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過去か未来か
あらしがすっかり青空にしてしまった。
誰かが笛を吹いたように、梅雨明けを知らせる合図が鳴った。
春夏秋冬。春は桜が咲き、夏は蝉が鳴く、秋は十五夜、冬は雪が降りしきる。
やはり季節があることは素敵だと思う。それと同じくらい実は梅雨も好きだったりする。あの独特な湿った空気。雨音。少しづつ濡らしていくアスファルト。水たまり。もっとあるが、辞めておこう。
日は少しさかのぼる。
いつもと変わらず、かいてる。だれかに届けるわけでも、披露するわけでもない。しかし、かいてる。
時計は午後2時を回ろうとしていた。冷めた紅茶を片手に、ペンを置きノートを閉じる。
うーん、進まない。少し散歩に出よう。
そう思い立ち上がった。窓から空を見れば、今にも雨が降り出しそうな曇空が広がっている。
良い空だ。今年の夏は雨がよく降るな。
傘は持たず、外に出ることにした。
お決まりの散歩コースがある。家を出てすぐ右手の公園を突き抜けると雑木林がある。その雑木林も進んで行けば大きい図書館があるはず……。
あれ?図書館がない。
そう、でもあの日は違った。
こんなところにトンネルなんかあっただろうか?でも、通ってみようかな。
何故かそういう気分になった。いわゆる、気まぐれ、という言葉がふさわしい。まるで猫みたいだ。
今日だけ……。今日だけ。
トンネルを抜ける。
「ここは……駅?」見覚えのある風景。懐かしい匂い。
しばらくすると、汽笛が聞こえ透明なガラスで出来た一本の電車が目の前で止まり、中から車掌らしき人物が顔を出し話しかけてくる。
「おお、珍しい。久しぶりのお客様だ」とその人は言った。「この切符は一度しか使えません。あなたは過去と未来どちらへ行きますか?」
そして、過去行き、未来行きと書かれた切符をそれぞれ差し出し、口を結んでにっこり笑うのだった。
え、とここで不安感など襲ってくると思っていたのだが、むしろその笑顔は心の中のロウソクに温かい火を灯してくれるような、そんな気持ちになれる微笑みだった。
この状況を理解するのに数秒経った頃、ぽつぽつと雨が降ってくる。
「急がなくても大丈夫ですよ。雨も降ってきたようですし、そこのベンチで雨宿りでもどうです?」とその人は指を指す。
不思議と警戒心は無くなっており、少しくらい良いだろう、と首を縦に降った。
二人でベンチに腰掛ける。ベンチは木製で少し古びていたため、腰掛けるとみしっと音が鳴った。
「このベンチもそろそろ直さなくては……」
「あなたが作ったのですか?」
「ええ、そうです。このベンチも、あとは電車の整備、駅の見回り。他にも色々ありますがね」
「すごいな。それら全部をひとりで」
「そんな大したことではないですよ」とその人は照れてはにかみ、頭をかいた。「ところで、どうしてあなたはこの駅に来たのですか?」
「たまたまトンネルを抜けたら、辿り着いたという感じです」
「なるほど」とその人は頷く。「じゃあ、今日出会えたのも偶然ですね」
「たしかに。お会いできて良かった」
「こちらこそ」とその人は深くお辞儀をした。
礼儀正しい人だな。
「あなたは普段何をされてるのです?」
「まあ、その、かいたり、してます」
「ええっ!すごい!」
いやいや、と首を振った。
「それを今、見たりなどは」
「ああ、家に置いてきてしまったので……。今度お見せします」
「分かりました。約束ですよ」
ははは、と笑い空を見上げる。先ほどより雨は弱まってきていた。
そろそろ……。
そう思ったとき、「そういえば」と思い出したかのようにその人は言った。「結局、過去と未来どちらへ行きますか?」
「いや、どちらへも行かない。行かなくて大丈夫」
「そうですか。かしこまりました」
「今日は話を聞いてくれてありがとう」と伝えその場を去ろうとしたとき、その人はこう言った。
「出会いは大切に」
立ち上がり、深くお辞儀をしてから歩き出す。
同じ道を通って帰ろう。
いつの間にか雨は止んでいて、青空が見えた気がした。
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