最果ての地へ

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 「ーー立花さん? 飯、冷めちまうよ?」  は、と立花は顔を上げる。  どうやらぼうっとしていたようだ。目の前のテーブルの器からはモクモクと湯気が上がっている。蒸気に混じってほんのりと酸味のような香りが鼻孔をかすめた。  ここは、旧新宿にあった一件の料亭。  既に太陽は垂直に昇っている。この時間帯は地下も日差しが差し込むようで、頭上のステンドグラスを眩く照らしていた。  そんな、昼下がり。  「こんなごちそうを前に心ここにあらずとは、贅沢だねえ立花さん」  茜はけたけたと笑いながら、恍惚とした視線をテーブルに向けている。  「これは宝生卵飯(フォウシェイリョウリャン)」茜の声は上ずっていた。「米は旧新宿で植えた稲を使用。地上で摂れた鶏卵を混ぜ合わせて溶き卵にし、フライパンで熱したものをほかほかの米に被せた旧新宿の郷土料理さ。蕃茄を減量した調味料もまた良いんだ。卵の持つ素材の甘みと調味料の酸味が口の中で解けて絡み合う垂涎の一品、早くおあがりよ!」  「・・・・・・」  朗々と解説する茜であったが、立花はいまいち解せない表情だ。  「・・・・・・? どうしたんだい立花さん。ああ、さては圧倒されているんだね」  「いや・・・・・・・・・」  立花は言い辛そうにその宝生卵飯とやらを指さす。ふわふわの黄卵に包まれた米、その上に乗るとろみがかった真っ赤な調味料、これはどう見ても・・・・・・。  「これ、オムライスじゃないのか?」  反応は劇的だった。  「何てことを言うんだ! これは宝生卵飯だよ!」  「そうですよ立花さん、どこからどう見ても宝生卵飯じゃないですか!」  雑賀も食い気味に言ってきたので立花は思わず言い詰まる。だが何度見直そうがこれがオムライスであるという事実は変わらない。十人に聞けば九人がオムライスと言うだろうし一人間違えたとしてもオムレツと言うだろう。というより彼らの食い気味の反応からして因縁があるのは明らかだ。  「・・・・・・では、この宝生卵飯たる料理が生まれたのはいつなんだ」  「五年前」  無茶苦茶最近だった。  「だ、大事なのは時間じゃない。確かに地上のオムライス? ちょっとよく分からないけどそれを参考ーー類似している事も無いが、これはれっきとした旧新宿の郷土料理だよ! 異論は認めん!」  茜はもう引っ込みがつかなくなったみたいだ。立花は「そもそも」と嘆息する。  「郷土料理と言うが、この料亭も新しいし周辺も殺風景だった。本当にこの辺りに郷土と言うほどの歴史はあるのか? 僕にはとてもそう思えないが」  最初、降りる停留所を間違えたのかと思った。旧新宿と名が付いているのだから、それらしい反映をしているものだと思っていた。  だが基本この土地を構成するのは、芝だ。青々と生い茂った芝がどこまでも広がっている。所々民家だって存在しているがそれだけだ。辺りを見ても比較的新しい民家が数軒建ち並んでいるだけで、後は古めかしいあぜ道と生い茂った芝が続いていた。  殺風景だが妙に新しい。まるで田舎に突如出現した新興住宅地のようだ。  極めて率直な感想だったが、茜は何てことのないように「ないよ」と口を開く。  「・・・・・・ない?」  「ここも昔は宿場町だったらしいけど、大崩落で壊滅的な被害を受けてね。現在は絶賛復興中だよ。そういう意味では一度歴史は消え去っている」  「・・・・・・」  「まあ、被害の少なかったセントラルや境界中央周辺以外はみぃんなこんなもんさ」  雑賀が何気なくあいづちを打つが、立花は痺れたように動けなくなった。  言われてみれば当たり前の話ではある。たった十年で新宿と渋谷にまたがる面積を完全に修復する事は不可能だ。だが自分が驚いたのはそこではない。  もう一つの当たり前、大崩落そのもののあり方だ。  我々にとってしてみれば、ある日地の底が抜けた。それにより地上から多くの命が失われた、それが大崩落だ。その事実は今もそしてこれからも変わる事は無い。  しかし視点をアンダーランドに変えてみると、ある日天が降ってきた事になる。  そして恐らく、地上と同じように大勢の命が失われた。  それもまた、大崩落だった。
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