいくらいだ。
斡旋所は表向きで、裏の仕事は情報屋だ。かなり法外な値段を取るというから、こっちの方が本業と言ってもいいくらいだ。
ロドリゴのバックには大物の貴族がいるらしいが、それは俺達には分からない。
何か知りたいことがある者から依頼が入ると、従業員の俺達が探って情報を集めてそれを売るという流れになっている。
依頼には二種類あって、ごく単純で簡単なものがシロと呼ばれて、この手の依頼が一番多い。結婚相手の素行調査、夫、妻、恋人の浮気調査、人探し、仕事のライバルの弱みや秘密を知りたいなどと言った依頼が多い。
従業員が直接話を聞きに行って、ロドリゴに報告、許可を得て依頼を受けたら完了までは一人の者が対応して、ロドリゴには結果を報告をして終了だ。
もう一つがアカと呼ばれる、特別な依頼だ。
依頼主の情報は従業員には明かされない。主にコンタクトを取るのはロドリゴで、指示は全てロドリゴから入る。
一度取り掛かれば、店を離れてそちらに集中することになる。
仕事内容は制限がない。
要人の相手に探りを入れて単なる情報を得るだけにとどまらず、依頼次第では時に力を行使することも、そして殺人すら厭わない。
ベテランの従業員が数名で取り掛かることもあり、結果消えてしまった者もいる。
命を落とす可能性のある任務だった。
従業員は俺も含めて十名ほどいるらしいが、店で顔を合わせるのが数人で後は任務中なのか、今何をしているかさっぱり分からない。
二十五の時、この斡旋所に来て、最初に顔を合わせた時、ロドリゴは汚らしいボロ切れみたいな俺のことを見ても何も言わなかった。
ただ生い立ちを聞かれて、隠すこともないので全部話したら、大変だった割にはお前の目は悲壮感がないから気に入ったと言われた。
読み書きはできるのかと聞かれたから首を振ると、なら明日からそれがお前の仕事だと言われた。後は腹一杯食って寝てろと。
変わった人だと思いながら置いてもらえると分かって俺はまた泣いた。
男の泣き顔は嫌いじゃないけど、もっと綺麗にしてくれと言ってロドリゴは笑った。
わけの分からない任務を言い渡されて、困惑しかないのだが、嫌だと言って逃げ出すことができないのは、その時拾ってくれた恩があったからだ。
昨夜の任務を言い渡された時を思い出しながら、モンセンにどう説明したらいいのか、俺は言葉が詰まって上手く出てこなかった。
「……何を仰っているのか、そ…それは本気ですか?」
ロドリゴの意味の分からない発言に、はい分かりましたなんて言えるはずがなかった。
「リオがここに来てもう二年だろう。読み書きもできるし、下っ端の使用人として潜り込むなら問題ない」
そこを問題にしているわけではないので、頭がこんがらがりそうだった。
俺は慌てて強調してそこを言う必要性に駆られた。
「あの…、お忘れかもしれませんが、俺は元男娼ですよ。もちろん…付いてますから…理論上は可能ですけど、女性相手に…どうこうできる自信がありませんよ」
そもそもありえない任務なのでそれも信じられないが、あったとしても俺自身が使い物にならないので完全な不適任者だ。
女性との経験をする前に、散々男を教え込まれてしまった。
今さら女性相手に性欲も湧かないし、無理矢理襲うなんてもっての外だ。
「その点は大丈夫だ」
「はい?」
何が大丈夫なのかと叫びそうになった。だいたいなぜそんな非道なことをしなくてはいけないのか。俺にはとてもできない任務だと頭がズキズキと痛んだ。
「マクシミル家の一人娘。メイズ嬢は十八歳になったばかり、社交界の白百合と呼ばれるほど美しいご令嬢だ。今難航しているのはメイズ嬢の結婚相手選び。メイズ嬢の結婚が決まる前に、お前が彼女を妊娠させるんだ」
俺が必死に訴えかける視線をロドリゴはまた大丈夫だと軽く流して、不敵に笑った。
「マクシミル家は古龍の血を引き継ぐ一族。彼女は普通の人間とは違う。リオが考える方法は必要ない」
またお伽話の続きかと煙に巻かれているようだった。
「マクシミル家に潜入する手筈を整える。任務開始は一週間後、詳しいことはまた追って連絡する」
それだけ言われて、ロドリゴに話は終わりだと部屋から追い出されてしまった。
「リオ? 聞いているのか? 今からでも俺がボスに掛け合って……」
俺が思い詰めた顔で考え込んでしまったからか、モンセンが心配そうな顔で覗き込んできた。
ありえない任務、事情も分からず混乱しかない。しかし、ここに連れてきてくれたモンセンには心配をかけたくなかった。
「大丈夫だ。ボスには簡単だと言われているから」
口で言いながら、何が簡単なんだと自分でもおかしくなりそうだったが、モンセンの前では平静を保った。
「……分かった。やばいと思ったらすぐ逃げろ。この仕事を勧めたのは俺だけど、リオには危険な道を進んで欲しくないんだ」
葛藤している表情のモンセンを見て、申し訳なく思いながら俺はありがとうと言って、仕事の残りを片付け始めた。
俺は空っぽだ。
こんな人間にできることなど限られている。
何が待ち受けているのか分からないが、もう後戻りはできない。
ふと視線に入った指先がインクで黒く汚れていて、それが自分にはよく似合うと思いながら俺は一人で力なく笑った。
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