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彼の綺麗にセットされた黒髪は、急いで私を追いかけてきたせいで乱れている。必死な顔で何かを訴えようとするが、そんな様子を見せられたところで私はもう我慢の限界だ。
「私のことずっと騙してたの?」
「ちゃんと話そう。式が終わったらもう一度」
彼はなだめるようになるべく優しい口調で言うが、ぱきっと決めたタキシードが視界に入るたび私の心は平静ではいられない。
「私、矢島さんの義妹になるんだ。付き合ってたのに。結婚するのは私だったはずなのに」
思わず本音がこぼれた。
「今更なにを話すのよ。愛人にでもなる? 馬鹿にするのもいい加減にして」
「落ち着けって声が大きいよ。誰かに聞かれでもしたら」
周りを気にしながら矢島さんはとても焦っていた。でもそんな彼の気持ちになんて目もくれず、私は声を荒げる。
「聞かれたっていい。お父さんもお母さんも桜だって、それに院内でも知らない先生はいないじゃない」
私の家は先祖代々続く医師家系で、二十もの診療科が備わり都内でも有数の最新機器を導入している『瀬川総合病院』を経営している。
現院長である父の下で経理として働いていた私が、医師の矢島さんと付き合っているのは院内でも有名な話なのだ。
一七八センチある彼を見上げたら、ばつが悪そうに目を逸らされる。
幸せな日々はもう戻ってこない。
そう突き付けられた気がして頭がぼんやりしてくる。
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