4人が本棚に入れています
本棚に追加
話に対して「見ることは大切だよね」「わたしもスケッチの前は、モチーフを長く観察するし……」などと語ったのが、日下部の好奇心を刺激したらしい。「スケッチ見せて」と、強くねだられた。
日下部はひとしきり中を見たあと、浅黄色のスケッチブックを、千影に返した。
「千影さん。こういう絵は、何分くらい、観察してから描くの」
「十分。ときどき、二十分以上」
湿った空気の中でスケッチブックを受け取る。日下部の手の温もりが、表紙に残っていた。
「形を正確に捉えようと思ったら、どうしても、それくらいかかっちゃって」
「見ているだけって、辛くない?」
「全然。……とはいかないけれど」
言葉を止めて考える。雨音が強く聞こえた。
「でも、わかってからのほうが手がすすむ。発見があると嬉しいし」
日下部が黙って頷いた。
「まあ、そうだよな。もうすこし、俺もおとなしくしていよう」
控えの選手で、試合を見ているだけなのは、辛いのだろうか。
「……うん。もうすこし」
雨は降りやみそうにない。
日下部は雨空を見あげ、軽く伸びをした。
「この天気だと、グラウンドでの練習は厳しいな」
千影も灰色の空を見た。
「残念だね。せっかくサッカー部、県予選を勝ち進んでいるのに……」
「知ってんの!」
日下部が晴れやかになる。
「ホームルームで、先生が言っていたから。それに、運動部が活躍していると、文化部は応援要請を受けるし」
「あー。そんなんあったね」
高校の方針で、文化部は、運動部の応援を頼まれることがある。吹奏楽部の演奏は花形だ。
「文化部は準々決勝。ほか一般生徒は、決勝まで進んだら、応援に行ってって」
「……決勝か。基準やべえなぁ……」
自校はサッカーの強豪校ではない。熱心にやっているが、大会で二勝すればいいほうの、よくある部。
「県大会ベスト8くらいで、みんなに呼びかけてほしいよ」
「応援って、嬉しい?」
「そりゃあね。でも、大勢に来てもらわなくていいや。誰だってスケジュールがあるだろうし」
最初のコメントを投稿しよう!