見えない月への道

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「ねえ先輩、感想をお願いしたいです」 「今日見た映画の?」 「いえ、違います」  後輩……心由(ここゆ)は、空を見上げた。 「あの月に関する感想です」 「月……あ、あそこの上弦の月ね」  僕はうなずいて、まだ午後の明るい空にある月を観察した。  ほう、やはり、心由に話したのはあんまりよくなかったかもしれない。  いきなり月のことに関して感想を聞いてきたよ。  僕は心由を見た。  少し、申し訳なさそうに笑っている。    ☆   〇   ☆  二年前、僕は高校に上がって少し経ったくらいの頃、幼馴染の千沙(ちさ)に恋をしていると自分で気づいた。  それまでは、普通に幼馴染として親しくしていることがすべてでそれで、大満足だったんだけど、なんだかいつの間にか、なんか付き合いたいとか、そういう風に思ってしまっていたのだ。  千沙が大人っぽくなったからっているのはあると思う。スタイルも顔も大人びて、魅力が制服に包まれてるなって思うようになった。  そんな僕は、ちょうど今の時間ごろ、幼馴染に告白した。  その時の返事が、この午後に見える月だったのだ。  具体的に言えば、 「遥祐(ようすけ)は、あの月みたいな感じで、いつもそばにはいる。でも恋してはないよ」  といった感じで。  せめて、夜の月に例えてほしかったけど、まあしょうがない。  つまりはフラれてしまったんだから。   ☆   〇   ☆ 「私、意地悪なこと先輩にしちゃってますね」 「まあそうかもな、だって、『どんな感じで幼馴染さんにフラれたんですか?』って聞かれたから僕が話して、それをふまえて昼の月の感想を訊いてくるんだもんな」 「えへへやっぱ質問撤回しますごめんなさい」  心由はちょっと頭を下げた。今見えてる上弦の月のかたむきくらいだろうか。  まあそんな謝んなくてもいいんだけど。  心由、本当に優しいし。  そんな心由と僕は、二人きりの部活を営んでいる。  昔話研究会。  ちなみに昔はもう少し人がいたらしい。  僕は部室でゆっくりするのが高校生活の醍醐味だと思っている人なので、一番穏やかな部活を探した結果、昔話研究会にはいった。  まあ穏やかすぎて先輩二人が引退したら僕一人になったんですけどね。  次の年に心由が入ってきてくれてよかった。  心由は昔話が本当に好きみたいだ。  なんか色々な歴史的背景なども詳しい。  そんな心由は、質問を撤回した後も月を見ている。  連想しているのは、かぐや姫だろうか。  そんなことを思っていたら、心由は視線を一気に僕に向けた。 「先輩……今度、川辺で夜に月を見てみませんか?」 「おお、いいよ。おしゃべりしようか。なんか部室とはまた違った雰囲気かも」 「はい。たくさん話したいです」  心由は嬉しそうだった。僕もうれしい。  僕と心由は、お互いたくさん話したいと思っている、きっとそんな関係なのだ。  ☆   〇   ☆  そして一週間ほどたった。  今日は満月で、晴れてもいるので、月が綺麗に見えそうだなと思った。  僕と心由は川辺の石段で待ち合わせた。  川と言っても、高校の前の坂を下ったところにある川で、そんなに大きくもない。  だけど、そんな中途半端なスケールが、ちょうどいいと僕は思った。 「先輩、やっぱり今日の月は、お昼の月に比べて最強ですね」 「ま、そうだな」  僕は振り向いて、石段の、僕より高いところに立つ心由を眺めた。  そのまま月に吸い込まれて、かぐや姫のシーンが始まりそうなくらい、月による光だけが心由には当たっていた。 「……先輩って、幼馴染さんと疎遠になったこと、後悔してますか?」 「それは、してるな」 「そうですか。あの、私も、大切な人と、疎遠になってしまっていて」 「まじか、それは似てるな、僕たち。まあ他にもなんか似てるところありそうだけど」 「あるかもです」  心由はうなずくかわりに、月を眺めた。 「私がその友達と最後にあった時は、こんな月がすごい明るい夜だったんです」 「……そっか、そこは、僕とは違うな」 「はい」  月の下であったことはおんなじだけど。  僕は提案してみた。 「お互いさ、会いに行こうよ、それぞれ、久々に」 「なるほど……それで、お互い疎遠になっている状況を打開するわけですね」 「うん」 「いいと思います。やりましょう」  満月の下で、僕と心由は、久々に、かつて親しかった人のところへ行くことを決めた。   ☆   〇   ☆  そして、それから数日後。僕は下り方面の電車に乗って、海の方へと向かっていた。  幼馴染が引っ越した先へと向かうためだ。  そもそも、幼馴染と連絡を取ったのが久しぶりだった。  無難なやり取りをしてから待ち合わせ場所を決めた。  待ち合わせ場所は、海辺の石段。  海辺に立つ水族館と桟橋の中間地点にある。  終点まで乗って行って、そこで降りて、竜宮城のような雰囲気を作り出している駅舎を出て、海の方向へ歩いた。  こんなのどかなところに住んでいるのか、千沙は。  僕は幼馴染の名前をかるくつぶやいてみてから、砂浜へと続く通路へ足を踏み入れた。  砂浜には人がそこそこいた。まだ、泳ぐ季節ではないけど、散歩する人々とサーフィンをする人々で、海の外も中も結構にぎやかである。  そんな砂浜を足元に注意しながら歩いていくと、テトラポットの横の幅広い石段に、千沙が座っていた。 「久しぶりに、会うな」 「あっ! ほんとだよ遥祐(ようすけ)! やった! 会えた」  思ったよりもテンションの幼馴染の声と、強めに来た波のしぶきが強め合ってはねた。  そうしてそれから少したって落ち着いて。  僕と千沙はゆっくりと最近のことについて話したりしていた。  そんな中、千沙が僕に言った。 「そっか、今はその後輩さんのことが、好きなんだ、なるほどね」 「いや、そうなのかは……たしかにすぐ否定はできないな」 「うん、あーでも、ほんとに懐かしいなあ。いろいろと」  千沙は僕をのんびりと見つめて、そして脳内は時空をさかのぼっているみたいだ。  そして、現実に帰ってきたのか、千沙は僕に訊いた。 「ねえ、あのときさ、どうして私に告白したの?」 「え、それは……好きだったからなんだろうなあ」 「そっか」  僕は思い出す。  あの時は、幼馴染の千沙にとって、一番存在感の大きい男の子でいたいと思っていた。  そしてそれから時がたって。  今はどうなんだろうか。 「私さ、なんかあの時結構迷ってて、でも一瞬で、なんか、今付き合うのは違うなって」 「え?」 「なんかさ、彼氏がいること自体に安心感があるようになりそうで。そんな理由で彼氏ほしいなって思ってて。だけど、やっぱり遥祐は幼馴染だなあってなって」 「うん」  そうだよな。千沙の気持ちは分かる。  僕は今目の前の千沙を見た。  髪は少し長くなっていて、綺麗になっていた。  なんか、ちょっと話しかけるのに緊張してしまう、クラスの美少女みたいになっていた。 「遥祐、月の話をしたのって、覚えてる?」 「覚えてるよ。僕が昼の月みたいなもんって話だよな」 「そうそれ」 「なかなか個性的なフラれかたしたよな、僕」 「そうね、でも、なんかあれは今思えば、私あほだった」 「あほだったの?」 「そう。だってさ、なんかさ、私はお昼の月結構きれいだしすごいいいイメージだったんだけど、あれでしょ、遥祐にとっては存在感が薄いイメージで、だから私のたとえがあほだったなあ……と」 「なるほど、でも、ま、気にしてないよ」  後輩の前で自虐的にフラられたエピソードを話す時に、自虐効果を高めるたとえだってくらいで。  今は何も僕は気にしていない。 「ならいいんだけどね」  千沙は海を眺めた。  夜に月が出たら、月が映りそうな、穏やかな海になっていた。 「ねえ、遥祐、桟橋の先まで歩かない?」 「いいよ」  僕と千沙は息があった幼馴染らしく、同じ動作で同時に立ち上がった。  桟橋の先端には、釣りをしている人が数人いるだけで、そこまで幅はないのに、広々としているように感じられた。 「ねえ、遥祐。後輩さんに告白してみたら?」 「え、なんで?」 「わかんないけど。なんかすっきりするんじゃない? ううん。いやいいや。すっきりするのは、私なのかも。ごめん」 「なんで千沙がすっきりすることになった」 「いや、気にしないで、てきとうにしゃべってるだけ」 「そうか」  それから僕たちは、釣り人と水平線を眺めていた。  時々、魚が釣れていた。  鱗が光を反射していて、明るく見える。  かといって、まぶしいわけではない。  昼の月と、夜の月の間くらいだろうか。    陽が沈む前に、僕と千沙は駅前のファミレスに入って早めに夕飯を食べ、そして別れた。  久々に会えた。    いつの間にか、幼馴染は、少し話すと緊張する可愛い女の子になっていたけど。  最後の方は、やっぱり幼馴染だとうなずけるようになっていたと思う。  来てよかった。  僕は電車の窓から空を見上げた。  今日は少し雲が多くて、月はよく見えなかった。 「心由ちゃん!」  私は懐かしい場所に来ていた。  昔、私が引っ越す前に、よく遊んできた公園。  公園と言ってもそこそこ大きい公園で、遊具の周りに広大な森があって、レストランや科学館、プラネタリウムまでついている建物もある。  そんな建物の入り口で、私は本当に久々に人を待っていた。  そして声をかけられたのが今。  背が高くなっていて驚いた。 「波無ちゃん……!」 「凄い、なんか半分だけタイムスリップしたみたい」  あまりにも懐かしすぎたのか、私のかつての親友、波無ちゃんはそう感想をもらした。 「ねえ、昔みたいに、歩き回ろうよ。歩き回るっていうには流石に狭いかもしれないけど」 「うん」  私の提案に、波無ちゃんはうなずいた。    私たちは森をぐるっと回った。  丸太の橋の幅や、木で組まれた階段が、すごくこじんまりとしているように見える。  でも森全体は、やっぱりまだ大きかった。  この時期はちょうど、すごく緑! と言った感じの季節で、しかも気温もちょうどいい。  久々に、波無ちゃんと話すのにも、とてもいい環境だった。 「ねえ、私たちって、最後喧嘩したんだっけ」 「うん」  私は、不意に波無ちゃんに言われてうなずいた。  そう、あの時。夜の満月の下で喧嘩した。  といっても、月に住むうさぎがじゃれあうくらいのつもりだったけど。  でもやっぱり喧嘩になって、そうしてしかもそれから疎遠になってしまっていた。 「あの時、なんで喧嘩してたんだっけ?」  波無ちゃんが私にきいた。  波無ちゃんも少しは覚えてるのかもしれないけど。  私は思い出した。 「たしか……月の、小説の話だったよね」 「……うん」  あの時。  現代文の課題で、小説を書く課題が出た。  お題は月。  だから私と波無ちゃんは、月の下で出来上がった小説を見せあったのだ。   ✰   〇   ✰ 波無ちゃんの小説は、ヨーロッパのような世界観の話で、普通に面白かった。とてもやさしいお花屋さんの女の子が、街を笑顔にする話。  問題は私の小説で。  私の小説を読んだ波無ちゃんは、私を疑わしい目で見てきたのだ。  どうしてかは、私にもわかったけど。  でも、それでも私は波無ちゃんを見つめ返した。    私の小説は、二人の女の子の話だった。  主人公の女の子視点でもう一人の女の子を、ひたすら描く話だ。  そんな話なんだけど、とにかく主人公の女の子はもう一人の女の子に嫉妬する。  それは間違いなく、私が波無ちゃんに抱いている気持ちの表れだと思う。   「心由ちゃんってさ、私のこと、どんなふうな存在に思ってるの?」  波無ちゃんは私にきいてきた。  だから私は、もう思ってるままに答えた。 「うらやましい。ずるいなあって」 「ずるいってなに? 私は心由ちゃんのことずるいって思ったことはないよ」 「いや、別に……」  私は黙り込んでしまった。  だってたしかにそれは私が悪いから。  変な小説を書いたのも私にしか問題はなくて。  だから急に、この話を終わらせたくなった。  どうしよう。  そして、私はそこで逃げてしまったのだ。  よわい!  よわいばか私!  でも私はそうして波無ちゃんから離れてしまって。  そしてそれからあまり話さない関係になり。  さらに私は引っ越してしまったのだ。    ✰   〇   ✰ 「あの時の心由ちゃんの気持ち、わかるなあ」  波無ちゃんは歩きながら、そう言った。 「え、そうなの?」 「うん、なんか私って、なんかなんでもできてすごいって自分でアピールしてて、なんだか井の中の蛙状態だったから。心由ちゃんがうざがるのもわかる」 「そ、そんなにうざがってないよ!」  私は否定した。私はただ、波無ちゃんをうらやましいと思っていただけなんだから。波無ちゃんみたいに、なんでもできる人はずるいなあ、可愛いのもずるいなあ、足が長いのもずるいなあ、色々ずるいなあと思っていただけなんだから。 「それならいいんだけど……私はね、心由ちゃんのこと好きだから」 「……私も、好きだよ。波無ちゃん」 「ありがと。私、ずっと、心由ちゃんみたいに、優しくなりたいって思ってた。だからね、あの時……」 「あの小説……?」 「うん。私もね、物語の中だったら、優しくなれるかなって、心由ちゃんみたいに」  そんな想いがあったのか。  びっくりだよ。波無ちゃん。  私と波無ちゃんは目があって、そして、同じ方向を見た。  ずっと昔にもきたことがあるはず。  目の前に、大きな半球が現れた。  プラネタリウム。  お互いがとても綺麗に光って見える私たちはきっと、二人で一緒に星空を見上げれば、ずっと一緒になれるはず。  そんなふうに私は思ったりして、だから提案してみた。 「プラネタリウム、見てみない?」  プラネタリウムには数え切れないほどの星々が投影されていた。  確か装置がすごくて何千万とかもっとの星があるはず。  そんなに星々があるけど、やっぱり目が行くのは、月。  一ヶ月、一年があっという間に流れていき、季節も、星も、月の形もどんどんと変わる。 「ねえ、心由ちゃんは、どんな形の月が好き?」  隣で波無ちゃんからささやいた。  え? どうなんだろう。私は考えてから言ってみた。 「下弦の月かなあ」  なんで? なんでだろう。 「へえ、じゃあ私は上限の月にしよっかな。合体したら満月になるし」  ふふ。  なるほど。  私は見上げた。  私たち以外にも、お客さんはたくさんいる。  そんな中、中央のプラネタリウム装置は、目立つシルエットになっていた。 「心由ちゃん、好きな人いる?」 「えなんで?」  びっくりしてささやき声でない声を出しちゃった。 「だってロマンチックに見上げてるんだもん」 「ええ……」  てきとうだなあ。  でもさ、たしかにそうかもと思うところは。 「好きな人と、見上げてたら、ドキドキするかもね」 「そっかあ」  隣で波無ちゃんがつぶやいた。  もうずっと見上げてるけど、プラネタリウムの世界に入っているので、首は全然痛くない。   プラネタリウムを後にした波無ちゃんと私は、それからプラネタリウムの隣にあるカフェに行った。  そこで昔の話から最近の話まで、たくさんおしゃべりをした。 「あ、宇宙食売ってるよ! 買おうよ!」  そうはしゃいでいて、少し子供っぽいところもある波無ちゃんは、やっぱり昔のままのところも多かった。  今日は会えてよかったな、波無ちゃんに。  そういえば先輩はどうしたのだろうか。  幼馴染さんとは会って楽しく過ごせたのかな。  私は午後の空を観察した。  今日は昼の月は、見えなかった。  その日の夕方。  私は、先輩に連絡してみた。 『また今夜、会いませんか? 澄んでいる空ですよ』 『なんかどことなく古文みのある感じだな』  そんな風に帰ってきた後、私と先輩は待ち合わせた。  場所は、この前とは違う。  明るい街の明かりも見える、崖の上だ。 「こんばんは」 「あ、こんばんは先輩」  私と先輩が、目を合わせたのは数秒。  夜景とその先の見えない月を見た。 「今日、昔の友達に会いに行ったんだっけ」 「はいそうです。楽しかったです」 「よかったな」 「はい、ほんと、連絡とってよかったです。……先輩は、幼馴染さんとは、会えたんでしたよね?」 「うん、会えたよ」  先輩はほっとしたように、肩を少し上げてから落とした。  今日は新月。  月は見えない。  だけど、遠くまで続く灯りの連なりは、まるで、かぐや姫を誘う特別な道のように見えた。 「かぐや姫を迎えに来る乗り物がきそうですね」 「ああ、まあたしかにそう見えるのかも」  先輩はうなずいて目を遠くに向けているようだった。 「昔話ってほんと昔の話だよな」 「そうですね、こんな夜景がある時に生まれた話ではないですもんね」 「だな。そんな時にできた話を今の人も知ってるってすごいよな」 「ほんとですね。そんな時のスケールに比べたら、私たちが振り返っていたのって、まあほとんど今みたいなもんですよね」 「なるほどね、そういう考え、すごいいいと思う」  先輩と幼馴染さん、私と波無ちゃん。  そんなほんのちょっと前のほんのちょっとの心残りを解決しただけで、ほんのちょっとしかこの世界にいたことのない私は、私にとってはとてもとても、気持ちが動いた。  そう、ほとんど今と今はあんまり変わらないかもしれない。  けど、この先は、色々と違う気がする。でもそれもすぐに今になる。  この、先輩との会話。  私がかぐや姫の話に軌道を戻すか、それとも……。 「なあ、心由」 「はい、なんでしょう?」 「なんかさ、もう、色々とすっきりしたらさ、それでもすっきりしないことが逆に際立つっていうのかな、そんな状態になってる僕」 「私も似たような感じですね」  すごく昔の話が昔話。  ほとんど今の話は、私と先輩にとっては少し前の話。    そして、今の話は……。 「好き、心由が。僕は心由のことが好き」 「え」  先輩に、言われちゃった。  今。  ほとんど今。  先輩の言葉は、昔話のように千年も残るどころか、もう消えた。灯りの道の先に何もないように、そこにはない。  でもまだ間に合う。だって、先輩とは、どこかずっと先を見ているわけじゃないから。私は今の先輩を見てて、先輩は今の私を見てるから。  私も言っちゃえ! 「先輩が、好きです」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!