一歩ずつ、前へ、前へ

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  「震災の、生き残り・・・・・・?」  そして今、立花は次なる衝撃にさらされている。あまりに突拍子も無い事実だったので聞き間違いかと思ったが、茜の顔はとても平坦だ。  「嘘だ、そんな馬鹿な」掠れた声で立花は後ずさる。「百メートルは超える大崩落だぞ? とても生身の人間が生きられるとは思えない。嘘に決まってる」  「ああ、その通り。あたしは不幸にも幸運だった」  茜は再び脱いだ羽織を着ながら、遠くを見る目をする。  「高速道路という高い位置に居たので、岩盤の崩壊に直接巻き込まれなかった。地下も隆起した地形になっていて崩落内で一番高低差が少なかった。落下した場所が地下の水源の位置にあった。そういった幾つもの奇跡があたしを生かした」  それでも、両親は助からなかったけどねと茜は言った。  「・・・・・・」  何と言うことか。思わず「馬鹿な」と消え入りそうな声が漏れた。状況が状況なのでこの震災は当時生き残りは確認されていなかった。だがまさかここにその一人がいるとは、だ。確かに震災以降ずっと地下にいたなら、地上では死亡扱いになっているのも理由は理解できる。  だが常識的に考えて5,6才の子供がこんな地下で、それも黎明期の頃の地下で生き残れるとは到底思えない。それほどまでにこの事実は目を疑う。  「茜さんの想像通りだよ。恐らくあたしに限らず、崩落自体の生き残りはいたんだと思う。しかし本当の地獄はその先さ。地下で暮らしていた妖の恨み、悲しみ、憎しみ、そういった負の感情は全て生きている人に向けられた。他の生き残った人は、それらの大きな感情によって死んでいった」  何故彼がこれほどまでに儚いのか。  何故彼から年齢による幼さを感じないのか、その全てを今理解した。  恐らく彼は一度死んだのだ。地上の全てが落ちた日に、彼は死んで生き返った。自分と同様、彼もあの日に色々なものを置いてきた。  「でもね。あたしは何も恨んじゃいないんだ。あたしがこうして生きているのは、そんな数多の恨みの中で、数多の妖があたしの身を案じて庇ってくれたからなんだ。あたしは大勢の命によって生かされた。それもまた事実だ」  光と闇の両面を見た彼の顔は、信じられないほど朧気で、愛おしい。  呆然と立ち尽くす立花を余所に、茜は自身の掌に視線を落とした。  「あの日からずっと考えている。あたしは何で生かされたのか。そして気付いたんだ。数多の幸運と誰かによって生かされた命であれば、あたしもこの命を誰かの為に活かす。それがあたしがここで境界屋をする理由だとね」  同じだ。自分もずっと疑問だった。どうして自分はまだ生きているのか。どうして死んだのが自分では無く有香だったのか。  彼は答えを見つけた。だが自分はまだその答えを見つけられていなかった。  「・・・・・・」  「立花さんとは随分と仲良くなっちまったからね。ついつい語っちまったよ」  茜があまりにもあっけらかんと笑うので、溢れる涙を留める事ができなかった。  「ーー分かってたんだ。全部、何もかも」  感情は溢れるばかりで、いっこうに退くことはない。  「恨むべき相手は妖でもない。自分なんだって」  色々なものがむき出しになった今、自分を覆っていた鎧も剥がれ落ちた。自分の根の部分には誰に対する恨みも憎しみも無い。ただ己自身に対する後悔だけだ。  自分はただ、あの時声をかけていれば良かった。「行かなくていいよ」と一言言うだけで良かったのだ。それだけの話だった。  あの日、あの背中を止めなかった事を、自分は今でも後悔し続けている。  それが唯一の理由。  自分はただ、死にたかったのだ。  「ーー立花さん。これは震災なんだ」  嗚咽を噛みしめながら背中を震わせる立花に、茜がそっと手で触れる。  「ここには容疑者も犯人もいない。ただ犠牲者と、残された人がいるだけだ」  耳障りのいい優しい声が耳元からすっと体に入ってくる。ずっと支離滅裂な事を言っていたにも関わらず、全てを理解してくれているように茜は寄り添ってくれる。  自分だけでは無い。あの日を踏ん張って生きている人は他にもいる。  それがどれほど救われる事か。立花は今にして理解する事ができた。  「だから、残されたあたし達にできる事はあの日を忘れないこと。この命が尽きるその日まで大事な人を覚えてあげる事」  彼は残酷だ。最後に自分に生きる意味を与えてくる。もうどうでもいいと思っていた未来の話を聞かせてくる。  だがそれは全て、あの子が見れなかった未来なのだ。彼女が歩めなかったその分を、自分は一歩ずつ歩いていかなければならない。  「だからどうかこれからも、これからも生きていて下さい」   あの日から10年。ようやく自分はそれに気づくことができた。  花弁は風に舞い、上空へと向かっていく。立花は声にならない悲鳴を上げて泣く。  こうして立花の復讐は、眩い花の光の中で幕を閉じた。  いつかあの子と会うその日まで、生きていこうと思った。
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