あるものを大きく活かせ!〜水俣市長選挙を振り返り〜

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あるものを大きく活かせ!〜水俣市長選挙を振り返り〜

まず、前ページに書いた水俣病の記事も合わせてご覧下さいませ。 b058902a-39bc-4c25-a268-71b33a958254 先日、水俣市の市長選挙がありました。 b7a654f6-5ed5-424b-85f8-bb8a48646bd1 高岡市長の公約にある文言を見て他市で外貨を稼ぎ、水俣市に金を落とす事に抵抗がありますと言う意見をSNSで見掛けました。 水俣市で、仕事もお金もできるだけ、まわすことはできないかなあとも言われていました。 “外貨を稼ぐ水俣市”とはどう言う意味か? 御本人で無ければ解らない訳ですが(汗) しかし、今は色々な形であれ水俣にお金が落ちる方法を打ち出さないといけないと思うのですが(^_^;) 5c71e785-9d6c-40c7-92c8-750fbbc3a7f2 “福祉でまちづくり” 意図が少し分かり辛い気がしますね。 札幌市や福岡県などで“福祉のまちづくり条例”と言うのがあるそうです。 ddea9feb-4cc6-471e-bce7-633d0ced348d 上記は福岡県の条例です。しかし、この総則を見てもイマイチ解らないのは私だけでしょうか? もしかして水俣市にも田代候補はこれを取り入れようとされたのでしょうか? しかし私は福祉でまちづくりと言われてもビジョンが良く解りませんでした。 もちろん、理想は解ります。 では、何が解らないかと言うと、、、市民の生活にどう関わるのか?どの様な影響があるのか?その当たりが解らず、経済的にも財政がプラスになるのか否かも気になるのです。 実質単年度収支は、平成23年度以降毎年赤字を計上し続けているそうで、令和元年度 は5億8千万円の赤字だそうです。 また、県内でもワーストだそうですが、福祉でまちづくりをすると赤字が解消されるのかが解りません。 何せ先立つものは、お金ですからね。心身の豊かさも大切ですが、誰だって財布が寒いのは嫌ですよね。 田代候補からは、その辺りを踏まえて財布の中身が増えるような話は聴こえて来ませんでした。 きっと市長選挙では、水俣の財政も争点であり、少しでも街が潤う可能性がある候補に投票されたら結果が高岡利治市長の再選だと思います。 投票率は57・11% 〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー 7312票 高岡 利治 氏 (^o^) 〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー 3953票 田代 久子 氏 ( TДT) 〜ー〜ー〜ー〜ー〜ー 3359票差でした。 敗因勝因・・・。 写実主義か抽象表現主義かと言う所かなぁと思いました。 私の感想は、田代候補は抽象的なマニフェストに思えました。 高岡候補は写実的な気がしました。 解りやすいマニフェスト、水俣市の財政を立て直すためには外貨を獲得する事も大切だとしたら、福祉で集客出来るの?外貨獲得出来るの?と言う疑問も湧きました。 街が盛り上がるためにはと考えた時には、高岡候補のマニフェストが現実的に見えますね。 水俣市の活性化や産業振興などにおいてなど総合的な判断がなされた結果かも知れません。 福祉でまちづくりと言われても正直、誰が恩恵を受けるのかも良くわかりません。 福祉を蔑ろにしてはいけませんが、福祉は、私は大樹の幹ではなく枝葉の一つだと考えます。 何を幹にするか、それによって枝葉にいる方々が恩恵を受けるか否かが決まる気がします。 いま困って居るのは、コロナ禍では福祉や医療関連だけでは有りません。 旅客運送業、宿泊業、飲食業などのサービス業の方々も然りです。 どちらの候補がより多くの市民に恩恵を与えられるかも考慮されたのではと考えます。 また、知名度の問題も少なからず有ったかも知れませんね。 田代候補・・・誰???と思った有権者も居たと思います。 高岡候補の組織票や知名度に果敢にアタックされましたが、やはり無理でしたね。 また、色々な意味で水俣市を前向きに進めるか、バックギアに入れるかと考えた時に前に進みそうな候補者を選んだ結果ではないかなあとも思いました。 さて、42.89%の方は何故に選挙に行かれなかったのでしょうか? 政治に無関心?? それでは良くない気がしています。 さて、田代候補は“観光資源の充実と広報活動の強化”とありますね。 具体的な細い政策はあったのでしょうか? 高岡利治市長は、新たなマリンスポーツ、SUPを水俣に広めるべく活動されてましたね。 テレビでも取り上げられていまして、先日はサッカー元日本代表でジーコ監督時代に登用された巻誠一郎 選手が湯の児で体験されていましたね 。 まだまだ根付くには道半ばですが(汗) 水俣市民の中では、“湿布は知っているが、SUPは知らん”と言う人が大半かも。 何せ高齢化社会でもありますからね。 そんな中において、外貨獲得と申しますか観光面にも力を入れられないかと考えております。 私は、観光地である事の自負が水俣市に掛けているかなぁと思うのですが(^_^;) 自負と言いますか、プライドと言いますか・・・(^_^;) さて、政策の柱が観光だったら・・・ 例えば観光という大きな柱、木を育てると、、枝葉になる部分にタクシー弥バスなどな旅客運送業、ホテルなどの宿泊業、他にも商店街などがいて、飲食業など様々な所が潤う気がしました。 私は、そこから経済面での活性化が出来ないかなあと思いますが(^_^;) また、トラベルボイス 観光産業ニュース と言うサイトに「衰退から一転、「熱海の奇跡」が実現した舞台裏を、再生キーパーソンに聞いてきた ―街づくりと観光の連動から「関係人口」の創出まで」と言うのがありました。 水俣と熱海を比べるかい?と言われそうですが、熱海市V字回復で検索すると出てきます。 熱海は工業都市ではなく、純粋な観光都市であります。 水俣と、熱海には温泉や海など共通点もあります。 先に紹介した産業観光ニュースにて、仕掛け人の市来さんは、熱海再生に向けてまず問題意識を持った事があります。 それはは、「地元が地元を知らない」ということだそうです。 特に熱海に多い別荘。 別荘に住む方々は、かりそめの居住で地元のことを知らない。 (かりそめ=その時限りのこと) 「熱海の人たちは地元にネガティブなイメージしか持っておらず、地元を楽しんでいないのが問題だと思いました」と当時を振り返えられたそうです。 そこで、始めたのが地元の人が地元を楽しむ「熱海温泉玉手箱(オンたま)」プログラムだそうで、街歩き、温泉めぐり、農業体験、マリンスポーツ体験など、地域の人がガイド役を務めるツアーを仕掛け、この取り組みは2011年まで約3年間続き、徐々に案内される方も、案内する方も地元に対する意識が変化していったといいます。 地域の人が地元に満足を覚えれば、訪問者に対してホスピタリティーが育ち、訪問者の満足度も上がるという好循環が生まれ始めたのがV字回復への一つの足掛かりだったみたいです。 地元を知らない・・・私も2年間住んでいただけですから傍から見れば簡易の主張や単身赴任的な感覚かも知れませんね。 しかし私は学ぶ事をしました。 街を散策したりして熱海を知ろうとして道路地図も買いました。 国際観光専門学校に通っていたので、必然的にそうなって行った気がします。 地元を知らない・・・その言葉を見て私は青ざめました。 確かにそうです。 高岡利治市長も熊本ですが菊池出身で田代候補も東京都世田谷区出身。 しかし、水俣市民の中に水俣市を知り尽くしている方々がどれだけいらっしゃるでしょうか。 もしかしたら、お二人の方が詳しかったりしませんか? 時として、地元民より他所から来られた方々の方が詳しい事がありますよね。 私は、まず水俣市には観光地としてのプライドを持って欲しいと思います。 その為には、子供の頃から教育プログラムに定期的に入れたり、お見知り遠足やお別れ遠足で公園(水俣なら竹林公園や大崎ヶ鼻公園、城山公園など)に行く際には、その場所の由来などを遊びながらでも学べたらなあと思うのであります。 総合学習では水俣病を中心に学びますが、それ以外を学んだ記憶が有りません。 例えば、湯の児温泉の成り立ちなど。 私は子供達から考え方をシフトさせていかないと駄目になる気がしています。 水俣病問題をなおざりにはしないまでも、それに固執しないポジティブな教育をしたほうが良いと思います。 さて、ここからは余談ですが、私なりには水俣病については語らない語られない真実、新事実などもある気がします。 もちろん、原因企業はチッソですが、街中に漂う噂以上事実未満の話も子供たちや世界に向けて発信されては如何でしょうか? 否定要素が無ければ事実だと言うことになります。 それは、水俣病発生当時の市民の行動はどうだったか、水俣病の被害拡大には市民の行動も絡んでいたのではないか。 そうした疑問も水俣病問題の一つで切り離しては駄目だと思います。 私はチッソだけが批判の的なのが気になりますね。 公害問題を学習するなら、何故に防げなかったかも大切ですが、その時周りは何をしていたか、例えるならイジメ問題にも精通する所がありますよね。 イジメを見て見ぬ振りしていたクラスメートがいたら、それは同罪ではないか。 水俣病もある意味私は、当時の市民が海の異変を問題視して声を上げていたら被害をもう少し減らせたのではと思うのであります。 その辺りも恥を忍んで学習材料になされてはと思うのであります。 さて、余談はこの辺りにしまして、本線に戻りましょう。 先程の余談は、地元民が地元を知らないと言う事に絡めた話ですが、水俣病ばかり学んでもと思うのです。 水俣病以外の水俣の歴史をどれだけの市民が知っているでしょうか。 歴史と言えば大袈裟ですが、水俣には名所旧跡が多数あります。 昔、こんな事も書きました。 「さて、これから書きます内容は、、、悲しい現実であります。 書くことには躊躇いもありましたが、皆さんに真実を知って頂きたくてペンを取りました。 場所は、陣内官軍墓地であります。 水俣に存在する史跡のひとつ、水俣城跡の裏手にあります。 道順としては、城山公園入り口からグラウンドに向かってのぼり、途中にある階段を右に登るパターンと東福寺脇からのぼるパターンが有りますが、看板はありません。 唯一看板があるのは深水邸脇の坂道ですが、草が生い茂り、決して歩けたものではありません。 右は深水邸宅ですが柵はありませんし、左は側溝らしき溝があります。 足を踏み外したら右に落ちたら大ケガで済めば良い方で、打ち所が悪いと危険です。 また、道の先にある階段は、歩幅がスマホひとつ分しかない場所があり、危険でした。広くてもスマホひとつ半くらいしかなく踏み外してしまいそうな感じの上に手すりはありません。 今日は、写真を撮ってきました。 もともと城があっただけに市内が一望できて、夕景や夜景が綺麗な場所だろうと思いました。 次に私が悲しいなあと思った点は、ゴルフボールを見つけた瞬間です。 怒りを通り越して虚しささえ漂ってきました。 以前に忠霊塔にゴルフ禁止の立て札があるにも関わらず、玉が落ちていたのを見かけたこともあります。 なぜにゴルフに興じるかと言うと、忠霊塔の周りが芝生であることと、市民に文化財として史跡としての歴史的価値を周知していない現状があると思いました。 みなさんは、墓場でゴルフしますか?。 また、ボール繋がりですが、、市役所の職員と思わしき一団が城山公園グラウンドでサッカーをしていたのを過去に見かけました。 旧市役所のレンタサイクルが在庫がなく昼に空になっていて借りれなかった経験があります。 つまり、自転車を借りてサッカーをしに行っていたと推測されます。 そこでまた、怒りが。 サッカーに興じるのをとがめませんが、史跡の中で興じるなら、たまには史跡に不具合や不備はないかを点検されてはと思ったのです。 城跡の石柱に“水俣市教育委員会”とあります。 ここで、水俣市に贈りたい言葉があります。 仏作って魂入れず。 猫に小判。 臭いものには蓋をする。 触らぬ神に祟りなし。 馬の耳に念仏。 過去に匿名では有りましたが同じ内容を同じ場所で滑って尻餅ついた時に電話して改善を求めたことがあります。 今にして思えば、怪我の程度が大きかったら改善されたのかなあとも思います。 まあ、詰まるところが、、管轄はどこだ?となり、責任転嫁のたらい回しになるのがオチかも知れません。 私は、こんな記事を書いていて虚しくて情けなくて何も出来ない自分が悔しいです。 町の悪口を書いていると思われた方々がいるなら甘んじて受けます。 悪口と言えば悪口ですね。 しかし、写真にも有りますが、墓石はボロボロ。 平気でゴルフボールを打ち込まれるような史跡に成り下がった城山公園。 一を見て十を知るではないですが、一部の方々の愚行が、市民性を反映していると取られたら寂しいことです。 “水俣って、大丈夫?” “やっぱ水俣人のやりそうなことだ(-_-;)” なんて言われかねません。 文化財、史跡、、、水俣市には、“猫に小判”なのでしょうか? 余計なことを書くなよと言う声が聞こえてきそうですが、、敢えて言うなら、、、その人は視点や論点がズレていると思います。 臭いものには蓋をするのは、有りがちな話であります。 しかし、その蓋を閉めた入れ物の中でガスが溜まりますと、いずれは爆破します。 また、人を悪く言ってはいけない。 至極当然です。 しかし、それは反省の無き場合は違います。 罪を犯し犯歴がある人がいたとします。 罪を悔いて反省し、前向きに生きる人を罵倒する人はいますか? 逆に反省もなく再犯してしまうような人は、悪く言われることありますよね。 つまり、水俣市が頑張っている姿が見られれば応援しますし、イマイチだなあと思えば意見することもあると言うことです。 良い方向にと舵を切って頂けたらと切に願うばかりです。 #拡散希望シェア宜しくお願いします」 水俣はある物、既存の物を活かすどころか殺している気がします。 そこで、熱海の話に来る訳ですが、熱海のV字回復に関する事を読むに、水俣の市議会の皆さんも、熱海の市議会の皆さんと相互交流したりして、学べる所は吸収して水俣で活かすどころがないか模索していかないといけないかなあと思いますが如何でしょうか? 行く行くは、高岡利治市長と斎藤栄市長と姉妹都市提携を結ぶくらいの域まで行って頂けたら嬉しいなあと思いますが如何でしょう。 水俣は観光面で色々やってきました。 ☆、映画制作 ☆、ガイどライバー制度など 映画制作は、『恋路物語 -each little thing-』(こいじものがたり)は日本の映画作品。「KOIJI Short Story」制作委員会が制作した短編映画。監督は菅野宏彰。 ストーリーを全国から募集し、345作品の応募の中からグランプリ作品に選ばれた「ばあちゃんの恋」(関戸幸子著)を原作とした水俣の自然を舞台に「恋」を描いた作品。 公開は未定。完成記念上映会を2007年5月12日に水俣市文化会館で行われた。(Wikipediaより) フィルムコミッションも出来ましたが、今はどうなってるやら解りません。 また、タクシーのドライバーさんが観光案内するガイどライバー制度もいつのまにか消えた気がします。 他にも朽果てた観光施設も多々見受けられます。 例えば、田代候補が商店街の活性化を唱っておられましたが、熱海の商店街も良き学習材料になりそうな気がします。 また、水俣にはブランドが有りません。 水俣発のブランドは皆無と言えますし、名産品も中々世に打ち出すには弱い所があります。 唯一有名な太刀魚でさえ、芦北町田浦港のブランドとして売出しに先を越されました。 細長い身体、銀色に煌めきながら、まるで侍が日本刀をかまえたように「立って」泳ぐ太刀魚。 田浦銀太刀と言うのがブランド名です。 水俣には、早急に名産品を含めてブランドを立ち上げる必要があります。 例えば、熱海レモンや熱海プリンみたいなものです。 水俣と言えばではなく、〇〇と言えば水俣を連想させるくらいのインパクトが必要な気がしました。 これからは、世界に打って出るブランド力を身に着けて、新しい水俣のイメージをゼロから作らなければならない気がしました。 書きたいことは山ほどありますが、長くなるのでこの辺で。
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