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出会い
その瞬間を目撃したのは偶然だった。
朝から降り続ける雨で、辺りが白く煙っている。わたしは植え込みの前で屈み込み、紫陽花をスマホで撮っていた。
「……よし。こんな感じでいいかな」
赤、青、紫。同じ土で育ち、同じ根から咲いているはずなのに、こんなに綺麗なグラデーションができるなんて、なんだか不思議だ。
予鈴の鈍い音が鳴り響く。
そろそろ校舎へ戻ろう、そう思ったそのとき、突風が吹いた。よろけた拍子に、肩と首に挟んでいた傘が飛んでいった。スマホをブレザーのポケットに突っ込み、地面を転がっていく傘を追った。
開いたまま飛ばされた傘は、ひっくり返って段差に引っかかっていた。内側に雨粒が溜まっている。とりあえず、どこも壊れていないようだ。安いビニール傘とはいえ、こんな雨の日に失うには惜しい。
「五十嵐くんのことが、好き……です。付き合ってください」
聞こえてきた声に思わず顔を上げた。
普通教室棟と特別教室棟を繋ぐ渡り廊下の端で、男子と女子が向かい合っている。どちらの教室棟からもちょうど死角になる位置だ。二人とも上履きが赤いから、上級生――三年生だ。
こちらに背を向ける男子がなにかを言っている。内容は聞こえないが、きっと告白の返事だろう。
けど、これじゃあまるで覗いているみたいだ。急いで立ち去ろうとしたそのとき、女子が腕を振り上げる。あ、と思ったときにはもう、女子の手のひらは男子の頬に打ち付けられていた。
男の人を平手打ちする女の人。ドラマでしか見たことのない光景が目の前で繰り広げられ、わたしは呆然とした。それに今、彼女は告白をしたはずだ。どうしてその相手をビンタする必要があったのだろうか。
女子がくるりと踵を返してこちらに向かってくる。まずい、見ていたことがバレる――と思ったが、彼女はわたしのことなど気にもとめず走り去って行った。カーブした前髪から覗く目には涙が浮かんでいて、自分とは無関係なはずなのに胸が痛くなる。
ぽつんと取り残された男子が、ふとこちらを見る。
目が合った彼は困ったように眉を下げ、へらっと笑いかけてきた。
わたしははっと我に返り、慌ててその場から逃げ出した。
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