第二幕 前編【二】

1/1
111人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

第二幕 前編【二】

 二日目は、土曜日だ。  幹の起床より少し早めに起きて朝食を準備すると、幹は驚いた顔をした。 「食べていいんですか?」  食卓に並んだ朝食――卵焼きやみそ汁、白和え、大根のサラダ、白米――を眺めて、幹が呟く。 「うん」  幹はぱっと微笑んだ。  百合子は朝はあまり食べないが、幹は朝からがっつりと食べる。それを知っていたから少し多めに作ったのだが、幹はすべて食べてくれた。 「すごく美味しかったです。佐久間さんの卵焼き、すごく俺好みの味でした」 「ほんと? もっと味にリクエストがあれば変えるから言ってよ」 「今のままで充分です」  心底嬉しそうな幹は、緩みそうになる表情を堪えているように見えた。なんとなく新婚みたいだな、と思いながら、幹が諸々の準備をして大学に出かけるのを見送る。  リビングで一人になった百合子は、時計を見た。今日は、昼過ぎから職安に行く予定がある以外は、特に予定もないので時間には余裕がある。  先に洗濯機を回して風呂場の掃除を済ませ、簡単にリビングの掃除をした。その後洗濯物をベランダに干して、リビングに戻ったところで、ようやく秀一が起きてきた。  時間は、午前十時頃だ。休日はゆっくり過ごしたいのだろう。  その割には、やたらセンスのいい私服をびしっと着こなしている。出かけるのかもしれない。 「朝食、食べますか?」 「ああ」  百合子は、幹に作ったものと同じ料理を食卓に並べた。  食卓についた秀一は、それらを見て露骨に不満げな顔をする。 「俺さ、海外生活に慣れてるから洋食がいいんだよな」  不快さを隠そうともしない声音で言われ、百合子は胸中で動揺する。けれど、なるべくそれを表には出さずに「すみません」と謝った。 「それから昨夜のアレ、俺嫌い。サバ。まずさ、最初に聞くべきじゃねぇの。好き嫌いとかさ。お前、気配りできてねぇよ」 (あれ、こんな口調だったっけ)  そう思いつつも、なんとなく昨夜は社交辞令じみていたことに気づいていたため、何か隠していることは察していた。  本性を出したか、と百合子は苦笑する。  幹は秀一を尊敬しているので、百合子に何も心配ないと言ったけれど。秀一は、百合子が弟に相応しいか見定めるために今回の計画をたてたのだ。対応が冷たくて当然だろう。ねちねち小姑となる予感がひしひしとした。  けれど、秀一の言うことは「確かに」と思える内容だった。幹には好き嫌いがほとんどないので、秀一のことも勝手にそう思い込んでいたのだ。嫌いなものだけでも聞いておく必要はあっただろう。 「すみません、気をつけま――」 「つか、お前みたいな年増女のどこがいいんだ、あいつは」  言葉を遮られた挙句に言われた言葉の内容に、百合子は表情を強張らせた。 「……歳は関係ないでしょう」 「は? ふざけんな。男から見たら若いに越したことはねぇんだよ」  吐き捨てるように言われ、百合子は笑顔を作ったまま、大きく深呼吸をして――そして、食卓に両手を置いて、食卓越しに秀一を睨みつけた。 「当人たちがいいって言ってんだから、いいでしょ」 「いい歳して、本気でそう思ってんのか。浩二はお前とは違う。一流大学を出て一流企業に就職し、あいつに吊りあう嫁を貰うべきだ」  なるほど、と思った。  秀一は最初から百合子を認めるつもりなどないのだ。幹の手前、「認めるため」という理由で同居を薦めたが、実際は百合子を追い出したいのだろう。自分たちとは吊り合わないと見せつけ、百合子から身を引かせる算段なのだ。確証はない。けれど、なんとなくそんな気がした。 (腹立つ……吊りあわないことくらい、わかってるっての)  だが、ここで怒鳴るのはさすがに大人気ない。秀一は幹の兄とはいえ、百合子よりは年下だ。たしか二十六歳だったか。  百合子は再び深呼吸をして、「で?」と告げる。 「それを幹くんが望んでるの?」 「あいつはまだ子どもだ。現実がわかってない。幸せへ導いてやるのが、家族の役目だろうが」 「くだらない」  今度は、百合子が吐き捨てるように言う。  秀一の瞳に、さっと怒りの色が灯る。 「あんた、本気で人を好きになったことないでしょ」 「それこそくだらねぇ。だから女は嫌いなんだ、恋だの愛だの。他に大事なもんは沢山あるだろ」 「それはあんたの価値観でしょ。幹くんに押し付けるべきじゃない」  しん、と沈黙が降りた。  お互いに睨み合った末に、秀一が視線を反らす。 「だから、俺が悪いってか」 「いや、別に悪いって言ってるわけじゃ――」  ふんっ、と秀一は露骨に顔をそらした。子どもか、と言いたくなる態度だが、秀一がぎりっと歯を食いしばっているのを見て、思わずぽつりと呟いた。 「幹くんの話だよね」 「当たり前だろ」  やや違和感を覚えたけれど、どうでもいい。  このまま険悪になるのは簡単だろうが、幹の姿を思い出して、百合子はそっと気持ちを抑えた。冷静にならなければならない。自分のためにも、そして本気で結婚を考えてくれている幹のためにも。  ややのち、百合子は呟いた。 「わかった」 「あ?」 「社交辞令で適当に褒められるより、よほどマシ。言いたいことがあるならはっきり言ってよ。私が悪いこともあるだろうし、改めていくから。納得できないときは、どうするかそのとき考える」  秀一は馬鹿にしたように笑う。 「お前如きがいくら改めても、限度があんだろ。けど、まぁ、チャンスくらい与えてやるよ。精々あいつに相応しいように振る舞って、俺を納得させるんだな」  そう言うと、秀一はあれほど馬鹿にした和食の朝食をすべて食べると、リビングのソファで新聞を読み始めた。  結局食べるのか、という言葉を飲み込んで食器を片付けると自室に戻り、出かける準備をする。外出用の衣類に着替えたあと、百合子はリビングへ寄った。 「出かけた帰りに買い物してくるけど、お兄さんは夕食何がいい?」 「お前の兄になった覚えはない」 「秀一さんは何が食べたい?」 「秀一様だろ」 「……秀一さんは、何が食べたい?」  にっこりと微笑んで繰り返せば、秀一は不機嫌そうに顔をあげた。 「じゃ、ハンバーグ」 「ハンバーグ?」 「あ? 作れねぇってか。本見ろ、無知め」 「作れるけど。普通のでいいの? チーズ入りとかじゃなくて」 「ああ」  秀一はまた新聞に視線を落とした。 (ハンバーグか)  意外なものがきた。てっきりもっと無茶な要求をされると思っていたので、逆に驚いてしまった。ハンバーグなら作れなくもないが、もっと特殊なハンバーグのほうがいいのだろうか。  そんなこと考えながら目的の職安へ向かい、求人情報をいくつか印刷した。近場で探すか、場所は遠くても経験のある仕事を探すか。この近辺は都会ゆえに、求人の募集も多い。あまり条件を求め過ぎなければ、何かしら見つけることはできるだろう。  職安を出て、時間を確認する。混んでいたので予定より時間がかかってしまった。これから夕食の買い出しをして、帰宅しよう。  携帯電話に幹から「帰宅しました」とメールが来ていたので買い出しして帰る旨を返信してから、秀一のマンションから近いスーパーで材料を購入する。  やたら品質のいい食材が並ぶスーパーは、単価がそれぞれ微妙に高い。以前の仕事で得た貯蓄はまだあるしバイト代も特に散財していないので、今のところ食費は賄える。けれど、これが数か月にわたると厳しいかもしれない。住む場所が変わったことで、交通費のでないコンビニバイトを続けるのも資金的に辛いし。  支払いを済ませて、レジで渡された紙袋に購入した材料を入れていく。  エコバックも持っているし、これまでビニールの買い物袋しか使ったことのない百合子としては、この「やたら丈夫な茶色の紙袋」に購入したものを入れて持ち帰ることに違和感があった。 (……世界が違うよねぇ)  この辺りの物価はどうなっているのだろう。自宅から快速電車で一時間とかからない場所なのに、別世界のようだ。  マンションの慣れないセキュリティを過ぎて、部屋の前につく。鍵をあけて「ただいま」と告げると、幹が出迎えてくれた。「おかえりなさい」と告げて、荷物を持ってくれる。 「鍵、インターフォンで言ってくれたら中から開けましたよ」 「え、そんなのできるの?」 「はい、内側からは簡単に開けることができるので」  覚えておこう、と百合子は頷く。  幹とともにキッチンへ行き、購入してきた食材を冷蔵庫へ片し始める。リビングに秀一の姿はなく、幹と百合子の二人きりだ。  幹も片すのを手伝ってくれて、興味深そうに購入してきた食材を眺めていた。 「今日は何を作るんですか」 「ハンバーグだよ」  幹が軽く目を見張って、ふいにそわそわとし始める。何か言いたいのだろう。百合子は微笑んで、「どうしたの?」と促した。 「その、佐久間さんがこねるんですか」 「うん」  幹は、にま、と頬を緩めた。ハンバーグが好きなのかもしれない。色々なバリエーションを覚えよう、と密かに心に決めた。 「そういえば、幹くんは料理するの?」 「……授業でくらいしか、したことありません」 「そっか、実家暮らしだもんね」 「家事、出来たほうがいいですよね」  ぐ、と胸の前でこぶしを握る幹を見て、百合子は苦笑した。  どうやら覚えるつもりらしい。 「一緒に暮らすんでしょ? 家事は私がするから、今は大学卒業と就職活動頑張って」 「それは、勿論頑張ります、けど」 「けど?」 「…………料理、覚えておけばよかった」  幹は落ち込んだ様子で呟いた。  常に無表情で憮然としているようにも見える幹だが、実はよく落ち込む。厳しく育てられたようで、彼もまた完璧主義者な部分があるのだ。そして若さゆえか、やや考えた方が極端なところもある。  料理ができないから、駄目。料理ができるから、すごい。など。  特に、「幹本人が出来ないことが出来る相手」に対しての劣等感は、かなりあるようだ。 「別に、家事なんてそのうち覚えるって。私だって一人暮らしするまでは、全然家事できなかったもん」 「家を出たあとも、佐久間さんが家事をしてくれるんなら、俺、覚えられないままだと思います」 「だったら、覚える必要ないじゃない。私がいるんだし」  覚えようとしている幹に対して、失言だったかもしれない。けれど、なぜか幹が後ろから抱きしめてきた。ぐりぐりと甘えたように頭に頬を擦りつけてくる。  機嫌は直ったようだ。  幹が嬉しそうだと、百合子もまた嬉しい。ふふ、と微笑みながら、話しかけた。 「幹くんは、デミグラスか和風、どっちがいい?」 「俺、デミグラスがいいです」 「よし、了解。一応どっちでも食べれるように作るね。ソースを二種類用意して……和風はおろしポン酢かな、やっぱり」 「それって、ハーフでも食べれるってことですか?」 「そうだね、ハーフにする?」 「はい」  ならば、どちらのソースも同じくらいの量を作っておこう。  一度部屋に戻って動きやすい衣類に着替え、洗濯物を取り入れて畳んでから、エプロンをつけてから夕食を作り始める。なぜか食器棚に入っていたステーキ用の鉄板プレートを使わせてもらい、甘く煮詰めたニンジンやモヤシ、玉ねぎとじゃがバターを添えて、中央に焼いたハンバーグを置いた。  それぞれを食卓に並べて、よし、と百合子は頷いた。そして、ソファで待っていた幹に「できたよ」と告げる。本人はずっと調理を眺めていたかったようだが、ハンバーグを焼く際に油が跳ねることがあるので、退避してもらっていた。  幹はぱっと顔をあげると、食卓を覗き込んできた。 「すごい、売ってるやつみたいですね」 「見た目だけは、綺麗に整えてみた。ステーキ風だよ」 「すごく美味しそう。あ、俺、兄さん呼んできます」  幹が出て行く姿を見て、初めて秀一が自室にいることを知る。なんとなく仲のいい兄弟イコールずっと一緒にいる、という印象があったので、秀一は出かけているのかな、と思っていた。  だが、確かに家族といえど四六時中一緒にいるわけではないだろう。  百合子は、さりげなく深呼吸をして緊張を和らげた。  秀一の口に合うだろうか。もし合わなければ、改良せねば。けれど、幹がおいしいと言ってくれたら、このままでもいいかもしれない。 (というか、幹くんならなんでも美味しいって言ってくれそう。まずくても全部食べてくれそうだし、やっぱり秀一さんの意見が重要かな)  そんなことを考えていると、幹が戻ってきた。秀一は百合子を見るなり「おかえり」と微笑む。猫かぶり全開だ。百合子もまた、笑顔で「帰りました、挨拶できずすみません」などと告げる。  その日の夕食もつつがなく終えた。  幹はやはり美味しいと言って全部食べてくれて、ご飯もお代わりした。秀一もまた美味しいと言ってくれたが、その本意はわからない。  食べ終えると、秀一から順番に風呂へ入り、百合子が夕食の片づけをし終えて暫くしたころに、幹が風呂からあがってきた。 「先にお風呂頂きました。あの、佐久間さん」 「あ、うん、私も入るね」 「……はい、その、部屋なんですが」 「うん?」  首を傾げて問う。  それにしても風呂上りの幹は色っぽい。普段着より大きく胸元が開いたグレーの寝間着を着ているせいか、男らしさが増した気がして妙に緊張した。  付き合い始めてから二年、何度も肌を合わせた。なのに、変わらず幹は優しく扱ってくれて、大切にされているのがよくわかる。  秀一の言うように、百合子には出来過ぎた相手かもしれない。けれど、手放そうとは思わない。例えそれが幹のためであっても。  幹はややそわそわしたのち、いえ、と告げた。 「お風呂、いってらっしゃい」 「うん、行ってくる」  部屋がなんだろう、と思いながら風呂を済ませて髪を乾かし、引っ越すにあたり新たに購入した新品の寝間着に袖を通す。リビングには秀一がいて、テレビを見ていた。 「寝ますね、おやすみなさい」 「ああ」  秀一は振り返りもせずに告げた。  返事をくれるだけいいのだろう。  百合子はお風呂の湯沸かし器の電源を落として、部屋に戻ろうと歩き出す。ベッドのなかから幹におやすみのメールを送ろう、と思いながら自室のドアを開いた百合子は、びくりと身体を震わせた。  薄暗い部屋のなかに、大きな人影があった。 「幹くん? びっくりした、どうしたの」  ベッドの脇に座った幹は、百合子を見てそわそわとし始める。 「あ、あの、すみません勝手に入ってしまって」 「いいよ、全然。いつでも入ってきて」  もしかしてさっき「部屋が」どうとか言っていたのは、部屋に入ってもいいかと問いたかったのかもしれない。  電気くらいつけてもよかったのに、と苦笑していると。 「佐久間さん」  幹の真面目な声音に、百合子は目を眇めた。  枕灯の明かりをつけて、そっと幹の隣に座る。 「どうしたの」 「その」 「うん?」 「今日、一緒に寝てもいいですか」  薄暗い部屋のなかで、幹の頬がほんのりと赤い。つられて百合子も赤くなる。 「うん、いいけど。……するの?」 「駄目ですか」 「いや、駄目じゃないけど、でも」  お兄さんが、と言いかけたとき、幹の腕が腰にまわり、抱き寄せられた。そのまま唇を奪われて、縺れ込むようにしてベッドに沈む。  激しく口内を犯されて、幹が顔を離したときにはお互いに荒い息をついていた。うっとりとした瞳で見つめられ、ぺろ、と唇を舐められる。 「……佐久間さんの唇、柔らかい」  独り言のように呟き、幹は百合子の身体を寝間着の上からまさぐった。こうして肌を合わせるのは、久しぶりだった。  男は一度身体を許すと何度でも誘ってくる、という印象があったけれど、幹はあまり頻繁にこういうことをしてこない。けれど性交に関して淡泊というわけではなく、するときは常に全力で何時間も求められて意識を飛ばしてしまうこともあった。 「佐久間さん、いい匂い」  かぷ、と寝間着越しに胸にかぶりつかれて、身体が震えた。愛する人に触れられる久しぶりの快感に、声がでそうになって慌てて口を閉じる。  幹は繰り返し寝間着の上から乳房をかぷかぷとはむと、全身をいやらしく撫でまわし――身体を引いて、自らの寝間着を脱ぎ始める。  それを合図に、百合子もまた寝間着を脱ぐのだが、すぐ近くの部屋に秀一がいると思うとどうも緊張する。脱ぐのが遅くなってしまった百合子を見て、幹が下着を脱がせてくれた。それもまた恥ずかしいのだが、どうやら待てないらしい。  ブラを外して現れた、色づいた先端に、幹がいきなり吸いついた。 「っ」  身体をのけ反らせて、幹の頭に手を置く。 「ま、待って。お兄さんがいるのに」 「大丈夫です、俺たち付き合ってるんだし」  自宅を借りている状態なのに、こんなことをされては秀一は気分を害するのではないだろうか。そんなことを考えつつも、与えられる快感と幹の嬉しそうな表情を見ていると、行為に夢中になっていく。  幹は、百合子の全身を舐め始めた。  胸の突起や秘部だけでなく、こうして全身を愛してくれることがすごく嬉しい。ただの欲望のはけ口ではなく、愛のある行為だと実感できるから。ただやはり恥ずかしさが勝るので、時折身じろぎしてしまう。  幹は百合子の秘部に手を伸ばすと、つつ、と指先で割れ目を撫でた。まだそっと触れただけなのに、幹のほうが熱い吐息を漏らす。 「佐久間さんのここ、もっと触れていいですか」 「き、聞かないでいいってば」 「聞きたいです」  幹が百合子の足を持ち上げ、太もも部分にキスをする。百合子は秘部を見せる恥ずかしい恰好のまま、頬を染めて呟くように告げた。 「……いいよ。触ってほしい」  ありありと興奮を浮かべた幹が、秘部に舌を這わせた。ざらりとした感触が秘部の間に入り、膣の内壁を擦りあげてくる。同時に手で最も感じる突起をくりっと押され、押し寄せてきた快感の波に百合子は手で口元を抑える。それでもかすかに声は漏れてしまい、必死に堪えた。  もうイキそうだ、というときになって、幹が顔をあげた。  その煽情的な表情に、百合子の心音がどっと高鳴る。 「すみません、佐久間さん。俺、我慢できないです」 「ん、きて」  幹は、慣れた手つきでコンドームをつけると、すぐに挿入した。  初めてのときこそ色々戸惑っていた幹だが、最近はもっと前儀で百合子をイカせてから挿入するようになっていた。本人はいつだって早く挿入したくてたまらないといった様子なのに、百合子に気持ちよくなってほしいと頑張っているのがわかる。  なのに、今日はやけに早急だ。本当に我慢できないのだろう。  そんな年下の恋人が愛おしくて、たまらない。 「あっ、は、佐久間さんっ」 「駄目だって、声は落として」  幹は激しく腰をぶつけながら、熱に浮かされた声音で告げる。 「俺、隣の部屋に佐久間さんがいると思うと、我慢できなくて。昨日も、ずっといやらしいことばっかり考えてました」  朝、佐久間さんとリビングで会ったときも勃起してたんですよ、と告げられて、激しく唇を奪われる。同時に腰をぶつける速度が激しくなり、幹の呼吸もあがっていく。  伝わってくる鼓動や興奮をありありと現した吐息、膣内に擦りつけられる熱い塊が嬉しくて、ぎゅっとシーツを握り締めた。 「佐久間さんっ、俺、あっ、射精(だ)していいですか」 「ん、きて」 「あっ、射精(で)ますっ、で、るっ」  ひと際、強く腰を押しつけられた。  幹が呼吸をつめて、身体を強張らせる。ややのち、荒い呼吸のまま百合子の身体に倒れ込んできた。熱い身体を抱きしめて、肩口に置かれた頭を撫でる。 「佐久間さん、佐久間さん、好きです。好き」 「私も好きだよ」 「もっとしたいです。もっとしてもいいですか」 「うん。いいけど、でも」  やはり人様の家で行為に及ぶのは気が引ける、と戸惑う百合子を見て、幹は拗ねたようにぐりぐりと額を押しつけてきた。 「あ、違うの。嫌なんじゃなくて」 「わかってます、兄の家ですから。……今日は我慢します。だから」  次のデートのときはいっぱいしましょうね、と耳元で告げられて、思わず頬を染めた。  幹は体勢を変えて百合子を抱きしめると、並ぶようにしてベッドに寝ころんだ。体躯の大きな幹ではこのベッドは小さいだろう。実際、シングル用のベッドに二人で寝ころぶと常に肌が密着した状態になる。 「あの、佐久間さん」 「なに?」 「次のときは、その……してもらってもいいですか」  情事は、どちらかといえば幹が本能のままに百合子を押し倒すことが多いのだが、たまにこうしてねだってくるときがある。女に攻められることがプライド的に許せない男もいるそうだが、幹は喜んでくれるので百合子も嬉しかった。 「いいの? めちゃくちゃ愛しちゃうよ」 「是非ともお願いします」  どこまでも真面目に返事をくれる幹が愛しくて、百合子からキスをした。幹はもぞもぞと照れたように身体を動かして、百合子を抱きしめた。 「あの、今日のハンバーグ、なんだか懐かしかったです」 「懐かしい? 昔よく食べたの?」 「かなり昔にいたお手伝いさんが、料理上手だったんです。俺が幼いころすでに老女で、十年ほど前に亡くなったんですけど。でも、俺たち兄弟には家族同然で、両親に内緒でお菓子を作ってくれたり甘やかしてくれました。その人の得意料理がハンバーグだったんです」  とても大事な想い出だということは、幹の表情から読み取れる。素人の百合子が作ったハンバーグを美味しいと食べてくれたことが、尚のこと嬉しいと思ってしまう。 「他にはどんなの食べたの? 私じゃ全然及ばないけど、好きなもの作るよ。食べたい料理とかある?」  幹は考える素振りを見せたのち、ぽつりと呟くように言う。 「オムライス、とか。あと、和食が多かったんです。特に筑前煮が美味しくて。洋食好きの両親はあまり好きじゃなかったみたいですけど、その人の煮物、すごく美味しかったんですよ」 「幹くんは和食好きなんだっけ」 「はい。俺も兄さんも、そのお手伝いさんが作ったものを食べて幼いころを過ごしたので、根っからの和食好きです」 「……お兄さんも?」 「はい。……おかしいですか?」  聞き返されて、百合子はやや黙する。  和食は嫌いだと聞いていたけれど、違うのだろうか。それとも海外赴任中に、洋食の美味しさに目覚めたのかもしれない。 「洋食好き、って聞いてたから」 「兄からですか? 初耳です。でも兄は和食好きのはずですよ。海外にいたころは、よくメールや電話で愚痴を聞きました。日本食が恋しいって」  それはどういう意味だろう。  百合子を嫌っているために、すべてにおいて否定的な言葉を告げているのか。 「もしかして兄のこと、気遣ってますか。食べ物とか」 「まぁ、それなりにね」 「そんなに深く考えることないですよ」  百合子は苦笑する。 「考えたいよ。幹くんのお兄さんだし。……家族って大切だと思うから、大事にしたい」  幹は驚いた顔をして、百合子を覗き込んできた。かすかに目を見張ったその姿を見た百合子もまた驚く。 「どうかした?」 「……実は、もし両親を説得できなかったら家を出るつもりだったんです」  ずきり、と百合子の胸が痛む。  最初に、幹から両親の件を聞いたときもそうだ。やはり自分では彼に吊りあわないのだろう。年齢もそうだが、それよりももっと根本的なもの……学歴や家柄、性格や品格など、そういったものが足りないのだ。  落ち込む百合子に、幹は何度も謝ってくれた。彼が悪いわけではないのに。幹のためにも、幹の両親に自分を認めて貰いたいと思った。そのために彼の兄の力が必要なら、全力を尽くそうと思った。 「俺は自分勝手でした」 「……え?」 「もし両親に結婚を反対されても、無視して佐久間さんと一緒に暮らそうと思ってたんです。俺が佐久間さんと一緒に居たいから。でも、佐久間さんからしたら、認められないままだなんて今後ずっと辛いですよね。兄にも言われました、親に認めてもらうべきだって。俺、親に佐久間さんとのこと公認して貰います。頑張ります。でも……でも、もし本当に駄目だったらそのときは――」 「別れないよ」  咄嗟に遮って、百合子は幹の瞳を見つめ返す。自分でも本当に咄嗟だった。別れると言われてしまうかと思って、本能が恐怖した。幹がそんなこと言うはずないと、わかっているのに。  幹は歯を食いしばって百合子の身体を強く抱しめた。  軋むほどに強く抱しめられて、息をつめる。押し殺された声が、耳元で囁いた。 「そのときは、すみません。俺、佐久間さんと家を出ます。辛い思いをさせるかもしれないけど、でも俺、どうしても佐久間さんがいない生活なんて考えられない。耐えられない。だから、すみません。俺、何があっても離しませんから」  こんなに愛されているのに、一瞬でも疑ってしまった自分が悔しかった。幹が自分を必要としてくれているのは知っていたし、痛いほどに感じている。百合子自身もまた、幹が傍にいることに慣れすぎてしまって、愛し愛される喜びを知ってしまって、もう手放せなくなっていた。 「ありがとう」  その一言で、通じたようだった。  幹はひたすら百合子を抱きしめて、愛しさを伝えてくれる。  改めて思う。秀一に認めてもらうには何をすればいいのだろうか、と。  百合子はこれまで「恋人に相応しい振舞い」を考えたことがなかった。無理やりにでも繕うべきだろうか。しかし、何を繕えばいいのだろう。秀一は百合子に何を求めているのかそれを知らなければならない気がする。  少なくとも、秀一が理想とする「弟の相応しい嫁」から百合子はかけ離れているのだ。これ以上悪くなりようがないのなら、あとは印象がよくなるだけ……のはず。恐らく。  ならば、怖いものはない。  前向きに頑張ろう、と百合子は決意した。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!