疑う事から始まるStory

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疑う事から始まるStory

さて、皆さんは冤罪と言う言葉を知っていますか? 刑事ドラマや実生活でも登場する言葉であります。 昔は、ご近所付き合いなんて言うものも有りましたが、今は余り聞かれなくなりましたね。 昔は、良く声を掛けてくるおじさんやおばさんいましたね。 しかしいま、子供たちに声を掛けようものなら、現代社会においては通報事案になりかねません。 いつから、子供たちは大人を見たら疑いの目で見る様になったのでしょう。 子供たちに“こんにちは”と挨拶しても、木霊すら返らない現実。 児童公園に大人が居ると、『昼間から何をしてるんだ?』と疑う大人もいます。 しかし、実情は夜勤上がりで休んでいるだけ、仕事の合間の休憩など様々な理由があるのではと察する余裕すら頭の中から消えてしまっている現実。 勝手な思い込みで不審者にされてしまうのが現実です。 そんな時にふと思うのですが、疑われた方の名誉はどうなるのでしょうか。 近年、痴漢の冤罪もニュースになることがあります。 逃げるが勝ちなのか恥なのか解りませんが、線路へ飛び込む方もいます。 もちろん、悪事の露呈を恐れての逃亡もあるでしょう。 しかし、駅務室に同行を求められると仮に冤罪だったとしても白は白ではなくグレーでもなく黒塗りの色眼鏡で見てしまう風潮があり、その場を早く切り上げたい一心で、有りもしない罪を被る人もいるのではと思います。 何せ、疑われた人の人生が掛かって来る訳ですから、遊び半分でと言う訳には行きませんからね。 ここ最近はアプリでもカメラのシャッター音が消せるアプリがありますね。 主に飲食店での料理の撮影や赤ちゃんの撮影など、音が気になる場合に使いますが、悪用する者もいます。 声掛け事案や痴漢や盗撮は、どこで線引きするか難しいですよね。 だから、疑って掛かる方が早いと言う結論。何だか早計に思えるのは私だけでしょうか? 大切なのは、そのあとだと思います。 疑ってもし何も無かった時にどう対応するか。 疑われるような事するな!と言ったり、紛らわしいなあと言うのは違うと思います。 疑って掛かった後、何も無ければ疑って掛かった自分を恥じる事、相手に謝る事も大切ではと思います。 根底には、子供たちや婦女子に対する犯罪がある事を忘れてはいけませんが、安易に疑う事の怖さも学ぶ必要があると思いました。
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