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千影さんという呼び名は、クラスの仲間内で定着しているものだ。男子で千影さんと呼んでくるのは、二、三人。
フィールドばかり見ていて気づかなかったが、日下部大智は、千影のそばに来ていた。
「……日下部くん」
「サッカー部になにか用?」
日下部はもう制服に着替えていた。陽気な笑顔とスポーツ刈り。着崩したカッターシャツ。教室にいるときの姿だ。
「そうじゃなくて、日下部くんを探していたの」
「俺?」
「これ、日下部くんのじゃないかな」
水色のマフラータオルを差し出した。
「……二年の下駄箱に落ちていたよ」
とっさに嘘が出る。中庭で拾ったとは、言いたくなかった。
日下部は目をしばたかせて、タオルを受け取った。
「これ、俺のじゃない」
「そうなの? てっきり」
「……あー、柄的にサッカー部っぽいな。みんなに聞いてみるよ」
日下部はタオルを手に、練習中のチームへと走っていった。日下部が大声で呼びかけると、すぐに持ち主らしい人物が手をあげ、小さな輪ができる。談笑がはじまる。
輪に入れない千影のもとに、日下部が戻ってきた。
「千影さん、お手柄。あれキャプテンのものだった」
「そう。よかった」
千影は心から笑った。
「最近、彼女からもらったタオルだってさ」
談笑の輪から「余計なこというな」という声。タオルを首にかけた主将は、千影に向かって大きく礼をした。千影は小さくうなずいた。
「千影さん、今から帰り?」
「……うん」
「じゃ、途中まで一緒に帰ろっか」
「………」
つい無言になった。日下部はにこにこしているが、これまで、一緒に帰ったことなどない。そもそも下校を共にした男子なんて、高校に進学してからは、同じ部の中島くらいだ。
……日下部くんとふたりだなんて。間が持つだろうか。
「日下部、今からデートか?」野次まで飛んでくる。
「違いますよー。本当に、そうだったらいいんですけどね」
日下部は難なく野次をかわし、千影の前を歩き出した。
千影はやむなしに、日下部のあとを追った。
……途中まで歩くだけだ。なんとでもなるだろう。
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