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忘れるわけがない。
向こうがわたしを覚えているとは思わなかったし、映画館で遇うとはもっと思わなかったけど。
笑みを浮かべる顔もその態度も、一昨日の出来事などまるでなかったかのようだ。
あのときは気がつかなかったけど、すごく背が高くて、映画の主役に抜擢されてもおかしくないほどかっこいい、と思う。少なくとも、見た目は。
「彼女と映画観に来たんだけど、これ観ようよって言ったら怒って帰っちゃってさ」
差し出されたチケットを見ると、未就園児向けアニメのタイトルが印字されている。
デートなんかしたことないけど、これだけは分かる。
「…………これは、ないと思いますよ」
「だってなにが観たいって訊いたら、馨くんに任せるよって言うから。これなら誰でも知ってるだろうと思ったのに、あんなに怒るとは思わなかったなあ」
確かにわたしも昔は好きだったし、同年代の人たちはみんな見ていただろう。けどそれは子どもの頃の話だ。高校生になった今、あれを見る人はめったにいないだろう。ましてデートで。
そしてもう一つ、気になることがあった。
「彼女、って……ふられたんじゃないんですか?」
あれから仲直りして、改めてお付き合いしましょう……ということになったのだろうか?
なんとなくだけど、それはない気がする。
「ん? ああそうか、そうだよね。きみ、覗き見してたもんね」
「違います。あれは偶然通りがかっただけで……」
「あの子とは別の子だよ」
見た目だけはいいこの先輩への心証はすっかり悪化していた。女子を泣かせておいて――まあ彼も一方的な加害者ではないのだけど――へらへら笑って、他の女子とデートしようとしていたくせに、その相手にもふられたからって一度見かけただけのわたしを誘うなんて。軽薄でいい加減な男だ。
「それより早く行こうよ。もうすぐ上映時間だよ」
先輩はわたしの手のひらにチケットを握らせた。
「ぼくは五十嵐馨。馨くんって呼んでいいよ! きみは?」
「…………望月……詩乃、です」
「そ。じゃあ行こうか、望月さん」
チケットを突き返して帰ろうかという思いが一瞬よぎったけど、結局わたしは先輩の後についていった。
子どものとき以来見ていなかったあのアニメを、また見てもいいかもしれない、と少し思っただけだ。
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