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「矢島さんはきっと私と結婚したかったんじゃない。〝瀬川家の娘〟なら誰でもよかったんでしょう」
彼だけはあの病院の中で唯一、私をひとりの人間として見てくれている人だと思っていた。
どうやっても付いて回る〝瀬川院長の娘〟としてではなく、〝瀬川 晴日〟個人として見てくれていると信じていた。でも違ったようだ。
何も言い返せない彼の様子が全てを物語っている。
本当は今すぐ言い返してきて、訳とやらを聞かせてくれるんじゃないかと待っていた。でもそんな淡い期待もすぐに崩れさり、ショックを受けた感情だけが手元に残る。
早くこの場を立ち去りたかった。
「桜まで傷つけたら許さないよ」
「晴日」
私は泣きたい気持ちをグッと堪える。
「さようなら」
今はまだ泣けない。泣いたら負けだと必死にそう言い聞かせた。
去り際、下瞼の内側に溜まり込んでいた涙が溢れ出すように頬を伝う。これで最後だと心に決め、私は振り返らなかった。
彼は、もう人のものになってしまったのだから。
矢島さんとの恋は、今日ここで終わりにしよう。
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