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その徘徊の最中、
「いい笛だな」
桜は窓辺に座る男の、その小さな笛の音を聞いて言った。
大通りからはすこし外れた場所にある、こじんまりとした家屋の軒下。
月明かりが作る影の中にあるのは、彼女と同じ清廉な黒い結い髪を持つ男だった。
こころなしか、顔立ちも女に似ている気がする。
ただ両者の雰囲気を違うのは、
男にはその手に持つ小さな楽器がよく似合い、
女には背に隠す刀が相応しいと思えること。
それでもお互いに感じ取るものがあったのだろう。
窓際の男は女の問いかけに、
「貴女には音の善し悪しが分かるのか」と聞き返した。
女は答える。その端麗な容姿からは想像もつかないぶっきらぼうな言葉遣いで。
「まあな。昔、お前のようにいい笛を吹く男が居た」
「ならば貴女もご一緒に嗜んでいたのか」
「いいや。芸事はさっぱりなんだ。
そんな事にうつつを抜かしている暇があったら
……いや、すまん。お前を貶めるつもりはない」
「はははは。気にしてなどいませんよ。
そも、誰に言われて初めたことでもありませんし、
誰に何を言われようとも、この笛の音が変わることなどない。
私はただここで、昨日よりも今日は良く、明日は今日よりも更に良く、
ただひたすらに研鑽するのみで、それ以外、
この泡沫の世にはなんの面白みもない」
そう断言する男はけれど、
己にはこれしか取り柄がないのだと自嘲するように笛を握りしめた。
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