最果ての地へ

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 それから朝食を食べた立花達は、バスに揺られて旧新宿へと向かっていた。  バスとは言っても地上の都内を走る洗練されたそれではなく、クラシックカーのように平坦なデザインで座高も低い。外見は深い緑色をしており、天井もなくオープンカー上体だ。車内では女性と思われる妖が、次に降りる乗車駅を口頭で告げていた。  『次はーー、社が丘、社が丘』  何だか一昔前の時代の博物館に来ているみたいだが、博物館には狼男のような妖も舌が異様に長い妖もいる訳がない。ここは間違いなくアンダーランドだ。  「そういや立花さん、例のものは持ってきたかい?」  狭苦しい車内で茜と肩を並べていると、少し低い位置から茜が話しかけてきた。  「例のもの?」  「ほら、案内を受ける代わりに念押ししたはずだよ? 忘れたとは言わせないさ。ま、まさか持ってきてないなんて事ーーっ」  珍しく焦りの色を見せる茜に、立花は「持ってきてる持ってきてる」と慌てて鞄を開く。こんなもの必要なのかと軽んじていたが、真剣な頼み事だったようだ。  立花が取り出したのは、乳白色の液体が入ったペットボトルだ。ラベルは白と青を基調にしており、流動的なデザインをしている。  要はカルピスだ。上で買えば一つ百円程度で買えるような代物。しかし茜はそれを有り難そうに抱えると出会って一番の笑顔を見せた。  「これこれ、これが欲しかったんだ。感謝するよ立花さん」  「・・・・・・どこにでも売っているだろう」  そこまで喜ばれるとは思っていなかった。疑問を投げかけるが、隣の雑賀が「意外とそうじゃないんですよう」と苦笑いする。  「地上の商品を取り扱ってる店はあるんですが、どこも通常より高いんです。そのくせ人気で在庫も少なくて。本当はもっとメロンパンとか食べたいんですけど」  「何を持ち込むにしても上から下は色々手厳しくてね。入口は人や妖の入りが激しいし荷物の確認などは甘いから、こうして人に持ってきて貰うのが一番って訳さ」  なるほど、どうやらカルピスなどの市販品はどこでも売っている訳ではないようだ。  「たった百メートルほどしか変わらないのに、おかしなものだな」  率直な気持ちを吐露すると、茜も「ああ」と頷いた。  「本当に。これっぽっちの違いなのに、見える景色は随分と違う」  「君は、どうしてこんな仕事を?」  深入りするつもりはなかった。しかし茜の目を見ると、自ずと言葉が出た。  問いかけに、茜はいつもの飄々とした仕草を崩さずに肩をすくめる。  「さあてねえ、もう少し立花さんと仲良くなってから、また語ろうじゃないか」  そう言って茜は嬉しそうにペットボトルのキャップを外した。次いで美味しそうにカルピスをごくごくと喉に流し込む。まるでビールを呷っているような気持ちの良い飲みっぷりだ。  本当に感情と表情が一致する人だ。見ていると胸の内側が何か変な感じがする。  そしてそれを感じているのは、自分だけではないようだ。  覚えた違和感に口を結んでいると、バスが停留所に止まった。扉が音を立てて開き降りる客と乗る客が交差する。  するとその内の一人の乗客が茜に気付くや否や「茜さん」と手を上げた。全身獣のような体毛で覆われており、恐らく手であろう部分は三つの肉球がある。  「なになに、お出かけ? 楽しそうにカルピスなんか飲んじゃって」  「生憎と仕事だよ。あんたこそまた博打かい? 何事もほどほどが肝心だよ?」  異形とはこの事かと言わんばかりの見た目であったが、茜は特段構える事無く言葉を交わしている。そしてそれは彼に限った話ではない。  「茜さんじゃないか。なになに、また悪巧み?」  「聞き捨てならないねえ、あんたよりかはいくらかは善人だよ」  「やあ茜さん。またセントラルに来たらうちの店寄っておいでよ」  「ああ、カルピス入荷してくれんなら考えとくよ」  「アッカーネサン、サッキ、ガチャガチャ、イタ」  「そうかい、そりゃあ出くわさないように気をつけないとねえ」  目的地に辿り着くまで、絶えず彼は頻繁に知り合いであろう妖と出会い、楽しそうに談笑していた。一部日本語のおかしい妖もいたが覚えたてなのだろう。  しかし茜は誰とでも分け隔て無く話す。何せ自分であろうとも彼はこの調子なのだ。その度量の広さは容易に想像がつく。  「ーー随分と、顔が広いな」  感心していると、茜は「まあねえ」と手を振った。  「長い間こんな仕事をしていると、自ずと顔見知りも増えてくるってもんさ」  「君は、私が見る限りそれほど長く生きていないように見える」  「はは! 素直だねえ立花さん! しかしそれはあんたの想像通りだ」  茜はからからと陽気に笑った。だとするとやはり彼は年相応であるようだ。しかしこの仕事を始めて長いという点が矛盾している。長いのであればそれこそ子供の頃からアンダーランドにいないとおかしいが、果たしてどうなのだろうか。  (・・・・・・駄目だ、な)  疑問を浮かべて、それから失笑した。  こんな事を気にしている辺り、もう自分は彼に随分と惹かれてしまっている。今日は人生最後の日だと言うのに、何をこれ以上気にするのか。とんだ愚鈍だった。  自分は今日、なるべく奴らを巻き込んで死ぬというのに。  わざわざこれ以上未練を残す事などない。ただ恨みを抱えて死ねばいい。  改めて事実を噛みしめる立花を、茜は澄んだ目で見つめていた。
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