一歩ずつ、前へ、前へ

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 「ーーなるほど、やはりそういう事かい」  全てをはき出した立花に、茜はふっと顔の緊張を解く。  「一つ聞くが、そんな事、娘さんが望んでると思うかい?」  あまりにもありふれた言葉に、立花は「はっ」とあざけるように失笑する。所詮は彼も他人事なのだ。他人事だからこそ他愛も無い言葉で場を濁そうとする。  「そんな綺麗事ーー」  「綺麗事? ああ、そういう風に聞こえたなら謝るよ」  しかし、茜はすぐにそれを否定した。  「生憎あたしも人間だからね。世の中はそれなりに穿ったように見てるつもりさ。復讐も大いに結構! 全てを奪った相手が居るならば、そいつから奪い返そうというのは極めて真っ当な意思だ」  ただね、と茜は立花の目を真っ直ぐ見る。  「それらは全て、刃を向ける相手が居ればの話さ。昨日と今日二日過ごしてみて、立花さんから全てを奪った奴はいたかい?」  「・・・・・・」  居るわけが、無い。  ここに敵はいなかった。誰もが行き場のない怒りや悲しみを抱えて生きているだけだった。自分はただそれに耐えきれなくて、現実から目を背けているだけなのだ。  「復讐する相手の居ない復讐なんて、ただ立花さんが苦しいだけだ。だからそんな事は娘さんだって望んでいない。それだけさ」  正論だ。茜の言っている事は全て正論。但しそんな正論を受け入れるような人間であれば、自分はこれほど苦しんでいない。  「・・・・・・あんたには、分からないだろうな」  泣き笑いのような表情で立花は茜を睨む。  「当たり前のような日常が、ある日前触れも無くいきなり崩れるんだ。あの日学校に行った娘は、その後二度と帰ってこなかった。それなのに家にはあの子の過ごした時間はそこら中に残ったままだ。どこを見てもあの子を思い出す」  そんな残された者の怒りや苦しみが分かるか? と立花は涙ながらに訴えた。  勿論、分かるはずが無い。たかが齢十四、五の少年に何が分かると言うのか。  しかし彼は迷う事無く「わかるよ」と頷いた。  ぶちり、と頭の血管が切れたような音がする。最大の侮辱だとさえ感じた。  「貴様、ふざけるのもいい加減にーー」  「何せ、あたしは残った側だからね」  そんな立花の激高は、茜の不可思議な言葉に遮られる。  「・・・・・・は?」  何だ、今彼は何と言った? 残った側、だと?  目を腫らしながら訝しんでいると、茜は唐突に羽織を脱ぎ始めた。羽織の中にある白い肌が露わになる。こればかりは立花も怒りを忘れてぎょっとした。  「さ、さっきから一体何をーー」  だが立花は再び沈黙する事になる。  露わになった白い肌には、目を覆いたくなるような無数の傷跡が刻まれていたのだ。  傷の深さは大小様々であったが、そのどれもが壮絶だった過去を呼び起こす。よくこのような傷を受けて生きていたものだ。それほどの傷跡だ。  とてもではないが、まだ十四、五の少年が背負っていい傷では無かった。  「これは・・・・・・一体」  戸惑いながら尋ねると、茜は猫のような目をこちらに向ける。  「十年前の大崩落。多くの命が地下へと消えていったあの日、あたしも確かにその内の一人だった」  そして告げる。衝撃の事実を。  「あたしはあの大崩落の唯一の生存者さ。あの日あたしは地下に落ちてきて、奇跡的に一命を取り留めた。そしてその日からずっとここに居る」  だからこその、始の境界屋。  視界に溢れる花弁の中で、茜は初めて会った時と同じように優しく笑った。
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