木陰

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「さすがに笑えねえ」 「うーん。笑わなくていいよ。聞いているだけで、こっちも泣きそうになるもん」 「え、千影さん、泣いてくれるの」 「あとちょっとで」  冗談めかして言うと、日下部が顔をあげた。ちっとも泣きそうにないじゃん、と、軽口もたたかれる。  はじめて見る、穏やかな表情をしていた。 「ありがと。話したら、気が楽になったわ」 「……うん」 「ばれたのが千影さんでよかった」  日下部が膝を撫でて立ちあがる。 「やっと電車が来るし、並んどこう」  千影はぼんやりして、日下部の言葉を聞き逃した。 「千影さん、電車」 「え。うん」 「急行が来るよ」  慌てて立ちあがり、日下部のうしろに並ぶ。  千影は落ちかない様子で、時刻表に目をやった。 「日下部くん。……わたし、隣の駅に、用事があったんだった」 「そうだったの?」 「買い物」  白々しいのは覚悟の上で、言葉を続ける。 「だから、次の各停に乗るから……。また明日、学校で!」 「はいはい。じゃ、お疲れ」  日下部はいつもどおりの明るい笑顔で、電車に乗り込んでいった。  千影は各駅停車に乗り込み、扉側に立った。  今日は急ごしらえの嘘ばかりだったな、と、ひとりで反省会をした。  日下部の苦楽は、すこしはわかる。  美術部はレギュラー争いとも怪我とも縁がない。だけれど、思いどおりにならない悔しさなら、身をもって経験している。寄り添えるなら相談に乗りたいと――考えた。それなのに、体が逃げてしまった。  千影は電車に揺られながら、窓の外を見た。夜景の手前に、顔を火照らせた自分が映っている。その場逃れをした申し訳なさと、内から来る恥ずかしさで、胸がつまる。涙も出そうだった。  流れていく景色を眺めても、心が落ちつかない。こんな感情は何年ぶりかと、ただ混乱するばかり。  ……新しい一面を、知っただけなのに。  最寄り駅に近づいたとき、やっぱり一緒の電車に乗るんだったと、千影は強く後悔した。  一時的な感情か、恋をしてしまったのか。  明日にならないと、わかりそうにない。
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