最果ての地へ

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 『お待たせ致しました。東京アンダーランドです』  アナウンスと共に、凌雲閣の扉が音を立てて開く。  「あ、先に今後の我々の予定、言っておきますね!」  歩き出しながら雑賀が胸元から取り出したのは、意外にもiPadだった。  「今日は宿泊予定のゲストハウスにチェックインし、食事もそちらで用意します。明日の昼は旧新宿の穴場の料亭を押さえましたので楽しみにしてて下さい。夕方からはセントラル街屈指の人気の店があるのでそちらにも行ければとーー」  iPadをスクロールしながら説明する雑賀に、茜が瞳で釘を刺す。  「こら雑賀、さっきから飯の話ばっかりじゃないか」  「はっ、すみませんつい欲望が!」  「雑賀は本当に食べるのが好きだねえ」  「いやいやっ。寧ろ嫌いな人はいないと思いますよ」  「さあねえ、食べなきゃ生きていけないだけで、それが全員が全員好きかは案外と分からないものさ。病人は薬が好きで飲んでるのかってね」  「出た、茜さんのへりくつ・・・・・・」  「理屈だよ」  雑賀と茜は互いにわいわい掛け合いをしているが、立花は目の前の景色に目を奪われてそれどころではなかった。  「・・・・・・」  薄暗い。  それが地下百メートルの世界に降り立った感想だった。黄昏時であるにも関わらず陽の光は殆ど差し込んで来ない。街灯が無ければ殆ど歩けないような暗さだ。よく森の中は陽が沈むのが速いと言われるが、その感覚に近いのかもしれない。  そのくせに頭上を見上げると、視界の端に僅かに茜空が見えるのだから不思議だ。ビルも自分の視線の遙か高い位置に立ち並んでおり、目の錯覚かと勘違いしてしまう。  それでも立花が迷い無く周囲を見渡せるのは、建物の内側から湧き出る光と周囲に取り付けられた提灯の光によるものだろう。その光は地上の電灯よりも眩く、しかし暖かい。深い濃霧の中に浮かぶ灯台の光のように安心感があった。  異質なのは景色だけでは無い。  人も、いや、妖もだ。  ここまで来ると人間は殆どいない。人間かと思われる者でさえ目が余計に多かったり爪が異様に長かったりと人ならざるものだ。また彼らが語る言葉も中東の言語のようにニュアンスさえ理解できない。服装もやはり古めかしく和装のものが殆どだ。  明らかに異質であったが、ここにおいては立花の方が異質だ。最初はパスポートなど大げさだろうと思っていたが、上とは違う国と文化である事は間違いないようだ。  「驚いたかい? 最初は誰でも驚く」  いつの間にか横に茜が並んでいる。  「最初に言っておくよ。これからあたしは境界屋としてあんたの旅の万全を期す。その為にはあんたの協力も必要だ」  「私の、協力」  「ああ、いくら人が出入りできるようになったと言ってもここはアンダーランド。地上のようにふらっと夜散歩でも、とはいかないんだ。ねじの外れた跳ねっ返りがいない訳でもないし、ふと路地に迷い込んでそのまま、てのも・・・・・・」  どきり、と立花は周囲を見渡した。あまりにわかりやすい反応だったからか、茜はすぐにけたけたと笑いながら「脅しすぎたかねえ」と白い歯を見せる。  「まあ、用心するに越した事は無いよ。既に境界の方は越したんだしね」  改めてようこそ、東京アンダーランドへ。  茜は囁くように言う。  アナウンスと同等の言葉であったが、何故か彼が言うと独特な響きのように聞こえた。
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