木陰

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 一時間が経ち、千影と中島以外は帰った。デッサンはまずまずの出来となった。  横を見れば、中島はまだ熱心に筆を動かしている。描いているのは水辺の風景。浅瀬で泳ぐ魚がきらめいていて、鱗の一枚まで美しかった。 「中島くん、何時までいる予定?」 「七時。ギリギリまで」  壁時計で時刻を確認すると、あと一時間もある。 「ちょっと休憩して、部の方針も決めようよ。顧問の先生から、学校に貢献することしてほしいって言われたの」 「え、今なんて?」 「先生が。美術部として学校を盛りあげることしてほしいって、頼んできた」 「だるい」  中島がこちらを向いた。不機嫌な顔と、油絵の具で汚れたエプロンが正面に来る。 「萩原、適当にやっといて。部長でしょ」 「……そういう訳にも、いかないの」  部長と呼ばれるようになってから、まだ二ヶ月も経っていない。ひとりじゃ決められないから相談したのに、彼はわかっていない。  千影は中島といるのがいやになり、帰り支度をはじめた。ひとつに束ねていた髪をおろし、襟元のリボンを整える。 「わたし先に帰る。戸締り、よろしく」 「了解」  中島が絵筆を動かしたまま、手で丸を作った。  吹奏楽部の演奏を聞きながら、階段を降りていく。千影は自分の足元を見ながら、日下部のことを思い出していた。  一階まで降りたとき、古ぼけた窓から、日下部がいた中庭をのぞいた。 「……あれ」  中庭にはもちろん、もう日下部の姿はなかった。  かわりのように、ツゲの木に水色のマフラータオルが、引っかかっていた。    ◇◇◇  ツゲの木に引っかかっていたタオルは、Jリーグチームのロゴが入ったものだった。マフラータオルを手に、千影はサッカー部へと歩く。  日下部くんの忘れ物だろう――そう考えたから、届けに向かった。  サッカー部は、いつもグラウンドの西側で練習している。  日下部はゴールキーパーだ。熱心なサッカーファンでない千影でも、探しやすいポジションといえる。  しかしゴールポストにも、ステンレス水筒を飲み干す部員たちの中にも、日下部の姿はない。  どうしようかとまごついていると、横から声をかけられた。 「千影さん。どしたの」 「わ」
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