【第一章 御盆】

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「どうして……。どうして玲奈がここに……」 「え、だれか呼んだ……って、うそでしょ……喜一……なの?」  言葉を忘れた俺らは改札を挟んでたどたどしく会話をする。ちょうど一年振りの出来事だった。  相引(あいびき)玲奈(れいな)、それが俺の彼女だった人の名前。アサガオ柄の浴衣を着て、(つや)やかで長かった黒髪を丁寧に結わえている。手には取っ手が握られていた。ベージュのトランクのようなキャリーケースの取っ手が……ん?? キャリーケース? え、キャリーケース??  そのまえに、目の前にいるこの人は俺の知っている玲奈なんだろうか。だって玲奈は一年前に死んだはず。それは間違いない。死者が生き返るなんてあるわけないよね。 「本当に玲奈……なのか?」 「彼女の顔も忘れたの? それこそ私のほうが聞きたいよ」  さっきまで動揺していた玲奈はパッと表情筋を動かして笑ってみせた。その笑顔と頼もしい口調はまさしく彼女だった。  ——これは夢だ。  そう暫定した。 「聞きたいこと山ほどあるんだけど……ひとまずこれってどうすればいいの?」  そういうと苦笑いをして手に持っている切符を見せてきた。あ、これわからないよね。普通の改札と違うから。その場から動かず、壁に取りつけられているボックスを指さした。「へぇそうなんだ」とお賽銭を入れる子どものようにウキウキしている。  改札を通った彼女を間近で見る。つま先から髪の毛一本一本にいたるまで非の打ち所がない。玲奈が生きていたどの瞬間よりも、今が一番美しかった。  幽霊なのか夢なのかわからない。けど死んだときの高校二年生の姿というのは変わらない。それなのに胸がざわつくほどに心がひかれていく。まるで年上みたいに大人びて見えた。 「な、なに。恥ずかしいからそんなに見ないでよ」  浴衣の袖で顔を隠しているけど、隙間から赤くなった顔が見えていた。 「す、すまん。なんかこう……綺麗だなって思って」  すると玲奈は目を見開いて耳の先端まで赤らめる。夏だっていうのに頭から湯気が出ている。「ずるいよ……」と言った矢先に「やっぱ帰る!」と言って改札を逆戻りした。とっさに呼び止めてひたすらに謝った。 「次変なこといったら叩くからね」  頬を膨らませる彼女も愛おしい、そう思った。彼女だ、絶対に彼女だ。玲奈に間違いない。なんでかわからないけど、目の前にいるのは俺の恋人だ。一年前から止まった俺の時間がゆっくりと動き出す音がした。田舎の狭苦しい駅内で俺らは花を咲かせる。    ◯  ガラガラと音が響く防音林。人工物の灯火(ともしび)が光るレンガの道を通り、道路に出る。そしてずっと気になっていたことを聞いてみた。 「なぁ玲奈。どうしてここに来たんだ?」  髪の毛を耳にかける仕草をして目を逸らす。薄暗く表情が読み取りにくい。しばらく考え込むように(うな)っていたけど、今はただ静かに佇んでいる。 「約束を果たしにきたんだけどなぁ……」  一瞬当たった車のライトで彼女の輪郭(りんかく)が映る。頭を重たそうに傾けて、虚な目線を地面に落としていた。そんな様子の玲奈に(おび)えていた。 「約束?」 「そうだよ」 「えーっと……どんな約束だっけ?」  すると玲奈は浴衣の袖を揺らして俺のほうを向いた。後ろに手を組んで少し距離を取る。そして一年前と変わらない、子どものようなあどけない笑みで口を開く。 「別に教えてもいいけど、できれば君に思い出してほしいな」  え、えー……。全然思い出せないよ。教えてくれないの。頭の回転が追いつかなくて固まってしまう。空気漏れのような返事をすると玲奈は腹を抱えて笑った。本当に生きているみたい。 「期待してるぞっ」  俺の肩を叩こうと手のひらを大きく振り下ろした。 「え……」  彼女の手は肩に当たることなく、俺の体を通って空を切った。  その瞬間、周りのトドマツがざわめいた。血の気が引く感覚に襲われ、玲奈が死んだ現実を突きつけられた。やっぱりこれは夢じゃない。玲奈は死んだんだ。生き返るわけない。玲奈も自分の手をまじまじと見ていた。まあ無理もないよね……ってあっさりと受け入れてるし。「そうだよねぇ」って楽観的な感想をこぼした。 「そういうものなの? もしかして俺だけ状況整理できてないのかな……」 「そりゃあ私だってびっくりしたよ。でも私は私だし、君は君でしょ。私はなにも変わってないよ。一年前からね」  嘘偽りない芯のある言葉。これって“真心(まごころ)”っていうのかな。  一年前から変わっていないのは俺のほうだ。玲奈の言葉にどれだけ助けられて勇気づけられたことか。いくら玲奈が死んだといっても、今はこうして目の前にいる。声をかけることができる。元彼氏、いや彼氏として俺がしっかりしないといけない。胸に空気を溜めて一気に吐き出す。余計なことは一切考えず、玲奈と向き合うことを決めた。そして玲奈と瞳を見つめて満面の笑みを浮かべた。 「どうしたの急に」 「玲奈が彼女でよかったなって思って」 「まったくもう。叩けないからって恥ずかしいこといわないでよね。でも……ありがとう」  浮ついたり沈んだり。俺の動揺はすっかりなくなって、玲奈を“女の子”として見ることができた。この日のために練習したであろう化粧は麗美(れいび)なものだった。言うタイミング逃しちゃったなぁ。ちょっと後悔している。この感覚も懐かしくて心が暖かくなる。大丈夫そうだね。気を取り直して進もう……ってそもそもどこに行くんだ? 「あ、言ってなかったね。てか、浴衣着てるんだしわかるんじゃない?」 「え……今日ってなんかあったっけ?」  玲奈は呆れ混じりの驚嘆をし、道路に設けられた(のぼり)のもとへ向かった。それをピンッと張って自分の作品を自慢するように説明した。 「今日は八月十六日、お盆最終日はおみなえ祭りで決まりなのです!」 「お、おう……」  人さし指をビシッとさした。自分の周りをキラキラさせてとても満足げだ。そんな彼女に俺も釣られて口角が上がり、さっきの決め台詞を補足した。 「それならもうひとつ先の駅だぞ」 「え……えぇぇぇぇ!」  幽霊の叫びは天を貫いた。俺と玲奈の最期の夏が始まるのだった。
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