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硬い石の床を歩く。黒革のブーツがカツカツと音を立てる。
その中頃、十字に分かれる廊下の左端、ベンチに蹲る少年の姿を見つけた。
よくよく見ればそれは随分と見知った顔の男で、
「どうした雨島。そんなところで丸くなって」と、声をかけた。
「あ、ああ、こんな朝に誰かと思えば、あなた……ですか」
うろろろろ、と少年は再び口の中に良くないものを溜め込んでは、
遂に耐えきれず吐き出してしまった。
「おい、こんなところで吐くなよ、軟弱者」
「だって、だって仕方ないですよ!
あんなもの見せられたら! 誰だって吐きたくなりますよ!」
興奮する雨島の罵りと、漂う吐瀉物の臭い。
腸を割いたとき、同じ匂いがしたとふと桜は思う。
あの空っぽの、何か酸っぱい臭いのする汁が溢れ出るだけの胃袋は、
たしか、どこか大きな城の――これ以上は出てこなかった。
そんな不快感のぶり返す桜とは違い、
今現在に己の内から湧き上がってくる悪臭で涙目な書生姿の少年は、
その丸い眼鏡を涙で汚しながら、もう被って通うことのない学帽のズレを直して、
また口を開こうとする。
「わかったから、それ以上喋るな。まったく」
「いいや、喋りますよ僕は!
だってあなたに僕の気持ちなんか分からないでしょうから。
だから分かってくれるまで何でもかんでもべらべら喋りますし、
あなたには聴く義務がある」
朝の冷たい空気が満ちる庁舎に大声が響く。
そして彼の声に呼ばれたのか、飛び起きたのか、
だんだんと、この冷気を温めるよう遠くの窓から差し込む朝日が、
悪意の有る無しに二人の顔を照らす。
済んだ空気を貫通して瞳孔を刺す光。
眩しさ眼を細める桜は、この男の会話が酷く冗長で実直で、
退屈だということを思い出したが、
その為に顔をしかめるほど心無い人間では無かった。
それでも、雨島の澄んだ黒眼には運悪くそう写ったようで、
「あー、今嫌な顔しましたよね」
「してない」
「いや、してました」
「あーもう、わかったから話せ。そのほうが手っ取り早い」
桜の降参に、もっと早くからそうしていれば良かったものを、
と言いたげに鼻を鳴らす雨島。ただ、不思議とその仕草は嫌なものではなかった。
少なくとも桜にはそう。
なぜなら彼と彼女の間には、一言では言い切れない馴れ初めがあって、
そのせいで、彼女はこの少年に他人とは違う関心を寄せているのだったからだ。
ただそれだけでなくとも、少年にある誠実さや優しさの類が、
あまりにも彼女には不慣れで、だからこそ、
目新しいものを楽しむよう接しているのかもしれない。
思い出すとまた吐きそうですが、と雨島は前置きして、
今日夜明け前にここへと運び込まれた、ある死体の話をし始めだした。
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